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ガリレオの「Wired翻訳裏話」

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鳩山兄弟のルーツ、地下足袋の石橋兄弟

2009年7月15日

先日掲載した、5本指シューズの記事。屋内でも靴を履き、足を靴で守る習慣が強い欧米では、ほとんど裸足のようなこのシューズはかなり革命的な製品だと思います。「いつもの革の牢獄から解放されたつま先は、トポグラフィー装置のセンサーアレイのように敏感になる」と、Wired記者も書いていましたが、これを読んで私が思い出したのが「地下足袋」でした。

経験者に聞くと、田圃や高所作業などで地下足袋を履くと、敏感に環境が感じられることが利点だそうです。指先が割れていることも、足袋の下にある丸太や泥などの様相をつかみ、自分の動きを微妙にコントロールするために重要である模様です。革靴はコンクリートのような現代的な道路にはふさわしいでしょうが、地下足袋は、より「野生の環境」にふさわしい、繊細な履物なのです。


画像はWIkiipedia

現在日本で販売されている地下足袋は97%が中国で生産されているそうですが、「純国産」のオシャレな地下足袋も発売されています。京都のSou Souは、フランスの老舗スポーツブランド「ルコック」と提携して作った革製の白い地下足袋も含め、さまざまなカラフルな地下足袋を販売しています。欧米人にも人気があるそうです

さて、地下足袋について調べていたところ、現在政界で活躍されている「鳩山兄弟」に行き着きました。

大正時代に地下足袋を発明・製造した人たちは、「鳩山兄弟の祖父とその兄」という兄弟だったのでした(製造者石橋正二郎氏の長女安子さんが、鳩山一郎元首相の長男威一郎氏に嫁し、鳩山由紀夫氏、邦夫氏の兄弟が誕生)。

この石橋兄弟は、明治・大正時代の発明家・事業家として大変有能な兄弟だった模様です。

地下足袋、即ち、貼付式ゴム底足袋は、足袋製造業者である石橋徳次郎氏の発明(1923年10月実用新案登録番号第80594号)とされています。地下足袋は、それまでワラジを履いて労働していた炭坑労働者たちに支持されたこともあり、全国的に普及しました。地下足袋を製造した会社(日本足袋、現アサヒコーポレーション)のサイトは地下足袋の発明について、「履物史上の革命といわれる」と誇らしげに記しています。

徳次郎氏の弟であり、日本足袋の実質的な経営者であった石橋正二郎氏が、ゴム製造のノウハウをタイヤ製造に活かして創業、拡大させた会社がブリヂストンです。

石橋兄弟はもともと家業だった仕立物屋を継いだのですが、正次郎氏は非常に先見の明のある「近代的な」事業家でした。まずは、種々雑多な注文に対応する困難さや、職人的な技能に頼る仕立物屋の将来性に対する疑問などから、業容を変更して、以前より業務の一部としていた足袋製造を専業とすることを決意。さらに、規格化された製品を大量生産するため、1908年には新工場を設立し、縫製用のミシンや生地の裁断機、これらの動力源となる石油発動機を導入しています。また、多くの労働者を雇い入れる必要性から、古い徒弟制を廃して給与制をいち早く採用し、経営の近代化を図っていきました。さらに正二郎氏は、第一次世界大戦勃発による物価高騰を予見して、事前に生地、糸などの原料を大量に仕入れていたため、この時期に事業は更に発展しました。

1918年には兄の二代目徳次郎氏を社長、正二郎氏を専務取締役として、日本足袋株式会社を設立。当時の足袋の四大メーカーの一つとなりました(同社が1923年に地下足袋の販売を開始)。

同社はその後、ゴム底靴製造販売にも進出し、1929年には米国や欧州、アフリカにゴム底靴の輸出を開始。正次郎氏はさらに新事業の拡大を続け、1930年には、日本足袋株式会社タイヤ部により純国産タイヤ第1号が誕生。1931年には、日本足袋株式会社タイヤ部が独立し、福岡県久留米市に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」が設立されました。

有名な話ですが、社名の由来は、創業者の「石橋」にちなみ、英語の「ブリッジ」(橋)と「ストーン」(石)を合成したもの。姓を直訳した「ストーンブリッジ」では語呂が悪いので、逆さにして「ブリヂストン」になったそうです。 また、その当時タイヤの世界的ブランドだった米ファイアストン社のような一流企業になりたいという思いも込められたそうです。

ブリヂストンは2006年段階で、競合する仏ミシュラン社と米グッドイヤー社を抜き、世界第1位の堂々たる企業になっています。1988年には先述のファイアストン社も買収しています。

一方、元々の日本足袋株式会社は、昭和時代には長期にわたってズック靴の製造で日本のトップシェアを誇りました(商標はアサヒ靴、1988年には社名をアサヒコーポレーションと改称)。しかし1998年には、経営悪化により会社更生法の手続き開始申請を行なって、事実上倒産。負債総額は1300億円あまりの大型倒産でしたが、ブリヂストンからの支援も受け、2001年に更生計画が認可され現在に至っています。

日本伝来の足袋にゴム底を付ける発想、機敏に時代をとらえ事業を拡大していく力。地下足袋には、そういった大正時代の事業家の精神がこもっていたのでした。

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Wiredの翻訳を担当しているガリレオ。日本国内や世界の様々なところに住む翻訳者や開発者が、ネットワーク上で協業している。Twitterはこちら

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