このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

濱野智史の「情報環境研究ノート」

アーキテクチャ=情報環境、スタディ=研究。新進気鋭の若手研究者が、情報社会のエッジを読み解く。

第24-2回【同期性考察編(6)】インターネットの「レイヤー構造」は、人々の同期性に対するニーズに応える

2007年12月27日

(これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら)

■24-2. なぜいま「同期」なのかについての技術的説明――インターネットのレイヤー構造から考える

次に、技術的な説明を試みてみましょう。それはとてもシンプルなものです。すなわち、基本的にインターネットは非同期型の通信技術だが、それはあくまで――レイヤーモデルに沿っていうならば――「通信層」の特性であって、その上に構築される「アプリケーション層」はその限りではない、と(*1)。

もう少し詳しく見ていきましょう。インターネットが基本的に「非同期」型の通信技術だというとき、それは――多くの読者の方にとっては常識的内容の確認になってしまうと思われるのですが――次のようなことを意味しています:インターネットという通信技術のよく知られている特徴の一つに、「パケット通信」と呼ばれるものがあります。これは送信対象となるメッセージを細切れの単位(パケット)に分割し、ネットワーク回線の混雑状況に応じて、複数の経路を介して送りつけることで、通信回線の効率的な利用を行う、という方式です。「パケット」の本来の比喩を借りるならば、それは東京から大阪まで「荷物」を送るにあたって、いったんそれを小さなダンボールに小分けし、道路の混雑状況を見ながら、東名高速なり中央高速なり国道なりを使い分けてばらばらに配送して、いったん大阪の配送センターに荷物をまとめ、そこで全体を復元してから配送先に届けるようなもの、と表現できます。

こうしたパケット通信の仕組みは、通信回線を一対一で繋ぎっぱなしにして電気信号をやり取りする「電話」よりも、通信回線の無駄(使っていないままの回線)が少なくなるのと、複数の回線間を一対一に結びつける作業が――よく教科書には、昔の電話の仕組みとして、「交換手」と呼ばれる人々が手動でジャックとジャックをつないでいた様子が写真で掲載されていますが――必要なくなるので、効率的です。しかし、パケット通信は、常に情報を分散して蓄積する仕組みとなっているがゆえに、「電話」のような「同期型」のコミュニケーションにはあまり適していない、ということを意味しています。たとえば、昔からネットはテレビのような規模でコンテンツを一斉同時配信すること(大規模ストリーミング)には適していないといわれてきましたが、それにはこうした技術的背景があります(そしてこれも周知の通り、そうした弱点を補うためにこそ、かねてから「IPマルチキャスト」や「NGN」といった技術が開発されてきた/いるわけです)。

そして、このインターネットという通信層の上に、やはり同じく「非同期」型のコミュニケーション・アプリケーションが構築されてきた(*2)のは、ある種の技術的必然だったといえるでしょう。たとえば「電子メール」からWWWの「ウェブページ」(ブログや掲示板)といったアプリケーションは、郵便や小包配送や書籍といった、コミュニケーションの発信と受信がばらばらに行われる「紙メディア」の延長にあるものとして設計され、利用されてきたということができます。

しかし、だからといって、インターネット上のアプリケーションが、必ずすべて「非同期型」に限られてしまうわけではありません。これもまたその基本的な特徴として――「End to End」や「Stupid Network」等の用語で――説明されるように、インターネットは、基本の「通信層」はきわめて単純なプロトコルとして設計されており、その上の「アプリケーション層」は、利用目的にあわせて最適化されたものを構築可能、というアーキテクチャだからです。それが意味するのは、一言でいえば、人々が「同期的」なコミュニケーションや「共通知識」の形成を望めば、それに応じたアプリケーションが局所的に生み出されていく、ということに他ならない。

過去の事例を挙げれば、たとえばブログの「トラックバック」、mixiの「足あと」、そして「はてなブックマーク」といった仕組みがそれに相当します。これらは、いわゆる「同期型」のコミュニケーションの形態こそ採っていませんが、インターネットの「非同期性」という弱点をカバーするためのシステムとして生み出されてきた、と捉えることができるからです。インターネットは非同期型メディアであるがゆえに、自分がWWW上にアップしたメッセージが、果たしてどこの誰に届いたのかがわからない。そして他のユーザーたちが、果たしていまどこの情報を見ているのかを想像することも覚束ない。これに対し、たとえば「足あと」であれば、基本的に二者間において「その情報を受け取った」ことを通知することで、そして「トラックバック」や「はてなブックマーク」は、第三者のユーザーにも「そのコンテンツを『読んだ=踏んだ』」ことを公示することで、それぞれ「共通知識」を形成する機能を果たしてきた、といえるでしょう。

