売れる、売れない
2010年2月23日
(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら)
昨年みすず書房から発売されたアラン・ムーアとエディ・キャンベルの『フロム・ヘル(上、下)』(柳下毅一郎 訳/みすず書房)の翻訳単行本が順調に版を重ねている。映画の公開もあってロングセラーになった『ペルセポリス(I、II)』(園田恵子 訳/バジリコ)の話題とあわせて、最近友人のマンガ評論家・伊藤剛と話をしていたとき、その辺の海外コミックスの好調が話題に上った。
そのときはたしか彼のほうから話を振ってきたので、具体的な部数や読者層などの話をしたのだが、それを聞いて伊藤が「それはスゴイ! そんなに売れてるならその事実をアピールすべきだ」といいはじめたので少し困ってしまった。
「よくいわれる“海外マンガは売れない”というステレオタイプな意見への反証になる」と主張する彼に悪気がないのはわかるし、個人的には伊藤さんのそういう性格は愛すべきものだとも思うのだが、私自身の体験からいえばこれはこれでちょっと的が外れた見方なのだ。
まず「海外マンガは売れない」というのはじつはそんなによくいわれるわけでもない……というか、たしかに比較的よくいわれはするのだが、それは積極的な意見や偏見というより「日本における海外マンガのマイナーさ」というトピックへのテンプレート的なリアクションなのである。
つまり、そのひとの海外マンガへの興味の有無に関わらず「なぜ日本で海外のマンガに対する認知度が低いのか」という問いを立てられたときに一番安易にいわれる回答がこれなのであり、偏見や悪意以前の先入観のようなものだ。
いってみればそれは無知の産物である。
なぜなら海外マンガは『フロム・ヘル』や『ペルセポリス』から急に売れ出したわけではなく、これまでにも売れていたといえば売れていたからだ。
たとえば2007年に出版された『タンタンとアルファアート』(川口恵子 訳/福音館書店)までシリーズ24作が全訳され、作者エルジェの伝記『タンタンとエルジェの秘密』(セルジュ・ティスロン、青山勝、中村史子 訳/人文書院)の翻訳まで出版されている「タンタンの冒険」シリーズや、もはやオリジナルタイトル『ピーナッツ』も使われず「スヌーピー」として様々なバージョンの翻訳が出版されているチャールズ・シュルツの名作コミックストリップなどは、日本国内で何十年にも渡って継続して売れ続けているロングセラーなのである。
過去の翻訳にしても90年代のフィギュアブーム期に出版されていたメディアワークスの『スポーン』や、小学館プロダクションの『Xメン』も好調時には一巻あたり数万部を売っていた。ある程度売れていたから数十冊もの翻訳が当時出版されたのであり、ハナから売れていなければラインが続くわけもなく、1、2冊出た時点で打ち切られていたはずだ(実際過去にはそういう例もけっこうある)。
要するに実際に売れていようがいまいが認知度は低いままだったわけで「売れる、売れない」は認知度とは無関係だと考えるべきだ。これまでも度々書いてきたが、私は国内で海外マンガが「マンガ」として認識されていないことのほうを問題とすべきだと思う。
伊藤さんには悪いが、その意味でむしろ彼のような立場の人物がこうした過去や現在の状況を実際知らずに『フロム・ヘル』などが売れていることに新鮮な驚きを感じてしまうこと、それ自体のほうに現状の問題点がよくあらわれている。
つまり、そもそも「マンガ」の一部として海外マンガを捉えていないから今現在も売れているものも過去売れた事例も「マンガ」の問題として認識されないのであり、だからこそたまたま目にした「売れた事例」が画期性を伴って見えてしまうのだ。じつはそう感じる人間自身が「海外マンガは売れない」という先入観を持っているからこそ、彼(ら)はそこに画期性を見るのである。
海外のそれを含めた「マンガ」というメディアに対してより一般的な研究や批評の素地をつくるためにまず必要なのは、過去の事例を含めたそうした国内の海外マンガに関する状況を整理し、もう一度「マンガ」の問題として捉えなおすことだろう。そこに関係性を見出さない限り先入観自体はなくならないのだから、それらを「関係ないこと」として無視されては単に困るのだ。
もちろん、どのようなきっかけにしろ伊藤のようにそこに必然性を感じてくれる人間が増えるのは、そんなことを知る必要すら感じない人間が大勢を占めているのであろう現在、大変ありがたいことではある……あるのだが、しかしオレがなにをやってきたかは伊藤さんはとっくに知ってるはずなのだ。
にもかかわらず、タンタンや90年代以前のことをまるっと無視されて「売れてるじゃん」といわれてもなあ。だからちょっと困ったわけだが。向こうには悪気ないし。
小田切博の「キャラクターのランドスケープ」
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