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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

企業を箱ものとしてだけ見ちゃだめだよ〜トービンのq理論

2007年12月26日

(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら

 NHKの評判のドラマ「ハゲタカ」の再放送を観た。イタリアで高い評価を受けて賞を取ったドラマらしい。

 このドラマは、M&A(合併・買収)を扱ったもので、ここ数年、日本のマスコミをにぎわせた株式にからむいくつかの事件を背景にしたものだ。ストーリーは、「中小企業はひたむき、銀行やファンドは金の亡者、外資は悪」、といったステロタイプの作りだったので、経済学者としては「なんだかなぁ」の感があるが、ドラマ自体は、とても丁寧な作りで、役者もがんばっていたし、一視聴者の立場になれば「浪花節」もまんざら嫌いではなく、実は涙しながら観てしまった。

 今年も、スティール・パートナーズによるブルドックソースの株式公開買い付け(TOB)などが話題になり、「会社は誰のものか」的な議論がまたも沸騰した年であった。ライブドア事件や村上ファンド事件に類することが今もずっと続いている、ということなのだ。

 このようなM&Aの横行は、アメリカでは1980年代に生じており、日本は20年遅れでアメリカのあとを追っているだけ、といえるのかもしれない。例えば、84年にゲッティ・オイルがテキサコに101億ドルという巨額で買収され、その契約をめぐって裁判が起こり、30億ドルの和解金によってテキサコが倒産するはめになったり、また88年には、たばこ会社フィリップモリスによる食品会社クラフトの買収も129億ドルという巨額なものになったりしたことなどが有名である。

 M&Aに対して、日本のマスコミは、マネーゲームとか企業倫理とか職人云々の観点で語ることが多く、そうなると我々の経済「理論」の守備範囲ではない。とはいっても、数理的な経済理論のカテゴリーの中でM&Aを全く語れない、というわけでもない。それを語るには、「トービンのq理論」が最も適切で標準的なものであろう。

 「トービンのq」というのは、企業への投資の効率性を測る指標である。具体的には、次のような分数で定義される。

     (トービンのq)=(企業の株価総額)÷(企業の再取得費用)

 ここで分子「企業の株価総額」というのは、要するに、「その企業の株を買い占めるのにいくらかかるか」ということを表しており、その企業の「金融的価値」を表すものだ。他方、分母「企業の再取得費用」というのは、ぶっちゃけ、「その企業と同じ箱ものをもう一個作るのにいくらかかるか」ということを表し、その企業の「物的価値」を表している。であるから、トービンのqという指標は、企業の金融的な評価が企業の物的評価に対して何倍くらいか、を意味するものなのである。

 このトービンのqが1より小さい場合は、いつ買収の標的になっても不思議ではない。

 なぜなら、それは、この企業の株を買い占めるために必要な金額が、その企業の箱もの(所有する建物や機械や土地など)の総価値より小さいことを意味するので、買収して企業の物的資産をばら売りしてしまえば買収費用を取り返した上、さらに儲けが出るからである。(会社の実権を握るには100パーセントの株を取得する必要はないから、トービンのqが1より多少大きくてもこの論理はそのまま使える)。

 このことをわかりやすくいうなら、パソコンの価格がそのパーツの総額より低いようなものである。この場合は、パソコンを購入して、パーツに分解してばら売りして儲けることができる。

 このように考えると、トービンのqは原理的には1よりもけっこう大きい数値にならなければならないのだ。

 では、トービンのqが1+αだったとして(α>0)、その余剰分のαはなんであると考えるべきなのだろうか。それは、企業が単なるモノの集まりを越えた「有機的な存在物」であることの価値と考えられているのである。

 企業というのは、単なる建物と土地と機械と労働者の寄せ集めではない。そこには、それらを越えた何か「有機的な要素」が本質的にかかわっていると考えられる。それは、「知識」とか「ネットワーク」とか、「信頼」とか、「チームワーク」とか、「伝統」などと呼ばれる要素である。これらの価値は、企業の物的な価値(再取得費用)には現れないが、株式の評価には算入されるものであり、それがまさにαなのである。

 さて、トービンのqが1に近づけば、買収の標的になるのは仕方ないことをさきほど説明した。これは、買収者の合理性ばかりではなく、社会的な合理性からもそうである。トービンのqが小さいということは、物的な資本を効率的に活かしていない、ということであり、それはせっかくの所得を投資によって資本に回しても、それに見合うような見返りが得られないことを意味しているからである。

 このことは、企業の経営者が(なんらかの既得権を行使して)不当に配当を小さくする場合にも生じる。(不要にぴかぴかな本社ビルを建てるとか、経営者の報酬が大きすぎるなどの理由で)配当が小さければ、株価は低くなり、それは必然的にトービンのqを低め、買収のターゲットになる危険性を呼びこむことになる。そういう意味で、M&Aは社会が資本を効率的に利用のための外的圧力だという見方もできる。

 しかし、さきほど説明した「企業の有機体としての価値」という意味では、必ずしもM&Aを利用した資本市場の効率化を是とはできないだろう。なぜなら、単なる不合理な低配当から生じたM&Aが成功して、会社がバラバラにされてしまった場合、そこに存在していたはずの有機体としての企業価値(知識、ネットワーク、信頼、チームワーク、伝統等)が一瞬のうちに失われてしまうからである。これらのものは、一度失われると一般には回復がおおよそ不可能なものだといっていい。そうなった場合、それは株主や従業員だけの損失ではとどまらず、社会的な損失になっても不思議ではない。

 次回は、この話の続きで、(トービンのq)=1+αと書いたときのαが数理的に何を意味するかを、ある程度きちんと解説することとしよう。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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