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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

第9回 ケインズの「魔法のポケット」

2007年7月17日

(小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」第8回より続く)

第3回第4回では、ケインズ理論とその問題点について、主にその外枠の部分をお話した。今回からは、満を持して、その中身について詳しく書こうと思う。そうしたうえで、そのあとで、新古典派の考えに足を伸ばし、最後は小野理論(第4回で紹介した小野の不況理論)までたどりつくつもりだ。まあ、できるだけショートカットで突っ走るので、投げないでおつきあいいただきたい。

標準的なケインズ理論についてまとめよう。これは別名IS-LM理論とも呼ばれ、大多数の経済学部で講義されているし、公務員試験の科目でもある。ここでは、一部の読者にはうっとうしく思われるだろうことを覚悟の上で、わざと数学チックに記述することにしたい。それは、ケインズ理論が思想・信条のたぐいではなく、また超越的・思弁的な哲学論議でもなく、1つの「科学的な議論」であることを明確にするためだ。

IS-LMにおけるIとは総投資量のことであり、これは生産物を消費してしまわずに次なる生産に活かす、その総量を表している。具体的には、企業に追加設置される設備や機械をイメージすればいい。そして、Sは国民の総貯蓄量のことである。(LとMのほうは金融部門にかかわる量だが、今は無視する)。IS-LM理論の前提は以下である。

(仮定1) 利子率が一定なら[投資]は一定量に決まってしまう。
(仮定2) 国民が[所得]を[消費]と[貯蓄]に分ける方法は、関数としてはっきり決まっている。つまり、[所得]→[消費] と[所得]→[貯蓄]は(その国に固有の) 関数として固定されており、したがって、[所得],[消費],[貯蓄]のどれか1つが決定されれば、(この関数、または逆関数によって)おのずと残る2つも決まってしまう。

これだけの前提から、ケインズは国民所得が利子率だけから決まってしまうことを導いた。つまり、以下のような定理を示したのである。
(定理1) (仮定1)と(仮定2)のもとで、利子率が決まれば国民所得は決まる。
この定理を証明するには、まず、次の補題を用意しておく必要がある。
(補題1) [投資]=[貯蓄]。
この補題の証明はいたってシンプルである。
(証明) 生産物はその用途を考えれば、楽しみのために使ってしまう[消費]か次なる生産に活かす[投資]かに分類される。すなわち、
[総生産]= [消費]+[投資] ・・・(1)
となる。また、生産物(あるいはその価値)は必ず誰かの所得となり、したがって、[総生産]=[国民所得]である。そこで、家計による所得の使い道が[消費]か[貯蓄]かに分類されることに注目すれば、
[総生産]=[国民所得]= [消費]+[貯蓄] ・・・(2)
(1)と(2)から、[投資]=[貯蓄]が導かれる。  (証明終わり)

もちろん、こんなまわりくどいことをしなくても、この補題はほとんど明らかだといっていい。つまり、生産物が投資に活かされるということは、その財の消費を誰かが我慢したからであり、それはその人の貯蓄になっているはず、というだけのことだ。さて、この(補題1)が手に入れば、ケインズの(定理1)の証明は次のようにものすごくあっさりできる。

(定理1の証明) 利子率は固定されているとせよ。すると(仮定1)から[投資]は決まっている。したがって(補題)によって[貯蓄]も決まっている。ゆえに(仮定2)によって、[所得]は決まっている。 (証明終わり)

拍子抜けするほど簡単な議論だとわかっていただけただろう。しかし、もしこの定理が現実の経済と整合的なら、経済に潜む深刻な問題を示唆しているといえる。それは、「完全雇用が達成されない可能性」の示唆だ。今、利子率が固定されているなら、[国民所得]=[総生産]は決まってしまうことが示された。だから、その総生産量を生み出すために必要な労働雇用量も決まってしまったことを意味している。そして、その雇用量が、国民が実際に供給したいと望んでいる量を下回っているのなら、働く意欲と能力のある労働者が失業してしまう「非自発的失業」が生じ、いわゆる「不況」が発生することになるのだ。

この論理をもとにしてケインズは、投資の不足のせいで供給できるはずの生産量を実現できないような不況下では、政府が公共事業を行うべし、そう提案したのである。その根拠となるのが次の(定理2)だ。これも(定理1) のようにほとんど一般的な設定のもとでも示せるのだが、わかりやすさを優先するため、(仮定2)における関数を以下のように具体的なものに特定して解説することとしよう。

