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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

いくら情報交換しても確信に至らないメカニズム〜eメールゲーム

2007年12月 7日

濱野智史「情報環境研究ノート」第22回で、濱野さんがコモンノレッジ(共有知識)のことを論じ、個人ブログ
のほうで、拙著『確率的発想法』NHKブックスをわざわざ紹介してくださったので[*1]、せっかくのチャンスを逃す手はない、とばかり、ぼくのほうでもこの話を書くことにした。

 コモンノレッジというのは、ある知識Xに関して、ある集団に属する人々が、
「Xであると全員が知っている」
「Xであると全員が知っていることを全員が知っている」
「Xであると全員が知っていることを全員が知っていることを全員が知っている」
・・・
という無限の連鎖が成り立つことをいう。つまり、ある知識を全員が個人的に知っているばかりでなく、それが「完全に共有されている」ということを規定するものだ[*2]。

 コモンノレッジの重要性を実感するには、野球やサッカーなどのスポーツにおける(サインなしでの)セットプレーのことを念頭に浮かべるといいだろう。野球における「ダブルスチールのタイミングである」とか、サッカーにおける「オフサイドトラップのタイミングである」などを知識Xと記してみよう。このとき、それに関わるプレーヤー全員がXだと知っていても、それでXの中のプレーが実行されるわけではない。自分がXだと知っていても、他の味方プレーヤーもXを知っている確信が自分に無ければ、行動を起こすことは危険である。そればかりではない、自分がXを知っていることを味方プレーヤーも確信してくれていないとまずい。このような無限の連鎖を瞬時に成立させて、セットプレーは行われるはずである。これがいわゆる「アイコンタクト」というやつだろう。

 濱野さんは、さらに、「KY(空気よめー) 」という流行語もコモンノレッジの例としている。つまり、「空気を読めていること」ということを言い換えるなら、「コモンノレッジが成立している集団に属すること」、というわけなのだ。

 それで思い出すのは、前期にやっていたドラマ『ライフ』である。
 これは高校生の「いじめ」を描いたシリアスな青春ドラマで、原作はマンガである。いじめられ役の北乃きいもなかなかかわいかったが、見所はいじめ役の福田沙紀のぞくぞくするような美しき悪役ぶりだった。あまりのはまり役で・・・ っと、そんなことはどうでもいいね。このドラマのエンディングは、(福田演ずるところの)いじめの黒幕が、逆転して、いじめられる側に陥れられる、というものであった。このことは、コモンノレッジの観点からはとても興味深い。今までいじめる側の中心人物であった生徒をいじめの対象に逆転させるには、クラスの多くの生徒個人個人が「ターゲットはあいつ」(これをXと記す) と思うだけではだめだ。自分がいじめを実行したとき追従者がいなければ、それは勇み足になり、逆に自分が窮地に陥ってしまう。クラスの他の子どももXと思っていなければならないし、全員がXであると思っていることを全員が確信していなければならない。これが「空気をよむ」ということであり、コモンノレッジなのである。(実際、このドラマの終盤には、やたらとこの「空気よめよ」という台詞が登場していた) 。

 「Xであると全員が知っている」に対して、「Xであると全員が知っていることを全員が知っている」のような知識のことを「高階の知識」という。このような高階の知識に、いつまでもいつまでも敏感であり続けるような経済行動について、現在、ゲーム理論で精力的な研究が積み重ねられている。最もホットな話題の一つといっていいだろう。その先駆けとなった論文が、濱野さんも個人ブログのほうで取り上げているルービンシュタインの「eメールゲーム」であった[*3]。

 これを(簡易バージョンに変更して)かいつまんで解説しよう。
 今、プレーヤーAとプレーヤーBが将来に会うことになっていて、その待ち合わせの時間と場所の情報をXと記す。 まず、AがBに情報Xをメールで送るとする。メールは、何らかのネット上のトラブルによって届かない確率がわずかながら存在しているものと仮定する。BはAに「メールを受理した」という返信を送る。さらに、その返信を受け取ったAも再びBへ「メールを受理した」という返信を送る。さて、このようなやりとりが何通まで行われた時点でメール交換は終わるだろうか。

 なんと、ルービンシュタインは、「約束が実行されるためには、有限のメール数で終わることはできない」という可能性を示して見せたのだ。これをきちんと解説するには、「非完備情報ゲーム」というものを使って精密に記述しなければならず、それはさすがにブログでは無理だから、ものすごくアバウトな(不完全で感覚的な) 解説で済ませることを事前にいいわけしておく。
 ポイントは、「数学的帰納法」である。以下の仮定を追加しよう。

