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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

経験則の落とし穴

2008年3月 4日

 経済学は経験科学です。したがってその論理の出発点はいつでも経験的な、データに基づいた[*]モノである必要があります。帰納的な抽出を基礎とするには、前回のように論理の出発点となる前提をデータから導くという方法が直接的でしょう。しかし、現代の経済学を支える前提のなかには、データでの検証が困難なもの、そもそも数量的にはどういう意味なのかがわからないものがあります。

 ここで必要になるのが、「データによる思考方法」の逆転です。論理の出発点をデータから定めるのではなく、論理が導く帰結……特にデータによって理論が現実を説明していることを確かめた方が楽じゃありませんか?  この見解に従うと、例えばマクロ経済学ならば、財政政策や金融政策の効果についてもっとも「高い説明力を持つ」ものが正しい論理ということになります。1950年代から1970年代にかけて、マクロ経済学とそれを用いた政策分析の花形は(当時は経験則に近い)IS-LMモデルにさまざまな要素を加えたマクロ計量モデルでした。実際、過去のデータで検証する限りマクロ計量モデル、特に大型のマクロ計量モデルは政策効果などについてなかなかの説明力を有しています。

 しかし、「データによって理論が現実を説明していることを確かめられたなら、それは正しい理論である」という理解には大きな問題があります。この問題に「はまって」しまったのが他ならぬ筆者が専門とするマクロ経済学の分野です。

 旧世代のマクロモデルでは、GDPと消費・投資の関係、利子率と投資の関係などを統計的に分析し、予想ツールとして利用してきました。しかし、現代では(少なくとも政策立案の道具としては)この種のマクロモデルは顧みられなくなってきています。なぜならば、GDPも投資・消費も、さらには利子率も内生変数だからです。システムの中で「決定される」変数を内生変数と呼びます。その一方で、システムの外から「決まってしまう」変数のうち、内生変数に影響を与えるものを外生変数と呼びます。このうち内生変数同士の統計的関係は政策分析ツールとしては何の役にもたちません。

 これを理解するために、使い古された例ですが、ナマズと地震の例を考えてみましょう。「ナマズが騒ぐと地震が起きる」のはどうも統計的には確かなようです。しかし、池の水をかき回してナマズを騒がせてみたところで地震は起きません。「ナマズが騒ぐ」と「地震が起きる」はともに内生変数なのです。したがって内生変数である「地震が起きる」という状態をおこす(普通は防ぐ)ためには、ナマズ・地震という内生変数の変化を引き起こす外生変数を捜さなければなりません。

 さらにやっかいなことに経済政策においては政策の実行そのものが「内生変数間の関係」を変化させてしまうことがあります。(ナマズの例では少なくとも地震予知に関してはこの関係は有用だったのですが)こうなると「これまでの内生変数間の関係」を観察することに何の意味もないということになります。

 過去のデータを見ると消費とGDPの間にはかなり高い相関関係があります。そこで、消費を増やすために消費税の減税をしたとしましょう。しかし、その一方で財政赤字の拡大を防ぐために投資課税をしたとする……消費が有利になり、投資が不利になるのですから消費は増加し、投資は減少するでしょう。GDPは主に消費と投資の合計から構成されています。すると、消費減税によるGDPの引き上げは投資の停滞で打ち消されてしまいますから「消費とGDPの間にはかなり高い相関関係」は消滅してしまうのです。

 ビジネスでの意思決定において経験則は重要です。しかし、ともすると経験則は内生変数間の相関をあぶり出しただけのモノに過ぎないかも知れません。もし、あなたの心の内にある経験則が内生変数間の相関に過ぎないとしたならば、それに基づいて何か新しいプロジェクトを考えることは出来ないのです。

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* 拙著『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)で強調したように、個々人の経験や歴史的事実は重要なデータです。数値化されたデータは扱いやすいため重宝ですが、数値データのみがデータというわけでもないのです。余談ですが,アメリカの主要な入門テキストを見ると、具体的な事例と統計データがふんだんに使われていることに驚かされます。それならば、我々大学教員も講義の際に英語圏のテキストを使えばいいじゃないかと思うかも知れません。しかし、日本の大学では週1回90分の講義の中ででミクロ経済学(またはマクロ経済学)の入門的な内容を終えなければなりません。私自身はそれなりに努力はしているつもりなのですが、このような時間数だけではとても実証的な話題にまで話を広げることは出来ません。さらには、日本語で経済学を学ぶ人間の人口が少ないため、出版社側としても実証的な視点まで含まれた大著を出版する気にはそうそうなれないでしょう。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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