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濱野智史の「情報環境研究ノート」

アーキテクチャ=情報環境、スタディ=研究。新進気鋭の若手研究者が、情報社会のエッジを読み解く。

第10回 セカンドライフが「閑散としている」のはなぜか? 2

2007年8月 2日

■10-2. 「真性同期型アーキテクチャ」としてのセカンドライフ

(1)から続く

前置きはこのくらいにしておきましょう。ここでは、上のようなセカンドライフ・バッシング・ブームに与するつもりも、あるいはセカンドライフ・ブームを援護射撃するつもりもありません。今回筆者が指摘してみたいのは、当のセカンドライフ・バッシングの根拠にもなっている、「セカンドライフが閑散としている」という事実認識それ自体が、実はそのアーキテクチャ特性によって生み出されやすいのではないか、ということです。シンプルにいえば、セカンドライフはその仕組み上、「閑散としている」ように見えやすいのではないかということ。これが主題になります。

どういうことでしょうか。そのことを考えるにあたって、前回までに用いた道具立てを援用して分析してみましょう。前回まで、筆者は「同期/非同期」という軸を採用してきましたが、セカンドライフは、そのコミュニケーション空間に参加する主体が、同じ現在(時間の流れ)を共有するという、インスタント・メッセンジャー(IM)やチャット等と同じ性質を持っています。つまり、セカンドライフは「真性同期型」のアーキテクチャであるということです(第5回)。またこの点について、前回筆者は、『IMやチャット等の「真性同期型アーキテクチャ」は、同時最大で十数人程度をカバーする、「プライベートな」通信手段として利用されるに留まってい』たと説明しました(第9回)。つまりセカンドライフは、「スケーラビリティ(=参加者の規模)」の面で限界のあった真性同期型コミュニケーションを、「大規模な」(規模の点については後に触れます)仮想空間上で実現しているアーキテクチャである、とひとまず整理することができます。

実は、こうした認識は別段珍しいものでも何でもありません。セカンドライフが注目されるかなり以前から、「MMORPG」と呼ばれる「仮想空間×大規模人数参加型」のゲームは、「超高性能チャットツール」でもあるといわれていました。というのも、通常RPGゲームというのは、ある一定の量の内容をこなしてしまえば、もはやその仮想世界の中でやるべき事は残されていません。しかし、MMORPGの場合は、もはやゲーム的には十分飽きてしまっていても、仲間たちとの会話を楽しむことためにその仮想世界に日々ログインする、というある種のプレイ目的の変質が起きるということ。大抵、ネットゲームにハマっている人というのは、「もう飽きているんだけど、居心地が良くてやめられないんだ」といった感想を漏らすものですが、それは上のような事態を指しているというわけです。

余談になりますが、改めて復習しておけば、そもそもセカンドライフとは、MMORPGと見かけ上は酷似しながらも、いわゆる「ゲーム性」を取り除いたアーキテクチャである――「ゲーム性」の定義は曖昧にならざるをえませんが、ここでは便宜上、《なんらかの課題・目的の実現に向けてプレイヤーを動機付けた上で、ゲーム内のルール設計を通じ、プレイヤーへの制約・資源・インセンティブ(=望ましいこと/望ましくないこと)等が配備されている状態のこと》と定義しておきましょう[*1]――と説明されてきました(「「Second Life」の開発者Cory Ondrejka氏インタビュー,日本展開はどうなる?」 [4gamer.net])。これに対し、「ゲーム性」に代わってセカンドライフが取り入れているのは、誰もが自由にオブジェクトを持ち込み、仮想空間上の土地を所有することができるという、いわゆる「UGC(User Generated Contents)」のプラットフォームとしての性質です。一般に「ゲーム性」は、ゲームを開発する側があらかじめアーキテクチャに埋め込んでおくものであって、基本的にプレイヤー(ユーザー)側はその改変は不可能ですが、セカンドライフでは、メタバース上の簡易的な物理法則(「Linden Script」についての参考記事[japan.internet.com])を制御することで、「ゲーム性」自体ですらユーザー側が作り出すことができる。こうした点が、MMORPG等と比較した際のセカンドライフの特徴であり、そしてセカンドライフがブログやSNSに次ぐ「ポストCGM系サービス」だと目される根拠になってきたわけです。

ここでは、こうした他のゲームとの比較という観点からセカンドライフを分析することはしません(ただし、セカンドライフはゲームと呼べるのかどうかは、むしろゲーム研究の文脈で考えると興味深い論点だと思います)。繰り返せば、本論の主眼は、ブログやSNSやTwitterやニコニコ動画といったいわゆるウェブ上のコミュニケーション・アーキテクチャと比較したとき、セカンドライフは「真性同期型」であるという点に着目することにあります。

* * * * *

[*1] 本文中では、「ゲーム性」の1つの特性として、「インセンティブ(=望ましいこと/望ましくないこと)」の調整という点を挙げましたが、「スマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)」等の作品で知られるゲームクリエイターの桜井政博氏は、これをより平易に「リスクとリターン」という言葉で説明しています(GAME Watch)。ただし、「ゲーム性」に関するさらに詳細な検討として、例えばゲーム研究者 Jesper Juul氏の論考「ゲーム, プレイヤ, ワールド : ゲームたらしめるものの核心を探る」(原題:“The Game, the Player, the World: Looking for a Heart of Gameness”)や、その批判的な検討を加えている「RGN: コンピュータ・ゲームのデザインと物語についての研究会」での議論(4Gamer.net によるレポート記事)が参考になります。また、「ゲーム性」という言葉自体が持つ「多義性」については、井上明人氏の以下の研究がまとまっています→「ゲーム性」 (Critique of Games)。ここでは注釈に注釈する形になりますが、ゲームについての研究は、当然ながらアーキテクチャについての研究と深い関連性を――いずれもまだ学問として体系だったものはありませんが――持っていることを指摘するに留めておきます。例えば本文中でも触れた「セカンドライフはゲームと呼べるかどうか」という論点は、「アーキテクチャとゲームはどのように概念的に区別されるのか」という問いでもあり、存外に重要です。

(3)につづく

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プロフィール

1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。2006年までGLOCOM研究員として、「ised@glocom:情報社会の倫理と設計についての学際的研究」スタッフを勤める。