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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

主張・意見はどこから来るのか

2008年1月 8日

(これまでの 飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」はこちら。

私自身の経済学観は「経済学とは目的達成のための手段・技術を開発するツールである」というものです。このような経済学観にしたがうと経済政策に関して経済学は「○○という政策が良い」「××という政策を行うべきだ」という主張は出来ないと言うことになります。経済学を使って示すことが出来るのは「△△の達成には○○がもっとも安上がりだ」「××という方法は時間がかかる」という技術的な問題になります。

このように説明すると、ずいぶんと経済学の世界を矮小化していると考えるかも知れません。しかし、少なくとも私は、これこそが経済学の最も優れた性質だと考えています。それ以上に、感情を超えた「○○という政策が良い」「××という政策を行うべきだ」という主張は不可能なのではないかとすら感じるのです。

この問題を考えるために、今回からはしばし狭義の経済学を離れてしばし個人の信念、さらには(理想的には)その集計値である世論とは何かについて考えてみましょう。


■利益か目標か

意見や主張を決めるふたつの要因は、利益と観念といわれます。

自分にとって有利なこと、得になること、少なくとも発言者本人がそう思いこんでいることを主張するというのは契約における当然の行為です。「Xによって自分が得をする」から「Xであるべきだ」というわけ。一方で、「Xが正しい[*1]」から「Xが行われるべきだ」という形式で自身の見解が決定される場合もあります。これが観念による見解の決定です。

前者について追加的な説明は必要ないでしょう。問題は後者の観念による決定です。「Xが正しい/正しくない」という判断を下すためにはなんらかの基準が必要です。すると、観念による決定の裏には、個人の利益を超えた共通の目的・目標が暗に設定されているということになります。

しかし、個人の利益を超えた「高次の目的・目標」について全ての人が一致した見解を持っているというケースは稀です[*2]。では個々人の心の中にある「高次の目的・目標」はどのように決まっているのでしょう。例えば、租税政策の決定において「全ての人に公平な負担が求められる状態」をよいと考えるのか、「より多く稼ぐ人がより多くの負担をする」のをよいと考えるのか……これを決めているのは何なのでしょう。

ここでの決定要因もまた二つに分岐します。

ひとつは、一見「高次の目標」に見えるものの、それを支えているのは自身の利益だというケースです。自分に有利な社会状況やシステムを「高次の目標」と美称しているだけだというのは論壇などでもしばしば見られることでしょう。さらに、無自覚的に自身の利益に適う目標を「正しい」社会の目標であると思いこんでいる場合も少なくないように感じます。

■議論の無限退行を防ぐ

では、利害によって支えられているわけではない目標を支えているのは何でしょう。これはさらに高次の目標(メタ目標)ということになります。そのメタ目標もまた利害もしくはメタメタ目標に、メタメタ目標は……となるとこれはもう何が何だかわからない。議論は無限退行に陥ることになります。

このような理由付けの無限連鎖を回避するにはどうすればよいのでしょう。最も簡単な方法が「目的・目標はせいぜい一段階か二段階までにとどめる」ことです。これは、個人の行動目標の設定においても重要なポイントでしょう。社会や経済・生活に関する問題は、よく考えることも重要ではありますが、それ以上にひとまずの答えを出すことが重要な場合が多いはずです。

このように考えると、様々な提言・提案を聞いたときにそれをどう解釈すべきかについて定型的な手順が導かれるでしょう。

なんらかの提言に出会ったなら、まずはその主張が発言者のどのような利害に支えられているのかを考えるべきです。金融市場関係者のポジショントーク[*3]に代表されるように、直接的な利害に支えられた主張は意外と多いものです。

そして、主張が利害ではなく何らかの目標に支えられているならば、その目標を支える利害、またはさらなるメタ目標を捜しましょう。メタ目標の探索はせいぜい一段階程度にとどめましょう.

利害に支えられた主張が自分にとっての利害と一致するならば、その主張には賛同できると言うことになります。また、目標に支えられた主張についてはその目標を共有できるならば賛成できると言うことになります。

しかし、このような明確な理由付けなしに「信じられている」主張があるのも確かです。経済学者の思考への言及としてもっとも有名なものにケインズ卿の「既得権益よりも危険なのは観念である」という箴言があります。しかし、権益よりも観念よりも危険なものが(日本には?)存在しているのです。


*1 命題の真偽ではなく倫理的な判断における「正しさ」を指します。
*2 むしろあり得ないと言った方がよいと思います。
*3 マーケット関係者が、自分のポジション(どのようか株・債券を保有しているか、または売っているかなど)に有利になる形で市場動向を説明することをポジショントークといいます。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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