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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

第8回「多重債務に陥る人」を、経済学ではこう考える

2007年7月10日

(小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」第7回より続く)

前回前々回は、Gul&Pesendorferの発表した「誘惑のコスト」を題材に論説した。彼らの論文がいいたいことをかいつまむと、「人は選択しない行動の誘惑にさらされ、そこに我慢のためのコストが生じるから、そもそもそういう行動ができないように事前にコミットメントをしたほうがいい」、ということだ。

実は経済学では、このような「コミットメントの効用」ということは、かなり古くなら研究されてきた。その出発点といわれているのが、Strotzという人の1956年の論文[*1]である。彼は、人間の行動が、実行直前になると前に決めていたこととは違ってしまうことに注目した。例えば、朝の段階では翌日の早起きを考慮して酒を抜こうと強く決意していても、夜になるとその決意が揺らいで結局深酒してしまったりする。(少なくともぼくはよくやる)。また、1週間前までは、セミナーに出席しようと考えていたのに、前日になったらなんだかんだと自分にいいわけをして参加を取りやめてしまったりする。(ぼくが学会をさぼったら、これだと思って欲しい)。このような一種の「だらしなさ」を、経済学では上品に「時間不整合性」と呼んでいるのだ。こういう性向を持つ人は、事前に酒を処分してしまったり、セミナーのお金を払いこんでしまったり、というコミットメントをしたほうが効用が大きいのである。

「時間不整合性」という人間の性向を、「人間ってだらしないよね」の一言で済ませず、経済学者たちはそこに一種の「理由付け」や「法則性」を見出そうとする。このような探求心をあほらしいと思うか思わないかは個人の自由だけれど、不確実現象を「世の中、でたらめで不規則だね」で済ませず、そこにも法則性を見出して壮大な確率理論を構築した数学者たちの営為などは参考になるかもしれない。

さて、研究の積み重ねの中で、このような「時間不整合性」を最も上手に定式化できる方法は、時間割引率を利用することじゃないか、とわかってきた。時間割引率とは、「時間的にずれて手に入る二つの利益を、共通の価値尺度で比較する」ための方法論である。

まず、「定番」の考え方を先に紹介しておこう。詳しくは、飯田さんの記事(これこれ)を参考にしてほしいが、簡単にいうとそれは、「1より小さい割引率をそれが手に入るまでの年数の分だけ掛け算する」、という計算方法だ。

例えば、今すぐに手に入る10万円と1年後に絶対確実に手に入る15万円のどっちか一方だけの選択を迫られた場合、あなたは1年後の金額に「あなた固有の」割引率を掛けて、現在の価値に直して比較すればいい。あなたの割引率が0.8なら、15万円×0.8=12万円が1年後の15万円のあなたにとっての「現在の価値」だから、あなたは1年待つことを選ぶのだ。(ちなみに今は、預金利子率の存在は無視している) 。

大事なのは、このような割引の仕方は、「時間整合性」を備えている、という点だ。

例えば、今年の10万円と1年後の15万円を現在の価値に直して比較して後者のほうが好ましいなら、5年後の10万円と6年後の15万円を現在において比較しても同じなのである。だって、前者には割引率を5回掛け、後者には6回掛けて比較するんだから、どどのつまり掛け算の回数の違いは1回分だけで、どちらが大きいかは現在と1年後の比較結果に帰着されるからだ。つまり、あなたがこのような比較を心の中で採用しているなら、5年後と6年後についての判断は、時間が経過した末に「今年と来年の比較」と変わっても、なんら変更がなされることはないのである。このような計算は「指数割引」と呼ばれ、「時間整合性」を持っている選好なのである。

ところが、人間ってやつは、どうもこうじゃない比較の仕方をしているらしい、ということが、実験によってだんだん明らかになってきた。そして、「双曲割引」と呼ばれる別の計算方法のほうが、ある種の人間の嗜好・性癖を上手に説明できることがわかったのだ。このことについて、経済学だけでなく心理学や生物学や生理学などからのアプローチも取り込んで解説しているすごく面白い本が、エインズリー『誘惑される意志』[*2]である。是非、お読みになることをお勧めしたい。(特に意志の弱さでお困りのあなたに) 。

