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小田切博の「キャラクターのランドスケープ」

マーチャンダイジングの観点から、マンガ・アニメ・ゲームなど、日本の「コンテンツ・ビジネス」の現在を考える。

「マンガの国際学術会議」が日本で開かれる意義

2009年11月24日

(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら

先日出版されたティエリ・グルンステン『マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか』(青土社、2009年)の訳者である野田謙介と話していて、日本と欧米の「マンガ」に関する市場認識の違いについての話題になった。

簡単にいうと、もはやアメリカやフランスではそれぞれ日本の「マンガ」は各国のマンガ市場、つまりコミックスやBDの市場の1カテゴリとして売られ、読まれるようになっているのだが、日本では依然として海外のマンガは日本マンガと無関係なもののように扱われ続けている。この状況的な落差は国外でも国内でもほとんど認識されておらず、そのギャップこそが問題なのではないかということを、そのときは話していた。

日本のマンガと海外のそれが「無関係」とは程遠いことは以前書いたことがあるが、ここ数年、じつは海外マンガの翻訳自体は増えてきている。マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』(III、バジリコ、2005年)やアラン・ムーア&エディ・キャンベル『フロム・ヘル』(、みすず書房、2009年)など、これまでとは違い映画などとは無関係に翻訳が発売され、その中から相応の話題になり、かなりの売れ行きを見せる作品も出てきているのだが、読者や批評家などのレベルでそれらが「マンガ」の話題として語られることは相変わらずほとんどない。

日本マンガの翻訳出版が海外市場では定着してしまった現在、このマンガにおける「海外との関係性」を否認する奇妙な身振りは今後内外の摩擦の原因にしかならないはずだが、海外の状況、作品への無知に対する危機意識は驚くほど希薄だ。

野田の訳したグルンステンの著作は美術や映画論、記号論などの成果を縦横に取り込み「マンガ」のための独自の理論を構築しようとしたフランスのマンガ研究における野心的な達成のひとつだが、残念なことに国内の出版、言説状況の貧しさをひどく直接的に反映した出版物になってしまっている。おそらくこの本を手にとった読者の多くは、その「わからなさ」に困惑するはずである。

当然のことながら、グルンステンは自身の「マンガ論」を論じるにあたりフランスで流通している欧米のマンガ、先行研究をもとに議論を構築している。しかし、そこで取り上げられているほとんどの作家、作品はいまのところ日本国内においては翻訳どころかほとんどが紹介すらされていない。しかも既に述べたように「タンタン」など翻訳されている作品すら、日本では「マンガ」とは見なされていないのだ。海外の作品や研究状況などについてある程度の知識があれば、その問題意識や画期性を忖度することも可能だが、現在の日本においては残念ながら大学などの専門研究機関に属する研究者も含め、そのような知識を持った人間はほとんどいないのではないかと思う。

この本の著者であるグルンステンは来る12月、18日から20日まで京都国際マンガミュージアムで開かれる国際学術会議「世界のコミックスとコミックスの世界─グローバルなマンガ研究の可能性を開くために」で基調講演をおこない、ついで23日に東京の明治大学で特別シンポジウム「ヴィジュアル・カルチャーと漫画の文法─ティエリ・グルンステンを迎えて」にメインゲストとして登壇することになっている。

前者の国際会議に関しては私自身がパネラーとして登壇することになっているのだが、フランスだけでなくアメリカ、カナダやアジア系の研究者も登壇するこの会議では、おそらく内外のマンガに関する状況認識、言論状況の落差がそのまま露になる場になるはずである。

日本からの登壇者も私自身を含め多少は海外の研究状況について知識、関心のある人間が選択されているはずだが、グルンステンをはじめ海外ゲストの側は、発表要旨などを見る限りでは「マンガというメディア」に関する学術的達成について東西の成果の擦り合わせを意図する人間が多いように思われる。しかし、しつこく繰り返すようだが(というか私はここ十年こんなことばかり書いてきたのだが)、国内では日本マンガと海外のそれは、ほとんど同一のメディアとして扱われてすらいないのである。

個人的には国際会議の席上だからといって、このような現状を中途半端に取り繕い、海外マンガ、マンガ研究への理解があるようなフリをしてみせるのでは、そもそもまともな議論にならないのではないかと考えている。

まず「日本人の大半は海外のマンガになど興味がないし、あなた方の研究を理解しようという発想自体がない」という事実をそのまま提示し、その上であるべき対話の可能性を探っていく、少なくとも私自身の報告はそのような内容のものになるはずである。

主催者の意図や他の登壇者の思惑はともかく、ひとりくらいはそういう人間が存在しなければ、今というタイミングでこのような会議を開く意義もないのではないかと思っている。そのくらい外部を見る日本のマンガ言説は貧しいし、その貧しさこそがまず自覚されるべきだ。

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プロフィール

小田切博

ライター、90年代からフィギュアブームの時期に模型誌、フィギュア雑誌、アニメ誌などを皮切りに以後音楽誌、サブカル誌等、ほぼ媒体を選ばず活動。特に欧米のコミックス、そしてコミックス研究に関してはおそらく国内では有数の知識、情報を持つ。著書として『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかにマンガを変えるか』(ともにNTT出版刊)、共編著に『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)、訳書にディズニーグラフィックノベルシリーズがある。

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