No. 2 国制デバッグ
2007年11月14日
(これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。)
さて、私自身は、否応なく現実デバッグを始めてしまったのだが、このブログというか記事では、デバッグの対象となる一般的なネタについて書いていくことにしたい。MIAUネタは、MIAUのメールマガジンでやれよ、ということになったので。そこで、いきなり国制のデバッグから着手してみようと思う。改憲論だね。うわあ。
まず、立法に携わる人々について考えてみる。議員選挙の目的について、無理矢理コンピュータの比喩を用いて記述してみると、次のとおり。1. 日本国(hardware)の権力的運営を担当する行政=基本プログラム(operation system / executives)や、基本プログラムと連携し動作する経済産業界等=応用プログラム(applications)を合目的的に制御する法律および条例(codes)を的確に設計し記述しうる立法能力=プログラミング技術を持つ人材の選抜。2. 日本国および日本国民(processors)に関する正確豊富な知識をもっていて、その制御を行うための低レベルプログラム(ハードウェア寄りのプログラム)も書ける人材の選抜。3. 日本国がどのような価値と利益を実現すべきかという目的を明確に設定できる戦略家(strategist)であり、かつ、それをプログラムにまで具体化できるSE (system engineer)の能力を持つ人物の選抜。
1, 2, 3 の要求項目については、コンピュータ業界やプログラミング業界に身を置くことの多いだろうWIRED VISIONの読者なら、類推を用いて納得していただけると思う。ところが、要求項目を書いていて、すでに絶望的な気分になってくる。どう考えても、日本国のシステムをコーディングするのに必要な技能をもった議員は、ほとんど選抜されていない。もちろん、一人の議員が全ての技能を備える必要はないだろうが、少なくとも一つは持っていなければ、何のためにあのエラソーな議事堂にいるのやらわからない。
さらに、日本国の議院内閣制を前提とすると、その立法者集団から行政の長である内閣総理大臣と大臣(operator?)も選抜することになるのだから、話が面倒になる。上記の条件を満たしたプログラマ的な性格をもつ人物集団の一部が、形式論理体系である法律(code)を複雑怪奇な現実に適用しつつ、よりよい社会状態を達成するという、非常に高度な政治的曖昧処理をしなければならないことになる。これは、とても人間的な作業だ。すると、法律を通じて日本国を制御すべき議員としての性格と、法律を適用して日本国を制御すべき大臣としての性格は、私の見解では、全く反対の方向性を持っているように思われる。立法者として優れた緻密な性格は、おそらく行政の長には向かず、行政の長として優れた柔軟な性格は、立法者としての緻密さが足枷になるのではないか。
日本国の政治の運営がなんだかスッキリしないのは、上記の議院内閣制がいけないのではないか、と私は考えてしまう。相矛盾する性格や能力の両方を備えた人物を選ばなければならないような選挙制度だから、選抜時に必要な素質を絞りきれなくなってしまい、結果的にどっちつかずの「イイ人」が選ばれてしまうのではないか。さらに日本人は、もともと集団主義的で馴れ合いやすい国民性なのだから、立法と行政をクッキリと分離した方が良いと私は考える。
ブレーク・ポイント挿入! デバッガ起動!
はい。憲法学や政治学の立派な先生方に、いろんな意見があることは承知しておりますが、コンピュータ・ヲタの私の脳味噌にスッキリ適合する国制は、アメリカ型の厳格な三権分立型国制ということになります。以下、その前提で展開していきますので、よろしくおねがいします。
白田秀彰の「現実デバッグ」
過去の記事
- 最終回 暇申 その22008年5月 7日
- No. 24 教育制度批判 その72008年4月30日
- No. 23 教育制度批判 その62008年4月23日
- No. 22 教育制度批判 その52008年4月16日
- No. 21 教育制度批判 その42008年4月 9日