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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

第15回 ちょっとまとめてみようじゃないか

2007年9月17日

本blogでは「経済学の基本発想はライフハック的である」という出発点から,日常生活に生かすことのできる経済学思考を紹介してきました.しかし,本blogのタイトルは「Social Science Hacks!」です.そろそろビジネス,さらには社会問題まで幅広い現実問題のHackに応用していきたいところ.
そこで,これまで散発的に紹介してきたものも含めて,私が考える経済学思考をまとめてから,その具体的な問題への適用へとすすみたいと思います.要するに「いっかいしきりなおしさせて頂戴」ってなわけ.

■僕たちは何をしているか
いきなり哲学的な話題ですが,生きとし生けるものの思考・行動が共通に持っている特徴ってなんなんでしょう.まず僕たちは朝起きて,飯を食って寝ている.ここまでは誰もが同じ.それが人生の全てだという穿ったみかたもありますが,その他にも,ぜいたくをしたいとか,他の誰かを支配したいとか,他人に尊敬されたいとか……逆に他の誰かの役に立ちたいとかいろいろな希望を持ちながら生きています.こういう「目的」の部分は全くもって人それぞれで,共通点などないように感じます.
しかし,ここで「人生いろいろ」と思考停止[*1]していては社会問題はもとより,経済・ビジネスの問題は「わからないまま」で終わってしまいます.なんとか共通の,悪く言えば十把一絡げで扱える「基礎」のような部分はないでしょうか.
ここで経済学[*2]が用いる基礎が「人は”より満足しよう”として行動する」というものです.他の条件を一定にすれば,貧乏よりは金持ちが言い,つらいより楽な方がいい,気持ち悪いより気持ちいい方がいいというわけです.
こう書くと「なんだか経済学って卑賤な学問だな」と思われるかも知れない.実際,その程度の認識で経済学を批判する人もいる.でも,経済学は別に「金持ちは貧乏人より正しい」とか「つらい仕事には意味がない」なんて価値判断の話をしているんじゃないんです.客観的な「人生の目的」を探るのは大作業です.大作業すぎていつ答えが出るんだかわからない[*3].だから,とりあえずは「大問題を解決しないでも答えを出せる問題から優先的に処理していこうじゃないか」と考えているのです.
みんなの幸せのために毎日しかめっ面でを考えている……けれど具体的には何もしてくれない人,みんなのことなんてたま~にしか考えないけどとりあえずたまに寄付をしてくれる人がいたとき.どっちが「みんなのため」になっているでしょう.間違いなく後者じゃあないでしょうか.

■問題は制約付最大化
みんながみんな好き放題に満足度を高めていけるなら……なにも問題はありません.でも世の中そうは上手くできていない.ごく一部の例外を除くと,僕たちを満足させてくれるものは稀少です.要するに全員に好きなだけ配るほどには存在しない.そんなとき,「いいもの」を手に入れるためには,なんらかの対価が必要です.すると,僕たちの満足度追求は一定の制約の下に行わざるを得ない.
例えば,美味しいご飯を食べて満足しようと思えばお金を払わなきゃならない.お金を稼ぐためには働かなきゃならないけど,給料はその人の能力で決まってしまっています.1日は24時間しかいないので稼ぐといっても限度があります.能力を向上させるための学習や訓練だって時間というコストが必要です.
すると,僕たちの人生は「時間[*4]という条件の下で満足度を最大化する活動」とまとめることが出来ます.これでは話が大きすぎるというならば,僕たちの日常の行動は「現在の財産・能力という条件の下で満足度を最大化する活動」だというように言い換えても言い.これで,複雑に見えた人間の行動をある程度分析可能な形にまで整理できたというわけです.

■インセンティブと二つの方向
制約の下で満足度を上昇させていくと言う話をひとつひとつの選択と行動に反映すると,「費用より便益が高いことをして,便益よりも費用の方が高いようなことはしない」となります.これが,エコノミストがよく使う「インセンティブ」という単語の正体です.
経済学にはPositive Analysis(事実解明的分析)とNormative Analysis(規範的分析)という二つの方向があります.現代の経済学は現実の経済がどうなっているのか,様々な政策がどのような影響を持つかというポジティブ分析が主流です.ポジティブ分析では,人々は各々の制約の中でせいいっぱい満足度を追求しているという前提を用います.一方,ノーマティブ分析では「より満足するためにはどうすればよいのか」という問題が設定できる.その意味で,ノーマティブな分析は経営学的な発想を持っているといえます.
次回からしばらくは,ノーマティブな視点から経済学を使ってビジネスと日常をHackしていきましょう.

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*1 この種の思考停止は,時に「総合的な思考法」という美称を身に纏って登場します.結局は「世の中いろいろだ」という程度の話をいろいろとむつかしい単語で語ってお代を頂戴する便法に思えてしかたがないのですが,いかがでしょう.
*2 現在では経済学にとどまらず,多くの行動科学がこの方針を採用しています.
*3 「人生の意味」という大問題について(僕が思う)最も説得的な「答え」は,映画"Monty Python's Meaning of Life"(邦題『モンティパイソン:人生狂騒曲』)で提示されています.ぜひ一見されることをお勧めします.
*4 正確には時間と親などから譲り受ける財産を使って.

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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