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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

メニューコスト(?)と政策の難しさ

2008年1月23日

 私たちの多くはほとんどの問題について「しっかり考えて」判断してなんかいません。たいていは「なんとなく」、時には「みんながそういっているから」という理由で判断しているのではないでしょう。その軽忽さを批判するのは……それこそ軽忽なことです。思考すること、調査することにも有形無形のコストがかかる。たいしたリターンが期待できないことについて一生懸命考えないというのはある意味合理的なのです。本連載の第12回にも書いたように一見愚かな行動が合理的だという例は少なくないのです。

■政策は誰が決めるのか

 思考にさえコストが伴うのです。いわんや行動をや。思考や行動にコストが要される時、社会全体の意思決定は深刻な問題を抱えることがあります。この種の意思決定問題について経済学者が好んで用いる例が農業保護政策への賛否の問題です。

 海外から安い米が輸入できるようになると消費者は得します。その一方で、米の生産者は自分が作っている作物が売れなくなって損をする。ここで、政策立案者は「消費者の得」と「生産者の損」を天秤に掛けて政策決定をしなければなりません。(仮に消費者の得と生産者の得がともに金銭表示可能ならば[*1])経済理論から導かれる標準的な結論は、トータルで見ると消費者の得の方が大きいというものです[*2]。

 ここでの問題は「消費者1人当たりの得」は大したモノではないという点です。米の値段が少しばかり安くなったところで年間に節約できる金額はたかが知れているでしょう。私たちは年間60kgほどの米を消費します。すると、10kgの米が1000円安くなったところで年間の「得する額」は6000円、仮に四人世帯としても年間24000円です。これを無視できるほどの額とは思いませんが、年数万円のために政治運動をしたり、政治家や役所に陳情するという人はあまりいないでしょう。その結果、「消費者の利益のために米を自由化せよ!」という意見が政治に届くことはほとんどありません。

 その一方で、農家にとって農作物の完全自由化は死活問題です。先祖から受け継いできた農業を辞めざるを得なくなるかもしれない瀬戸際なのです。自分自身にとってこれほど重要な問題を前にして黙ってはいられないという人は多い。その結果、「農作物輸入自由化反対論」は政治・官僚を動かす力を持ち得ると言うことになります。

■政治家・評論家のジレンマ

 このような状況で、望ましい問題の解決は

・国民全体でのトータルの損得を計算し
・その損得勘定を国民に納得のいく形で説明し
・政策による損失を補填する

ということになるでしょう。このような損得計算をを命じそれを説明していくのが政治家の本来の仕事、民間レベルでは評論家やコメンテーターの仕事です。

 しかし、ここに政治家、そして評論家という仕事の難しさがあります。政治家は選挙に落ちればただの人、発言機会のない評論家はそれ以下かも知れません。その結果、強い政治力を持つ団体の意向に逆らうような提案を行うのは容易なことではありません。

 政治家や評論家が「政治家や評論家であり続ける」ためには、政治家も評論家も元々期待されていた役割を離れざるを得ないことがある。ここに人気商売の大きなジレンマがあります。


*1 (経済学をかじったことがある人へ……要するにここでしているのは余剰分析による貿易利益の話です)。農業従事者の他部門への転職といった人材配置の変化まで考慮するとこのような仮定を使わないでも自由貿易の良さを証明できます(こちらは比較優位説の話)。

*2 「外国産米が自由に輸入されることで安全で美味しい日本の米が食べられなくなってしまう」という論点に思い至った方があるかも知れません。しかし、この意見は全くもって誤りです。なぜ誤りなのか(ちょっとした思考コストをおかけすることにはなりますが^^)考えてみてください。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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