■中間総括:「同期から非同期へ」と《一面的》に理解するのではなく、「同期と非同期」というように《二面的》に理解する

以上の考察をまとめると、次のようになります:

・従来の議論は、マスメディアとインターネットの関係、そして同期メディアと非同期メディアの関係を、「単線的」に移り変わるものとして捉えてきた。曰く、かつては同期型のマスメディアを通じて、「共通知識」が社会に広く通有されていた。しかし、現在は非同期型のインターネットの浸透によって、人々の関心や知識はばらばらになった、というように。これは《大局的》なモデルとしては一定の説得力を持つものの、いささか「一面的な」理解だったともいえます。なぜなら筆者が一連の考察を通じて注目を促したように、いまインターネット上には、同期的なコミュニケーション・アーキテクチャが、無視できない規模で成長しつつあるからです。

・では、なぜいまここにきて同期型のアーキテクチャが出てきているのか。その理由は次のように考えられます。確かに現代の人々の価値観は多様化しているのかもしれないが、だからといって、完全に「共通知識」を必要としなくなったわけではない。人々はある種の「慣性」のようなものとして、規模の大小はともあれ、「共通知識」を得ようとする傾向を残している。それゆえインターネット上には、《局所的》に「共通知識」を生み出すためのアーキテクチャが出現しているのだ、と。以前、筆者が初音ミク現象に対して、それを支えているのはニコニコ動画上に成立する「限定客観性」であると述べましたが、それはまさにこうした「共通知識の通有される範囲が《局所的に》限定されている」という状態を指したものです。

そして、結論です。いま私たちのメディア環境は、マスメディアからインターネットへと、つまり同期型から非同期型へ向けて、《単線的》にメディアや広告技術の主軸がシフトしつつあるのではない。それは、現代メディア環境の《一面的》な側面なのであって、むしろいま起きていることは、インターネット上に、「同期」と「非同期」型のアーキテクチャが、ほぼ同時に並行して生まれつつあるという《二面的》な事態なのではないか、と。

――ただしこの結論は、要するに「インターネットといっても一枚岩ではない」といっているに過ぎないともいえます。それは間違いではないのですが、さしあたりここで筆者が意図しているのは、既存の「マスメディア VS インターネット」的な言説の多くが、いささか単純化されすぎた《二項対立》の図式に陥っていた傾向があったとすれば、今後必要とされるのは、「同期」と「非同期」のこうした《二面的》な関係性を捉えることではないか、といったようなことです。もちろん、こうした問題意識は、すでに様々な方面から提出されてきた/いるといえますが、マスメディアとインターネットの関係を統合的に(ホリスティックに)捉えようとする試みは、まだまだ始まったばかりだというべきでしょう。

(24-3に続く)

* * *

*1. 今回言及した、インターネットの「レイヤー構造」や「End to End」といった基本的構造・原理については、もちろん数多くの優れた解説が存在していますが、ここではさしあたり、ised@glocom設計研第一回での石橋啓一郎氏の講演内容や、ローレンス・レッシグの著作『コモンズ』(翔泳社、2002年)等を挙げておきます。

*2.実際には、 「インターネットという通信層の上に、やはり同じく『非同期』型のコミュニケーション・アプリケーションが構築されてきた」という記述は、かなり端折った説明になっています。というのも、インターネット(という通信層の)上に構築されてきたアプリケーション(通信プロトコル)の多くは、たとえばTelnetにFTPなど、基本的に、「対話型」と呼ばれるインターフェイスを採用してきたからです。これはプログラムとプログラム(あるいはホスト側とクライアント側と)が、いわば「電話」のように対話的なセッションを張ることでデータのやり取りをするというもので、いってみれば「同期的」なプロトコルでした。これに対して、HTTP / WWW というプロトコルが画期的だったのは、「データをくれ」といえば「データを返す」だけの、なんともそっけなく、そしてシンプルな通信形態を採用している点にあったといわれています。HTTPは、基本的には通信主体どうしの間で「対話的≒同期的」なセッションを張ることなく、なんらかのリクエストに対してオンデマンドに情報を返すだけ。こうした点こそが、まさに「非同期」型のコミュニケーション・アーキテクチャと呼ぶにふさわしいということです。

フィードを登録する

前の記事

次の記事

濱野智史の「情報環境研究ノート」

プロフィール

1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。2006年までGLOCOM研究員として、「ised@glocom:情報社会の倫理と設計についての学際的研究」スタッフを勤める。