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ここでは、双曲割引を「少し先のことを割り引くときに掛け算する数と、間近なことを割り引くときに掛け算する数とが違う」という簡易版の形で解説しよう[*3]。例えば、あなたは来年の利益には0.6を掛け算して割り引くが、それより先のことには0.8を掛けて割り引くとしよう。このとき、2008年に手に入る10万円と2009年に手に入る15万円のどちらをあなたが選ぶかを考えてみる。

まず1年後の2008年時点でのあなたの意志決定を見ておこう。2008年現在の翌年2009年に手に入る15万円の現在価値は15×0.6=9万円。これはこの時点で手に入る10万円よりも少額だから、あなたはこの時点での10万円のほうを選ぶだろう。ところが、2007年時点の判断はこれとは異なっている。来年である2008年の10万円の現在価値は10×0.6=6万円、再来年である2009年の15万円の現在価値は15×0.8×0.6=7.2万円。したがって、2007年時点でのあなたは2009年の15万円を待とうと決めているはずなのである。

もしもあなたがこのような双曲割引を心に巣くわせているなら、あなたの行動は外部にはひどく「だらしない」ものに映ることだろう。2007年には2009年まで待って15万円をゲットする、と宣言しておきながら、2008年になると前言撤回して10万円に手を出してしまうからだ。

このような時間不整合な選好が、消費者金融の世界で深刻な問題を引き起こす可能性を持つことを、日経新聞(2007.6/15)の「経済教室」で大阪大学の筒井義郎が論説している。彼は、晝間、大竹、池田との共同研究によって、無視できない人数の多重債務の経験者にこのような双曲割引の選好があることをつきとめたのだ。(論文/pdf はこれ)

なぜ、多重債務者がこのような双曲割引の選好を持っているかをさっきの例から説明してみよう。今、あなたは、2008年に10万円を借りて2009年に15万円を返済するローン契約のことが念頭にあるとする[*4]。2007年の時点ではあなたは、「こんなローンに手を出すものか」、と考えている。なぜなら、2008年の10万円よりも2009年の15万円のほうが価値(現在価値)が大きいからだ。ところが、2008年になると、さきほど説明したように価値が逆転するので、あなたはローンに手を出してしまうのである。

もしも、多重債務者がこのような時間不整合性を持っていて、さらになんらかの方法でそういう人たちを見分けることができるなら、そういう人々には貸し付けをしないような規制が効果的である。それは、ローン会社の貸し倒れが少なくなるという意味だけでなく、時間不整合な人たちに対しては「ローンを借りられない」というコミットメントとして働くことで、彼らの厚生も高めるのである。これは、「誘惑のコスト」で解説してきた「コミットメントの効用」と同じで効果である。

しかし、このような人たちの選別は技術的に難しく、人権上も問題であることを筒井は指摘する。そして、どの人がそういう債務者であるか見わけがつかないというのが一般的であるような状況下では、少なくとも上限金利規制は有効でない、という主張をしている[*5]。それは、上限金利の法規制によって消費者ローンそのものが成り立たなくなったとき、時間不整合な嗜好を持つ人々(あるいは誘惑のコストに直面する人々)に与えるコミットメントによる効用増と、ローンによって消費の柔軟化を享受している健全なローンユーザーの被る不効用とのかねあい次第では、社会の厚生がかえって低まる可能性があるからなのである。

* * * * *

[*1]Strotz, R.H.,``Myopia and Inconsistency in Dynamic Utility Maximization'' Review of Economic Studies, XXIII(1956),193-205.
[*2]ジョージ・エインズリー『誘惑される意志』山形浩生訳 NTT出版2006年。
[*3]比較的最近の研究であるLaibsonのThe Quaterly Journal of Economics1997やEconometrica2001の論文ではこの簡易版を利用している。正式な双曲割引率の定義は、以下のようなものである。
(n年後の利益に掛け算する数)=1÷(α+β×n) (ただし、α、βは個人的な正の定数)
[*4] 年利子率50パーセントは違法だが細かいことは気にしないように。
[*5]ちゃんと理解するためには、「情報の非対称性」の考え方が必要。勉強したい人は、拙著『MBAミクロ経済学』日経BP社などでどうぞ。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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