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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

思考のコストと空気の支配

2008年1月15日

(これまでの 飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」はこちら。

人々の思考を支配するのは利害と観念だ……いわれてみればそんな気がします。でも、ちょっと待ってください。朝青龍は横綱にふさわしいかどうかといった話題から、京都議定書での目標水準達成のために何をすべきか、アメリカの中東政策を支援すべきか否か、もっと大きく出ると改憲の是非まで……世の中にはもう私なんかのアタマじゃ到底処理できないくらいいろいろな問題があるもんです。こんな多種多様、そして膨大な問題のすみからすみまで「利害」「観念」によって判断している人なんているんでしょうか。

■思考だってタダじゃない

「思考を決定するのは利害と観念だ」というのは……せいぜい、仮に私たちが考えに考えた末判断をするというとき、その基礎になるのは利害と観念だということでしょう。しかし、私たちは世の中のほとんどの問題に関して「考えに考えた末」の判断なんか下しちゃいません。ほとんどの問題について私たちの判断の基礎となるのはフィーリングです。拙著『ダメな議論』(ちくま新書)では、山本七平氏にならってこれを「空気」と呼びました。

私たちの判断は「空気」に支配されている。よくよく考えてみると空気に従って非合理的な判断を下していることが多いにもかかわらず、私たちがそれを改めないのはなぜでしょう。

ここで多くの論者が見落としているように感じるのが、思考はタダじゃないという点です。第一に、なんらかの問題を考えるには時間が必要です。時間がタダじゃないのは本連載でも繰り返し登場した機会費用の概念を思い出していただければすぐに理解できるでしょう。それに加えて、難しいことを考えること自体が一種の労苦です。自分自身を振り返ってみても(いろいろなことを考えるのが仕事ではあるんですが)、自分の趣味に合う話題以外について熟慮するのはやっぱりめんどくさい。

このように思考にコストがかかる場合、私たちは(そのコストに見合うだけのリターンが予想できなければ)わざわざ理屈っぽく考えて結論を出したりはしないものです。

マクロ経済学で大きな役割を果たすものに「メニュー・コスト」という考え方があります。価格変更にコストがかかる(たとえば価格改訂の告知やカタログを刷り直すなど)場合には価格改訂は頻繁には行われない……これが経済全体での価格硬直化の原因になるというわけです。あまりにも当然な話と思うかも知れませんが、メニュー・コストの理論の面白いところは、ごく小さなメニュー・コストがかなり大きな価格硬直性の原因になるとことにあります。その原因が実質硬直性です。個々の企業にとって経済情勢の変化に対応して価格を変更することにあまり利益がないならば、ごく小さいメニュー・コストが大きな景気変動の原因になることすらあるというわけ。

空気による思考の支配はこのメニュー・コストの条件と非常に似た構造をもっています。政治や行政の問題について、自分1人が意見を変えたところで世の中に対してほとんど影響はありません。つまりは、コストをかけて思考することの予想収益はほとんどゼロなのです。このような時、ほとんどの人は(合理的に!)深く考えずに空気にしたがった判断をすることになるのです。

■政策だって空気で決まる

政策は世論から大きな影響を受けます。私は「経済政策の巧拙は経済成長率を大きく変化させる」と考えています。

90年代の日本の経済成長は年率1%程度でした。仮に十分上手な経済政策が行われたとしても平均的に4%以上成長し続けたってことはないでしょう[*1]。まぁ仮に経済政策がうまくいったときの経済成長率は他の先進国の実績と同じ3%くらいだと考えましょう。年率1%成長と3%成長で私たちの生活にはどれだけの差があるのでしょう。

バブル崩壊時の91年の実質GDPを100とすると2006年のGDPはその1.2倍です。仮に91年から平均3%の成長か続いたならばGDPは1.56倍ほどになっているはずです。15年間での損失を合計すると91年のGDPの2.8年分(2006年のGDPの実際のGDPの2.4年分)もの損をしたということになります。

GDPは国内経済主体にとっての所得ですから私たちはこの15年で2年以上の年収にあたる金額の損を引いている……近年日本の経済的地位の低下が大きな話題になっていますが、日本人全員が2年分の年収を失ってしまったのですから貧乏になるのも当たり前です。

経済政策の巧拙がこんなにも大きな所得の差に結びつくにもかかわらず、経済政策がそこまでの関心を集めないのはなぜでしょう。

ここで注目に値するのが日本人は成人だけでも1億人近くいるという当たり前の事実です。自分1人が意見を変えたところで世論に対する影響は1億分の1……100万分の1にすぎません。

91年に年収500万円だった人にとって、経済政策運営が不味かったことによる被害額は1400万円です。自分が有効な経済政策を指示することによって政策が変わる可能性が仮に1万分の1上がる[*2]とすると……正しい経済政策を知ることの期待利得は1400円にすぎないのです。

1400円のために真剣に悩み、勉強し、自分の意見を決めるという人はいないでしょう[*2]。かくして経済政策は空気によってきまり、2年分の年収が失われていくことになるのです。

*1 これは他の先進国の成長率などから考えた「ドタ勘」なので十分な根拠がある話ではありません。
*2 経済学や経済論壇そのものに関心があるという人はその限りではありません。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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