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濱野智史の「情報環境研究ノート」

アーキテクチャ=情報環境、スタディ=研究。新進気鋭の若手研究者が、情報社会のエッジを読み解く。

第11回 セカンドライフ考察編(6) :ニコニコ動画が「活況を呈している」のはなぜか?

2007年8月 9日

(11-2)から続く

■11-3. ニコニコ動画が「活況を呈している」のはなぜか?

ニコニコ動画とセカンドライフは、昨今では次のように対比されることもあるようです。すなわち、セカンドライフがマスメディアで空騒ぎされるのとは対照的に、ニコニコ動画はマスメディアでは無視されているに等しいにも関わらず、急速にユーザー数を集めている、と(例えば大西宏のマーケティング・エッセンス - 「すれ違う「セカンドライフ」評価だけど」)。大西氏は、この対比を裏付けるデータとして、「総利用時間」(滞在時間)を指標にしたネットレイティング社のランキング結果を引き合いに出しています(ネットレイティングス、「総利用時間」による日本のウェブドメインランキングを算出)。このリリースによれば、ニコニコ動画は早くも16位の位置に付けているようです。ニコニコ動画の急速な成長には、当然複数の要因があると思われますが、ここでは特に、ニコニコ動画の「擬似同期型アーキテクチャ」としての特徴に着目してみたいと思います。それはひとことでいえば、ニコニコ動画はその仕組み上「活況を呈している」ように見えやすく、それゆえにますますユーザーが寄り集まっているのではないか、ということです。

以前詳細に分析したように、ニコニコ動画の特徴は、実際には同じ時間を共有していない(=非同期的な)ユーザー同士が、あたかも同じ現在を共有して(=同期的な)コミュニケーションを交わしている《かのような》錯覚を得ることができる点にありました(第3回)。これを筆者は「擬似同期型アーキテクチャ」と名づけましたが、それは次のような効果をもたらします。たとえばニコニコ動画では、とりわけ人気の高い動画に、大量の「弾幕」(大量のコメントが一斉に付けられること)が付けられています。これを見たユーザーは、あたかも他のユーザーと、コンサート会場や映画館等の同じ場所に「共在」しながら、歓声や拍手を共有しながら同じ映像を見ているかのような臨場感、ないしは一体感を得ることができます。つまりニコニコ動画は、「動画共有サービス」というよりも、「動画《視聴体験》共有サービス」とでもいうべき性格を強く持っているというわけです。

ここで重要なのは、ニコニコ動画で得られる臨場感・一体感はその場限りのものではないという点です。それはどういうことか。コンサートや映画――いうなれば「真性同期型」のイベント――の場合、臨場感を共有できるのは、その時と場所を共有した人々の間に限られます。上演時間が過ぎ去ってしまえば、その場に参加できなかった人は臨場感を共有することはできず、いわば《後の祭り》の状態が訪れてしまいます。つまり、真性同期型アーキテクチャは臨場感が揮発しやすいという基本的性質を持つ。しかし、ニコニコ動画では、付与されたコメントはシステム上に蓄積され、誰が映像を視聴しても同じタイミングで表示されるため、臨場感・一体感は何度でも反復して再現されます(実際にはコメント数の保存数制限があるため、完全に同一に再現されるわけではありませんが)。もしニコニコ動画が、決められた時間にしかコメントを入れたり見ることができない「真性同期型アーキテクチャ」だったとしたら、「昨日盛り上がっていた動画が、今日は一切コメントがついていない」といった「閑散化問題」が不可避に生じてしまう。つまり、「真性同期型アーキテクチャ」が《後の祭り》を不可避に生み出してしまうシステムだとすれば、「擬似同期型アーキテクチャ」は、いうなれば《いつでも祭り中》の状態を作り出すことで、「閑散化問題」を回避するシステムである、ということができるでしょう。

こうした擬似同期型アーキテクチャのポイントを比喩的にいいかえれば、それは「祭りの賞味期限」が持続されやすいということです。この特性は、次のように捉えることもできます。たとえば2ちゃんねるでは、「1スレッドあたり1000まで」という限界が設定されており、古いスレッドは「dat落ち」して一般ユーザーは読めなくなってしまい、「祭り」状態が起きて数日経ってしまうとその臨場感から取り残されてしまう。だからこそ、良スレを自主的に保存する「まとめサイト」「2ch系ニュースサイト」の存在が、その臨場感を「後追い」するのに重要な役割を果たします。そしてニコニコ動画は、こうした人力で運営されている「まとめサイト」の機能を、いわばアーキテクチャ的に補完しているものとして捉えることもできます。

また、2ちゃんねるとの比較という観点でいえば、ニコニコ動画というアーキテクチャが「擬似臨場感」を高める上で《優れている》点として、「コメントを投稿したユーザーを一意に特定することができない」という特徴を挙げることができます。2ちゃんねるの場合、主に「自作自演」を指摘可能にするための仕組みとして、「ID制」(“ID:4sn6vcrS”のように、1レスごとに同日内の同一IPからの投稿者を見分けるためのIDが付与される)というものがありますが、現状のニコニコ動画にはそうした仕組みはありません(追記[2007.08.17]:現状のニコニコ動画上のインターフェイスでは、コメントのIDは表示されていませんが、実際には書き込まれたコメントごとにIDは記録されており、それを表示すためのツールもいくつか存在しているようです)。たとえばある動画で弾幕が一斉に表示されていたとしても、実際にはたった一人の「弾幕職人」と呼ばれるようなユーザーが入力したかもしれない。しかし、ニコニコ動画のユーザーはそれを判別する手立てを持たない、ということです。もちろん、ニコニコ動画は会員限定サービスなので、システムの裏側では「どのコメントがどのユーザーによって投稿されたものか」を見分けることが可能なのかもしれませんが、少なくとも一般ユーザーにはその機能は与えられていない。けれども、それゆえにこそ、まるで大勢の人間がその動画を見て盛り上がっているかのような「錯覚」を得やすいわけです。

(次回に続く)

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プロフィール

1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。2006年までGLOCOM研究員として、「ised@glocom:情報社会の倫理と設計についての学際的研究」スタッフを勤める。