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藤元健太郎の「フロントライン・ビズ」

コンサルタントとしての豊富な経験をもとに、ITビジネスの最先端の動向を、根本から捉え直す。

第2回 パーソナル化からマルチパーソナル化へ

2007年8月14日

(藤元健太郎の「フロントライン・ビズ」第1回より続く)

■電話機の変化

昔の遠い記憶をたどると子供の頃電話機は玄関にあった。何故玄関だったのだろうか。玄関は冬は寒いし、立ったまま話さなければいけないわけで、いい場所だったとは思えない。理由は恐らく外から人が借りに来ていたからではないだろうか。日本の電話は長らく「積滞」という申し込んでもすぐに引けるわけではない状況が続き、一家に一台になるまでにかなり時間がかかっていた。アパートでは当然共有で一台あるのが普通の状況だった。電話は地域やコミュニティに1台という状況が長らく続いたのである。当然長電話など非常識であり、電話は短く要件だけを伝える手段であり、だからこそ玄関でもよかったのだろう。

やがて全ての家庭に電話が行き渡ると電話の場所は居間に移動する。居間は家族の中心的な場所であり、電話も家族の共有物であることを象徴していた。この頃になると長電話が登場する。家庭の妻は女性としての長電話特性をいかんなく発揮し始め、長時間の電話はしばしば居間にいた他の家族をうんざりさせることになる。子供も挑戦するが、子供は親からほぼ確実にしかられ、お互い相手の電話の後ろで「いつまで電話しているの!」という声を聞くことになる。さらに友人や恋人との電話を待つ間に長電話されると、とにかく気が気でないストレスにさらされることになる。

やがて、二つの発明が登場する。長い電話コードとキャッチホンである。これにより、電話を居間から移動させ、安心して長電話に興ずることができるようになり、家族の「いい加減にしろ」攻撃はまだあるものの長電話というスタイルがごく普通のものとして定着する。そしてコードレス電話の登場が自分の部屋で扉を閉めて電話をするということを可能にし、閉じたパーソナルな空間でのコミュニケーションを可能にした。このことで電話は個人と個人のコミュニケーションツールとしての地位を得たと言えるだろう。

しかし、最大の問題が残った。電話をかける時である。電話番号が家族単位である以上、誰が出るかはかける方はわからない。その頃年頃の男子にとっては好きな女の子の家にかける電話は強烈なプレッシャーのあるイベントである。まず相手が電話に出る確率を高める必要がある。外出、テレビ、寝ている、風呂などのシチュエーションを想定し、かつ相手の親が電話してなさそうな時間を選ぶ必要がある。次に他の家族が出た時に想定シミュレーションが必要だ。兄弟は気持ちは楽だが声が似ていると「もしもし」の時に間違える可能性がある。母親にはとにかく気に入られることが大事なので、多少会話が大事である。しかし最大の難関は父親である。これは時に「いません」の一言で切られるが本当にいないのかどうか悩む状況が訪れるからである。とまあこの時代に好きな女の子の家に電話をかける時には10分以上は電話機の前で悩むのが男子の常であった。もちろん敵は相変わらず自分の家族にもいるのでわざわざ外の公衆電話からかけることも珍しくはなかっただろう。

■パーソナル化の時代、そしてマルチパーソナル化へ

このようにあくまでも家族と家族とのコミュニケーションツールの側面が残っていた電話を真のパーソナル化へと変えたのが90年代のポケベルと携帯電話である。これまでの電話と異なり必ず自分のコミュニケーションしたい相手に届くツールは「パーソナル化」の時代を開くことになった。以降の友人関係は家族にも見えなくなり、非常に簡易に多様で、多くの関係性を構築できるものになり、恋愛のハードルも随分と下がった。

何よりも大きな変化を感じるのは「もしもし」の喪失だろう。携帯世代にとっては最初に誰が出るか確認する必要は無い。「もしもし」は電話口の先の相手が誰かを確認するプロトコルであり、すでに相手が誰であるかわかった上でコミュニケーションを開始する現在では不要である。実際若年層の電話ではいきなり「それでこの間の件だけど」と会話から始まることも普通である。いつどこにいてもコミュニケーションは個人間で可能になり、待ち合わせの場所と時間を決めることも少なくなった。そしてメールの登場がさらに非同期のコミュニケーションも可能にし、相手の時間を気にする必要もなくなった。

このように90年代以降パーソナル化の進展が急速に進んだ現在であるが、筆者は2005年以降ぐらいのCGMの登場あたりから次の段階へ進みつつあるのではと感じている。それは個人の中の存在するさらに別々の人格個々にコミュニケーションできる「マルチパーソナル化」が進んでいるのではないだろうかという仮説である(図表1)。

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この人格には大きくわけて所属するコミュニティ(仕事、趣味、副業、NPO等)によって変化するコミュニティパーソナリティと状況(時間、場所、気持ち、周りの人々等)に応じて変化するシチュエーションパーソナリティがある。まずコミュニティパーソナリティについて考察してみたい。

そもそもmixiのSNSなどでマイミク登録をする時に「この人とこの人は同じマイミクにしたく無いなあ」ということはよくあるだろう。仕事の人と同級生を同じマイミクに入れておくのでは、日記の書く内容をついつい考えてしまう。あらゆる知り合いを登録しておくと、ついつい色々なこと考えてしまい、とうとう何も書けなくなって止めてしまう人もいるようだ。

仕事の時の自分と趣味の自分では色々な価値観が異なることはよくある。これまでは場所や時間がそれを規定していたのでそれをあまり意識することはなかった「平日会社でいるとき」と「週末家にいるとき」はおのずと違うものだった。しかしITは時間と場所を越えることを可能にし、週末でも仕事関係との非同期コミュニケーションは可能であるし、逆に平日昼間でも休憩時間に趣味のメールを見ることは非常に容易である。最近では副業でECショップやアフリエイトサイトを運営している人も多いく、それは仕事でも本業の自分とは違うまた別の副業としての人格を持っていることになる。

こうした自分の中に存在する別々の人格は電話番号やメールアドレス、SNSのIDなどで切り分けたコミュニケーションを可能になっている。メールアドレスひとつでその言葉使いや意識は変わることになる。例えばSNSではそうした人格毎の関係性をネットワークの上にIDひとつで多様に構築することを可能にしたため、よりその人格の切りわけを可能にしている。携帯電話でもDoCoMoが最近スタートした「2in1」はひとつの携帯電話の中に2つの人格をもてるようにしたサービスである。このようにパーソナル化で個人化されたコミュニケーションはさらに一人の中の別々の人格として登場することを可能にしてきている。そしてビジネスで見た時にはこの別々の人格であることを意識することが重要なポイントとなる。次回その部分から話しを続けたい。

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プロフィール

D4DR株式会社代表取締役社長。コンサルタント。野村総合研究所で多くの企業のネットビジネス参入の支援コンサルティングを実施。マルチメディアグランプリ、オンラインショッピング大賞などの審査員。経済産業省産業構造審議会情報経済分科会委員。青山学院大学大学院エグゼクティブ MBA 非常勤講師。