(仮定3) (仮定2)の [所得]→[消費] と[所得]→[貯蓄]の関数における[所得]を[可処分所得]、つまり税引き後の所得とし、また以下のように関数を特定化する。
[消費]=0.8×[可処分所得]、[貯蓄] =0.2×[可処分所得]
このように変更した上で、ケインズの2番目の定理をお見せしよう。

(定理2) (仮定1) と(仮定3)のもとで、もしも投資不足があるなら、政府が税収分あるいはそれを越えて支出することによって総生産を増加させることができる。

この定理が「乗数効果」と呼ばれ、ある意味、ケインズ経済学の中で最も有名なものである。証明にはやはり、次の(補題2)を用意しておいたほうがわかりやすくなる。

(補題2)  [貯蓄]=[投資]+[政府支出]−[税金]
(証明) (補題1)の証明の中に政府部門を加え、(1)(2)式をそれぞれ以下の(3)(4)に変更するだけで全く同様に示される。
[総生産]= [消費]+[投資]+[政府支出]・・・(3)
[総生産]=[国民所得]= [消費]+[貯蓄] +[税金] ・・・(4) 
(証明終わり)

この補題も、慣れれば明らかなものに見えるようになる。つまり、国民が投資を越えて貯蓄しているのであれば、その分の財は政府が使っているはず、そういうことにすぎない。
では、この(補題2)を利用して、(定理2)を示そう。

(定理2の証明)
補題2と仮定3から、
0.2×[可処分所得]=[投資]+[政府支出]−[税金]
両辺を5倍して、
[可処分所得]=5×[投資]+5×[政府支出]−5×[税金]
両辺に[税金]を加えると、[可処分所得]+ [税金]=[総生産]だから、
[総生産] =5×[投資]+5×[政府支出]−4×[税金] ・・・(5) 
政府部門が存在しないとき、つまり[政府支出]=[税金]=0のとき、[総生産] は5×[投資]である。これが完全雇用水準を実現する生産量に不足しているなら、[税金]以上の[政府支出]によって、[総生産]は5[政府支出]−4[税金]>0の金額分だけ増加することになる。(証明終わり)

この定理2によれば、政府が税収入なしに(例えば、国債の発行だけによって)公共事業を行えば、総生産はちょうど[政府支出]の5倍だけ増加することになる。このことは専門的には「政府支出乗数が5である」といわれる。1兆円の支出で5兆円の効果、これはまるで「魔法のよう」ではないか。それじゃ財政赤字になってマズイでしょ、というなら、[政府支出]と[税金]を等しくして財政を均衡させてみよう。(5)式は、係数4の分が相殺されて、[総生産] =5×[投資]+[政府支出]、となる。これでもまだ、ちょうど[政府支出]の分だけ生産量は増し新たな雇用が確保されるのである。まだ「魔法のような」効果は残っている。ここで注目すべきなのは、政府支出の「内容」が全く問われていない、という点である。ケインズはこのことを「穴を掘ってまた埋めるような公共事業でも、失業を放置して失業手当を払うよりいい」いう有名なことばで表現しているのだ。

さて、このケインズの(定理2)が現実の経済と整合的なら、市場には「魔法のポケット」が存在することになる。そう、「魔法のポケット」は政府なのだ。国民が、「魔法のポケット」にビスケットを1枚入れるとあら不思議、2枚のビスケットになって帰ってくるというわけ。 

でも、本当にこんなことがありうるのだろうか。なんか変じゃないだろうか。

もしも、これが本当なら、「穴を掘って穴を埋める」だけで、完全雇用が達成されるまではいくらでも総生産を増やせてしまう。「穴を掘って穴を埋める」とそこには何の痕跡も残らないにもかかわらず、どこからともなく生産物が増えている。そんな「魔法のポケット」なんて現実的なものなのだろうか。

いってみれば、物理学でいう、まるで動力なしに仕事をし続ける「第一種の永久機関」や、地面の熱を吸い上げて走り廃熱を地面に返す100パーセント・エコな「第二種の永久機関」みたいじゃないか。ここで忘れてはならないのは、人類の科学の歴史が、そういう「魔法のようなもの」は存在しない、という退屈な結論の繰り返しであったということだ。ケインズ理論だけが「ステキな魔法」であり続けられるものだろうか。残念ながら、そうじゃない。乗数効果なんて幻にすぎない、そういう結論を次回にお見せしたいと思う。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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