このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

そろそろ「実感」より「現実」を見ませんか?

2007年10月22日


(これまでの 飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」はこちら。

いいかげんウザイと言われそうですが、一応お題目のように繰り返しましょう……私たちは自分の置かれた状況を制約条件として自身の便益が最大になるように行動(制約付最大化行動)します。だって、だれだって幸せになりたいですもんね。経済学者はいとも簡単に「経済主体は制約付最大化行動する」って言ってくれちゃいますが、そう簡単なことでもないようで……特に自分が置かれている状況を正確に把握するのはなかなかに難しいそうだし。

■重要さと体感の反比例

どう行動したらよいか、どのように選択を行ったらよいか……その時に大きな導きとなるのが経験です。状況把握においても、過去にくりかえし経験したことのあるものならばそうは難しくはない。しかし、大変困ってしまうことに「重要なことほどその経験回数が少ない」というところです。繰り返し出くわす、要するにルーチンになりがちな状況ってのはそんなに重要な局面じゃないことが多い[*1]。その一方で、自分の人生を左右するような選択の機会はそうは多くない(毎日が生きるか死ぬかという過酷な人生を生きている人もいるかもしれませんが)。にもかかわらず私たちの認識を左右するのは(回数の面で圧倒的に多い)小さく、そして繰り返される選択の経験です。
最近これを実感させるニュースが、ありました。 自身のブログでも取り上げた話なので繰り返しになってしまいますが、最近の物価動向に関してです。
最近、ガソリンや日用品の価格が上昇していることにはみなさんお気づきのことと思います。その一方で、様々な商品の平均的な価格動向を表す消費者物価指数はいまだ前年比で(わずかながら)低下しています。これをもって、「物価指数は現実を表していない」「統計には表れないが現在はすでにインフレ状況である」ってな話がマスコミで喧伝されているようです。
これは、人生がどうのってほど大げさな話じゃないんですが、まさに小さな経験と大きな選択の不突合の問題。
まずは経済統計に不案内な人のために消費者物価を簡単に説明しましょう。現在の消費者物価指数は平成17年[*2]の価格を基準にしています。物価指数を作成するためには、平成17年時点で平均的な家計が買ったものの合計金額を調べます(実際には約8000世帯の平均)。そして現在の物価は「平成17年に買ったものを今月買うと当時の何倍かかるか」という視点で指数化される。例えば、平成17年と同じ種類・量のものを買うのに今だと1.2倍かかるとしたらその間に物価指数は20%上昇したと考えるわけです。また平成17年と同じ買い物をするのに去年は100万円、今年は99万円かかるとしたら年間のインフレ率はマイナス1%です。
さて。物価指数が理解できたところで、現在日本でおきている状況……ガソリンや生鮮食品の価格は上昇しているが、物価指数は下がっているというのはどういう状況なのでしょう。平成17年と同じ量のガソリンや食品を買うのに必要な金額は上昇しています。しかし、それよりもその他の財を買うために要される金額は低下している。つまりは、トータルで見ると平成17年と同じ買い物をするために必要な金額は減っているということになります。
同じだけの満足度を得るために要される金額が減少しているというのですから……これをインフレと呼ぶのはおかしいですよね。

■「実感」ってなんなんでしょう

同じ満足度を得るために必要なコストが低下している……にもかかわらずなんとなく物価が上昇して生活が苦しいと感じるのはなぜでしょう。
第一の理由は、ガソリンや食品は週に何度も買うのに、衣料ならばせいぜい月1回、電化製品に至っては年に数回しか買う機会がないためでしょう。衣料や電化製品が安くなった分の方が「金額としては」大きい。しガソリンや食品を買う度に(毎日のように)「あ! なんか高くなっている」と感じる。その「感覚」が総コスト計算を狂わせてしまっているのです。小さな、そして繰り返される経験には大きな支配力があります。
この他にも、収入が減少していることとコストが上昇していることを混同しているということがあるかもしれません。小さな経験によって形成された実感から、実際の生活の苦しさを「コストが上がっている」ことと錯覚してしまうのです。
「実感」に支配されすぎては、正しい制約付最大化(とそれによってより幸福な生活を送ること)が不可能です。「実感だけで判断してはいけない」という点はビジネススキルとして極めて重要なことなのに、どうも「実感と現実が違うから現実の方を変えろ」という話になりがちなのはなぜなのでしょうか。

* * * * *
*1 もちろんごく普段の業務こそが全ての基礎だ!ってなお説教もわからんではないですが、やっぱり考え込んでなんとかしなきゃならない問題はそう多くはないと思います。
*2 要するに2005年基準なんですが、なぜか官庁統計の世界では元号で書くことになっています。63(昭和)の次が1(平成)になったりするので面倒。なお、本来以下の話は支出シェアの調査をするのですが、理屈は同じなので簡単化して説明しています。

フィードを登録する

前の記事

次の記事

飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

過去の記事

月間アーカイブ