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飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」

気鋭の若手経済学者が、社会問題・経済問題を、Hacks的な手法を用いて、その解決策を探る。

第14回 昨日を生きるな明日を生きろ

2007年9月 3日

(飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」第13回より続く)

Hacksツールを使って経済を考えようという趣旨で書き始めておきながら……いつのまにか経済学ツールを使ってLife Hackする話になってしまいました。もう開き直ってこっちの路線でやろうかとおもいます。すいません。

Life Hackに役立つ経済学の思考法としてわすれてならないのが費用便益分析です。費用といっても金銭的なモノだけではありません。目に見えない費用である機会費用もあれば、心理的負担という費用だってあります。便益についても、もちろん、金銭的なものだけではないでしょう。しかし、金銭的なものにせよ、そうでないにせよ!「より大きな満足度を得るためには、費用を抑え、便益をあげる必要がある」という点にかわりはありません。

■費用便益分析……できてますか?

費用便益分析の基本は、「ある行動がもたらす便益がそのための費用を上回っていれば……やるべきだ」という至極単純なお話しです。でも、この単純なことがどうも出来ないことってあるんですよね。

1万円の入場料を払ってテーマパークに入ってみたもののアトラクションのほとんどが改装中。稼働しているモノも時代遅れ……どう考えても楽しめない。むしろタダでも時間の無駄(経済学的には機会費用分のムダ!というわけです)だというとき! あなたは、どちらの選択肢を選びますか?
A:これ以上ここにとどまっても時間の無駄なんだからさっさと別のとこに行く」
B:1万円払っちゃったんだからしょうがないけどなんとか楽しもうと努力する」
さて、AとBの選択肢どちらが優れているかを費用と便益を比べながら考えてみましょう。
Aの便益-Aの費用
=(別の場所で得られる楽しさ)-(別の場所で遊ぶのにかかるコスト)-1万円
Bの便益-Bの費用
=(このテーマパークで得られる楽しさ)-1万円

AとBとの便益と費用の差(これを純便益といいます)を考えると、ふと気づくところがありませんか? 既に支払ってしまった1万円分は、A、Bどちらを選ぼうと返ってくることはないので……1万円分マイナスは両方に共通しています。ということは……AとBの二つの選択肢を比べる際にはすでに支払ってしまった1万円は「関係ない」ということになるのです。

このように、どうしてももう返ってこない費用をサンクコスト(埋没費用)といいます。今後の行動を損得勘定をするときにはサンク済みのコストを気にしてはいけません。この例だと、「むしろタダでも時間の無駄」というわけですから、「1万円払っちゃったんだから」もへったくれもなく、さっさとそのテーマパークから出るべきです。

すでにサンクしてしまったコストを気にして失敗するという例はいくらでもあります。これは個人的な話……彼女にはあんなに貢いだんだから、もうこの台に3万円も吸われちゃったし、株式投資の損切りが出来ないといった話にとどまりません。

企業の意思決定において、「30億の費用と人手を使って進めてきたプロジェクト」を打ち切りにするのは非常に困難です。その企業か倒産するか否かの瀬戸際にあるというならばともかく、それなりに「まわっている」状態では関係者の感情の方がどうも優先されがちになります。近年ようやく一般化してきた社外取締役は、このような情に流されるのを防ぐという役割も期待されています。

■合理的計算で気楽に生きよう

合理的に損得勘定をして行動を決定する……というとずいぶんと堅苦しい行動様式のように思えてしまいます。しかし、このサンクコストの話を考えると、むしろ損得勘定をした方が気楽なような気さえします。

経済学は「陰鬱な科学」と呼ばれることがありますが、僕はこれってあんまり妥当じゃないと思うんです。行動を決定する際にはサンクコストを気にするなということは、「取り返しのつなかない過去」を考えずに、「これから発生する未来」についてのみを考えて行動するというメッセージです。要は「昨日を生きるな、明日を生きろ」ってことですから……こんなプラス思考な社会科学は他にないんじゃないかしら。これからは経済学のことを「陽気な科学」とよんでやってください。

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プロフィール

1975年生まれ。駒沢大学経済学部准教授。著書に『経済学思考の技術』『ダメな議論』、共著に『論争 日本の経済危機』『セミナール経済政策入門』などがある。

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