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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

実用的な経済学の論理

2008年2月25日

(これまでの 飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」はこちら。

 物事を考えるときには論理的でなくてはならない……これはだれもが考える思考の指針といってよいでしょう.しかし,その一方で「理屈ばかりじゃ役に立たない」ともいわれます.これは実用性のある思考法の基礎を上手く言い当てているかもしれません.論理の王様は演繹法です.しかし,この演繹法にはふたつの欠点があります.ひとつが「演繹法は前提の言い換えにすぎないため新しいアイデアを生まない」というもの,もうひとつが「演繹法から得られる結論の"正しさ"を支える"前提"の正当性をどのように保証するのかという問題です.

 演繹的な色彩の強い経済学は,演繹法の利点とその限界をどのように克服して(というよりも,どう折り合いを付けて)その結論を紡ぎ出しているのでしょう.

 演繹法の「前提」をめぐる問題への第一の対応法が「疑いようのない前提」を探し,その「疑いようのない前提」から論理を出発させるという方法です.これは哲学では基礎づけ主義と呼ばれます.経済学の世界でもこれと類似の方向性が模索されることがあります.

 例えば,「自由貿易は当事国双方をより幸福にする」という主張は経済学者ならだれしもが受容している結論です[*1].かくも一致した結論に至ることができるのは,それがデータや直観,経験ではなく「疑いようのない前提(と誰もが思っていること)」を前提にした演繹論理から導くことが出来るためです.では,「自由貿易は当事国双方をより幸福にする」を論理的に導いてみましょう.

前提1:自由貿易とは国境を越えた当事者間の自由意思に基づく取引である
前提2:他の誰の満足度も下げずに,だれか一人の満足度が上昇したならばその国の幸福度は向上したといえる

自由意思にもとづく交換が行われるのは「当事者双方[*2]にとって得だから」に他なりません.すると,A国のαさんとB国のβさんの間で取引が行われた(国境を超えた取引なので定義により貿易です)とき,αさんとβさんはそれぞれ満足度を向上させているということになりますね.A国国民のだれの満足度も下げることなくαさんの満足度が上昇しました.したがって,自由貿易はA国を幸福にしました.B国についても状況は同じです.かくして,ふたつの前提から「自由貿易は当事国双方をより幸福にする」という結論が導かれました.

 このような古典的命題だけでなく,現代の経済政策に関しても最小の前提から結論を導くことが出来る場合があります.その好例がネット界で有名なバーナンキの背理法[*3]です.ここでは演繹論理のツールである背理法を使ってみましょう.ここで必要になる前提は,「日本国政府が徴税無しに無限に支出を増やし続けることは出来ない」のみです.

仮定:政府または日本銀行がマネーを発行し資産を買い続けても物価は上がらない

もし仮定が正しいならば,政府は原価20円の印刷物(要するに一万円札)1枚で1万円分の資産を購入し続けることが出来る.1万円を発行するごとに9980円の利益が発生する.これを永遠に繰り返せば,いくら財政支出をしても政府は赤字にはならない.しかし,そんなことはあり得ないだろう.したがって,仮定は誤りであり,「政府または日本銀行がマネーを発行し資産を買い入れ続けると物価は上がる」ということになります.

基礎づけ主義に立脚した経済学研究の方向は,

(1)これまでの理論より少ない前提から同様の結論を導く
(2)これまでの理論と同じ前提でより興味深い結論が導く

という方向性に向かうことになります.演繹法は前提に全面依存していますから,その依存先は少なければ少ない方がよい.そして,同じだけの前提を用いるならばより豊かな結論を得られた方がよいというのは当然の評価でしょう.この方向性の亜種として,ごく少数の前提を足したことによって圧倒的に強力な結論が得られるようになる理論を探るという研究も盛んです.

 しかし,基礎づけ主義にも限界があります.例えば,貿易の例では自由意思の存在を無邪気に仮定しましたが,果たして人間に自由意思などあるのでしょうか.そこまで哲学的な話に走らずとも,「他の誰の満足度も下げずに,だれか一人の満足度が上昇」という前提は正しいでしょうか.例えば,自分以外の誰かが幸せになると自分の幸福度が下がるという人もいるかもしれません.バーナンキの背理法についても,もしかしたら無税国家があり得るかも知れないじゃないですか.

 このように考え始めると,基礎づけ主義はさらなる基礎の基礎,そして基礎の基礎の基礎をさがして無限退行してしまいます.哲学の世界ならばいざ知らず,政策運営や企業経営に密接に関わる経済学にそのような回り道を続ける余裕はありません.

 そこで,登場するのがデータや経験,歴史によって前提の成立を確認するという帰納法的な方法論です.帰納法の力を借りると,これまで出発点にしてきた「疑いようのない前提」からの出発にかわって,「実証分析によって正当化できる前提」から演繹論理をスタートさせることが出来ます.例えば,個々の企業や個人の経済データ,またはアンケート調査,経済実験によって確認された結論からはこれまでよりも充実した結論を紡ぎ出すことが出来ます.

 しかし,前提の中にはデータで正当化できない種類のものも多いでしょう.自由意思の有無なんてデータで確認しようがありません.データによる前提の確認が出来ないならどうしたらよいか……無限の基礎づけ主義に戻るしかないのでしょうか? それとも論理的な理解自体をあきらめざるを得ないのでしょうか?

 ご安心下さい.経済学は(というよりも実践的な思考は)そんなにやわではありません.


***************
*1 余談ですが経済学者の意見が綺麗に一致することはそれほど多くありません.後述する帰納法に助けられた論理にはどうしても異見がつきまといます.実際,経済学者が完全に一致して指示する命題の大半はこの基礎づけ主義的に導かれたものです.
*2 厳密には少なくともどちらか一方
*3 バーナンキ(Ben Shalom Bernanke, FRB議長).バーナンキの講演録に由来するため日本のネット界では「バーナンキの背理法」と呼ばれているが,当然ながら,海外では(あまりにも当たり前のことのためか?)誰も知らないみたい.

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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