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小田切博の「キャラクターのランドスケープ」

マーチャンダイジングの観点から、マンガ・アニメ・ゲームなど、日本の「コンテンツ・ビジネス」の現在を考える。

「わからない」という出発点

2011年4月27日

(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら

過去の天災や事件の際にも同様のことが起こっていたが、今回の震災に関しても多くのデマや誤解、それらに基づくディスコミュニケーションが各所で生じている。

こうしたディスコミュニケーションは多くの場合、一般的に共有されている知識が一様でないために、ある情報が提示された際にその情報をどう解釈するかについて、各人の解釈が異なってしまうことから生じる。

これはある程度仕方のないことで、人間は誰も全知にはなれないので、地震災害や原子力発電所のシステム、電気の供給システム、放射線による健康被害、さらに今後を考えれば被災地の復興や社会保障のための財源や社会システムの整備といった膨大な領域にまたがる雑多で細部にわたる専門知識を、ひとりの人間が持ち合わせているなんてことはあるわけがない。

この点は新聞やテレビ、ラジオといったマスメディアに携わる人間であっても同じことで、今回U-STREAMやニコニコ動画などで流れた電力供給や原発事故についての記者会見を観ていて、立場によらず会見会場にいる記者の多くが先に述べたような「ディスコミュニケーション」をそのまま体現してしまっていた。

立場が知識を保障するわけではない以上、メディアにかかわる人間であっても、なにか事件や災害が起こった際にその問題に関する知識を持っているかどうかは不確定である。ここでいう「知識」とは必ずしも「専門知識」とは限らない。ある領域で「常識」だと思われていることが、別な立場の人間から見た場合まったく知られていない情報だということは非常によくあることだ。

では、そうした知識の偏差に対してどう対処すればいいのか、といえば、まず自分が「わかっている」という前提に立たないことだろう。

本来、ジャーナリストやライター(これはネット上のブロガーなどでも同様だと思うが)は「専門家ではない」ところに特徴がある。

もちろん取材や執筆を続けていけば、そのひと固有の知識の蓄積が生じて「強い」領域、「弱い」領域が生じるが、新聞報道やネットや雑誌の記事は、あくまでも読者に対して「情報を媒介するため」のものだ。新作アニメの情報であれ、事故の現状であれ、「わかっている」立場の人間の代弁をするようなものではなく、「わからない」人間のために便宜を図るのが本来の役割なのだと思う。

その意味ではむしろ、ある問題に直面したときに自分がそれを「わからない」ことを認めることが、必要かつ重要なことであるはずだ。

まず自分にはその問題が「わからない」ことを認め、それが多少なりとも「わかる」程度まで自分で調べるなり、ひとに聞くなりする。拙速に価値判断を下すよりも、迂遠に思えたとしてもそのようなプロセスを経たうえで言葉を発するのが本道だろう。

逆に読者の立場からいえば、自分にとって「わからない」情報について言及されていることに対して、メディア上の情報やコメンテーターの発言を安易に鵜呑みにすべきではないのだろうと思う。

ある問題に対して専門家のあいだであっても意見が分かれていることは多々あるし、それ以前に発言者がその問題に対して一定の理解を持っているかどうか自体、「わからない」人間には判断がつかないはずだ。

これもまどろっこしいように思えるかもしれないが、自分が特に知識を持たないある事件に対して特定の見解が示されたとき、その見解の正誤に対する判断自体は留保して、まず判断基準を得るための情報を求めるべきだろう。ネットというのはそのような作業のためにこそ便利な道具なのだ。

いまネットやメディアでは盛んに「原発事故による健康被害」や「海外報道による風評被害」の問題が伝えられている。しかし私たちの多くはこれまで、原子力発電所の問題や、日本についての海外での報道に、たいした注意を払ってきたわけではないだろう。

書店店頭に見られる原発本の発売ラッシュや、ネットでの「海外報道」を巡る発言の増加は、逆説的にいえば「知らなかった」からこそ情報が求められていることを意味している。

過去、本ブログにて取り上げてきたことでいえば、「メディア芸術」を巡る報道の問題や、「キャラクター」という概念を巡る錯誤は、これらの問題がなんとなく「わかっている」ことにされたまま語られてきたことに由来するものだったように思う。

日々親しんでいるサブカルチャーについてすら、私たちはたいしてわかってなどいないのだ。

いま直面している問題についても同じように、私たちは安易に「わかっている」振りをすべきではない。たぶん、不安であっても「わからない」というところから出発すべきなのだ。

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プロフィール

小田切博

ライター、90年代からフィギュアブームの時期に模型誌、フィギュア雑誌、アニメ誌などを皮切りに以後音楽誌、サブカル誌等、ほぼ媒体を選ばず活動。特に欧米のコミックス、そしてコミックス研究に関してはおそらく国内では有数の知識、情報を持つ。著書として『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかにマンガを変えるか』(ともにNTT出版刊)、共編著に『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)、訳書にディズニーグラフィックノベルシリーズがある。

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