 仮定1:メールを受けとったプレーヤーは返信する必要があるとき必ずメールを返す。
 仮定2:各プレーヤーは相手がこない心配が少しでもあると約束の場所には行かない。
このとき、以下の結論が得られる。
 結論:約束を実行するためには、何通目のメールが来ても、必ず返信をする。

 その証明は以下。
 まず、Aが1通目を送るのは明らかである。
 その1通目を受けとったBが何を考えるか、それを考えてみよう。Bが返信を出さないとき、Aは次の3つの可能性を頭に浮かべるはず、とBは考える。そもそもメールがBに届かなかったか、Bからの返信メールがAに届かなかったか、あるいはBが返信の必要がないと考えたか、そのどれかである。もしも1番目が起きた場合、BはX を知らないことになる。とすれば、Bがこない可能性をAは想定するだろう。それを心配したAは約束の場所に来ないに違いない。こう推理したBは、約束を成立させるために、Aに返信メールを送ることになる。つまり、2通目は必ず送られる。

 次は一般化だ。
 任意の自然数kに関して「k通目までは、それを受けとったプレーヤーは必ず返信をする」ことを仮定しよう。この仮定のもとで、「k+1通目を受けとったプレーヤーは必ず返信をする」を示してみる。証明は簡単だ。k通目を受けとったプレーヤーは仮定から必ず返信をする。これは、k通目を受けとったことではまだ相手が来ない可能性を払拭できていない、ということを意味している。それだから返信をしているのである。とすれば、k+1通目を送ってある相手からその返信がこない場合、相手が本当にメールを受けとったかどうかわからず、自分がメールを出す原因となった心配事が解消されてはいないことになってしまう。とすれば、k+1通目を出したプレーヤーは約束の場所に来ないだろう、k+1通目を受けとったプレーヤーはそう考える。だからこのプレーヤーも、返信を出さねばならない。そういうわけだ。

 さて、「1通目を受けとったプレーヤーは必ず返信をする」ということ。それと、「k通目まではそれを受けとったプレーヤーは必ず返信をする、が正しいならば、k+1通目を受けとったプレーヤーは必ず返信をする、も正しい」、ということ。その二つの事実から、数学的帰納法によって、「すべての自然数kについて、k通目を受けとったプレーヤーは返信をする」が正しいことが示される。これで結論に達することができた。

 このeメールゲームを、コモンノレッジの概念を使っていうと、次のようになる。
 1通目がBに届いただけでは、「Xであると全員が知っている」ということしか成立していない。次に、2通目がAに届いた時点では、それに「Xであると全員が知っていることを全員が知っている」ということが加わるだけである。このように有限のメール数で終わった時点では、どこかの高階で知識がとぎれてしまっていることになる。つまり、eメールゲームが有限のメール数で終了することができないのは、「有限のメール数ではコモンノレッジが成立しないから」、と解釈することができるわけである。つまり、このゲームは、どんな高い階数になってもその高階の知識に敏感に反応するような構造のゲームだといっていい。

 さて、きっと多くの読者は、頭がこんがらがっていることと思う。コモンノレッジの考え方は、初学者にはとても理解し難い。(これは非完備情報ゲームの難しさでもある)。ぼくも理解するまで相当に苦労した。おまけに、今解説した方法は、かなりずぼらなものなので、混乱に拍車をかけていそうで申し訳なく思う。

 とはいっても、「なんとなく雰囲気だけ味わえればいいや」、という読者にはこれで十分だ。コモンノレッジの数学形式についてもうちょっとだけきちんと理解したい、という読者は、拙著『確率的発想法』[*4]にあたって欲しい。さらに酔狂な人がいて、eメールゲーム自体を完全にきちんとみじんの飛躍もなく理解したい、というなら、次の梶井さんのすばらしい解説を読むことを切にお勧めする[*5]。 

* * * * *
[*1] せっかく引用してくれるのなら、本文のほうにしてくれればいいのになあ、気が利かないなあ、などと勝手な愚痴をいうぼくであった。笑
[*2] この概念を導入したのは、オーマンの1976年のたった3ページの、しかしあまりに画期的な論文
 Aumann, R. J. ”Agree to disagree. ” Annals of Statistics 1976, pp.1236-1239.
[*3] Rubinstein, Ariel. ”The Electronic Mail Game: Strategic Behavior Under ' Almost Common Knowledge'. ”, American Economic Review1989, 79, pp.385-91.
[*4] 小島寛之『確率的発想法』, NHKブックス, 2004年
[*5]何カ所かタイポがあるので注意。(梶井さんがわざと仕込んだ地雷かもしれないが)。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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