No. 4 最終決定権者
2007年11月28日
(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。)
資格要件に続いて、選抜方法について考えてみよう。前々回の1, 2, 3の条件を満たすような人たちを選び出すのに良い方法は? 逆に考えてみる。Windows や Mac OS や GNU/Linux (以下、単に「Linux」)のような複雑なシステムをコーディングする人たちを選抜するときに、選挙カーで名前を連呼させたり、ニコヤカに微笑むポスターを掲示したり、ユーザーの3割程度しか参加しない投票で選抜するだろうか? ありえない。以下では、Linux を生み出し、成長させつづけているオンライン・コミュニティの類推を用いてみよう。
ここで茶会員から、「オンライン・コミュニティの成功事例と、国政では前提が違いすぎて、類推には無理があるのでは?」という、もっともなツッ込みが入った。が、このコラムは、そうした飛躍を楽しむものだから、ここは生暖かく眺めつつ、そうした思考実験を楽しんでいただければ幸いだ。
順番は逆になるが、まず、3 の戦略家にしてSEである人物について考えよう。この任務は、あまり多人数ではいけない。「船頭多くして船山に登る」。Linuxでは、システム全体を分割して、それぞれに単独の責任者がプロジェクトを統括している。複数の提案がある場合には、単独の責任者が合議体を作り討議するが、最終決定権は「優しい独裁者」とも呼ばれるリーナス・トーヴァルズが保持している。 いまのところリーナスの判断は大局を外していないので、Linuxは、安定的に成長を続けている。また、リーナス自身は、Linuxカーネルに関する事項以外について、積極的に口出ししたりしないようだ。「君臨すれども統治せず」というやつだろうか[1]。
この 3 の役割は、日本の政治機構ではどの組織に似ているだろうか。参議院というよりは、どうも議院内閣制のもとの内閣に似ているように思われる。すると、最終決定権者とプロジェクトの責任者が形成する合議体は、閣議ということになる。ただし、最終決定権者であるリーナスは、──コミュニティからの支持を背景にしつつも── 選挙ではなく、Linuxカーネルを開発したことにより、Linuxに関連するプロジェクトの最終決定権を得た。仮に、選挙でLinux関連プロジェクトの最終決定権者を選出していたら、Linuxは、多数の派生プロジェクトに分割され(fork) 、ばらばらの不統一なシステムの集合体になっていたかもしれない。実際にUNIXは、1980年代に、そのような開発上の困難に直面した。
すると、やはりインターネット時代の政府においても、最終決定権者が存在した方が望ましいかもしれない。それは民主的に選挙されるのではなく、どうも日本国システムの基本設計について熟知し、システムの将来について権威を持ち、責任を負う人物である方が良いように思われる。意外と、王制あるいはかなり長期の任期をもつ大統領制に近いあり方が、最終決定権者の姿になりそうだ。加えて、仮に最終決定権者を選挙するにしても、かなり熟慮ある集団が選挙権を行使する間接選挙のほうが、システム全体の整合性の観点から望ましいように思われる。
うーん、いきなり非民主的な政府の姿が見えてきてしまった。
最終決定権者は、日本国システムを維持発展するために必要な開発目的を示し、プロジェクトを設定する権限をもつ。さて、プロジェクトの目的が示されると、オンライン・コミュニティでは、そのプロジェクトに興味をもつ人々が、ボランティアとしてワラワラと集まってくる。ボランティアが集まらないプロジェクトは、人気がなく要するに必要性が低いプロジェクトなのであるから、人が集まらなくても構わないことになる。もちろん、このボランティアについては、参加についての資格要件はないが、スクリプト言語すら使えないようなボランティアが、プロジェクトの主導権を握ることは現実的に想定し難いだろう。
うーん、こんどは超民主的な議会の姿が見えてきてしまった。選挙すらしてない。
* * * * *
[1] リーナスに比較すると、FSF (Free Software Foundation)/ GNU の主催者であるリチャード・ストールマンは、プロジェクトに関して具体的な最終決定権を行使しないが、コミュニティの理念と目標に関して、独裁的な権威を保持しているように思える。政治的というよりも精神的指導者に近いといえる。
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白田秀彰の「現実デバッグ」
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