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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

遺産の3つの動機と機会の平等

2008年4月14日

引き続き前回取り上げた100円取り合いじゃんけんを題材に格差と平等について考えていきましょう.競争のルールは「じゃんけんの勝ち負けで100円を取り合うが破産したらゲームオーバー」という至って簡単なものです.果たしてこのゲームは「機会の平等」が保証されていると言えるでしょうか.

「機会の平等が整備されていない」サイドの第一の根拠は,ゲームを繰り返すことで初期資産の差がそのまま勝利確率の差になるところです.

これに対する「機会の平等がある」の反論は,ゲーム開始前の「元手」もそれまでの当人の選択の結果なのだからしょうがないというものになります.

どちらの「言い分」が正しいかを考えるためには,「ゲーム開始時点の元手が当人の選択の結果」とは到底言えない状況……親族からの遺産を考えると良いでしょう.

私たち(といっても筆者自身はまだ意識したことはないですが)はなぜ遺産を残すのでしょう.貯蓄と消費に関する代表的な仮説から考えてみましょう.

第一の仮説は王朝仮説と呼ばれます.王朝仮説は私たちは生物学的な個人の満足度ではなく,自分の子孫の満足度まで含めて行動している点を重視します.私は私のために行動しているのではなく,「今後続くであろう飯田家[*1]」のために行動しているというわけです.

私たちが貯蓄を行うのは,将来のいずれかの時点での消費のためです.今ではなくX年後に使った方が満足度が高いからといったそろばん勘定のこともあるでしょうし,何年後かはわかりませんが何かのショックや事件で収入が途絶えるといったリスクへの備えということもあるでしょう.

遺産の主要な動機が王朝仮説だとしたなら将来の自分にむけての貯蓄も,将来の子孫に対する遺産もその意味は単語が違うだけで同じことだと考えます.この時,存命中の資産も遺産も同じことです.すると,遺産にのみ特別な税金を課す相続税には根拠がないことになります.

ここで100円ゲームの機会の平等に話を戻しましょう.王朝仮説に従うとゲームの参加者は「飯田泰之」ではなく,連綿と受け継がれてきた「飯田一族」です.そして飯田一族のある時点の資産はこれまでの飯田一族の行動・選択の結果ですから,ワンショット毎のゲームが平等に行われてさえいれば機会の平等は達成されているということになるでしょう.

第二の仮説はライフサイクル仮説と呼ばれます.王朝仮説とは対照的に,ここでの主体は個人です.典型的なケースとしては,若いときは所得が低い一方で学費などの自己投資や住宅購入に資金が必要なため借り入れ,壮年期には借り入れの返済と老後に備えての貯蓄,そして老年期には貯蓄の取り崩しを行います.この場合貯蓄は自分の満足度のためにのみ行われます.

人間の寿命が完全にわかっているとしたならば……ライフサイクル仮説に従うと人は自分が死ぬ「その日」に手持ちの金を使い切っておわります.もちろん現実にはそんなことはありません.私たちは長生きをしてしまうリスク(?)を考えて老後の備えをしなければならないのです.特に戦後の日本のように平均寿命が急速に延び続けているような状況では「自分が100歳,120歳まで生きてしまう危険性」を考慮して貯蓄をしておく必要があります.

しかし,残念なことに「自分が100歳,120歳まで生きてしまう危険性」に備えたとしてもほとんどの人の場合,それは杞憂に終わります.平成18年現在,日本の平均寿命は男で79歳,女で85歳[*2]に過ぎません.その結果,多くの人は「自分のために積み立てた貯金」を使い終わらないうちに死んでしまいます.

ライフサイクル仮説にしたがうと,思ったより早くに死んだことによって「間違えて余ってしまった貯蓄」が遺産なのです.ミスによって余ったお金がその子供のものになるべきだという理由はないでしょう.そう.王朝仮説とは正反対にライフサイクル仮説に従った行動の結果として生じる遺産については,相続に根拠がないのです.

この場合,相続という制度がある限り[*2]100円ゲームにおいて機会の平等は保証されていないと言うことになります.したがって,機会の平等の第一歩として「相続税を100%にする」必要があるでしょう.

この他,戦略的な動機による遺産もあるでしょう.多くの遺産があると自分の子孫からのサービス,例えば頻繁に孫を連れて実家に来る,身の回りの世話などを引き出すことが出来る……だから遺産を野残そうとするという仮説です.これは遺産によってサービスを購入しているという発想です.この場合,X氏の子供達はX氏への子孫からのサービスの独占供給者(少なくとも寡占的供給者の一人)ということになる.お金持ちへのサービスの独占供給者であることは重要な経営資源ですから,これも初期資産の不平等の元と言うことになるでしょう.

日本の場合,個人の貯蓄・消費行動はライフサイクル仮説で説明される割合が多いと言われます.では,ライフサイクル仮説に従って相続税は100%,またはそこまで行かずとも大増税!という結論でよいのでしょうか……先に答えを書いてしまうと,そうは簡単ではありません[*3].

やはり「機会の平等」の話は一筋縄ではいかないのです.


*1 ただし「僕以降の飯田家」は現在お家存続の危機に瀕しています.
*2 生前贈与については簡単のため捨象しましょう.親の消費的支出(親が見栄を張るために高等教育をうけさせる等)が子供の初期(人的)資産に影響するというケースがあるため問題はそれほど単純ではありませんが……まずは単純なモノから考える必要があります.なお,生前贈与や消費的支出による初期資産の差は下の戦略的動機と同様にも解釈できます.
*3 筆者自身は相続税の大幅増税が必要だと思っていますが,その理由は今のところ経済学的な根拠が明確なものではありません.

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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