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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

ヨーロッパ文化を日本化する3つの方法

2010年5月 6日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

5月に入り親愛なる読者各位はいかがお過ごしであろうか。小生は相変わらずである。

世界の都ワシントンから花の都パリ経由で帰京した一週間後にトロント→オタワ→もう一度ワシントン。一週間置いて今度はジュネーブ→ブラッセルと発送された小生である。読者の方から「色々なところ行けていいですね〜」と言われることも多いのだが、小生の出張は「対決系」で「愉しみ」が付随しない。トロントでの奮闘をウォールストリートジャーナルさんが記事にしてくれたので、英文で恐縮だが、ご一読いただくと小生の普段の仕事がなんとな〜くおわかりいただけるかもしれない。

さて、ジュネーブでの交渉会合は日本のGWとともに始まり日本のGWとともに終わるのである(涙)、(涙)。友人と信じていたWTO(世界貿易機関)の部長は「(日程については)日本のGWは勘案するよ〜」と言っていたが、額面通り受け取った私が愚かであった。キリスト教国のクリスマス、中華圏の旧正月、イスラムのラマダンには交渉会合は開かれないのに、なぜ日本のGWは顧みられないのか?

同僚は「GWは日本神道の神聖なる休日だって言ってみたらいいんじゃないですかぁ。断食するって言うとか」と建設的な意見具申をした。「な、なぁるほどぉ」と膝を打ったワタシではあったが、政教分離という国体の根本原則に抵触する可能性など緒論点を熟慮の末、採用の運びにならなかったのである。ま、来年は試してみようかとも思っている。

というわけで、せっかくのGWにヨーロッパで仕事に勤しんでいる小生、今回は久しぶりにヨーロッパネタでいきたい。読者の皆様にしても休みで心も頭も弛緩されていると思われる。シリアスなCSRネタは一回パスということで。ヨーロッパの不可思議に今一度迫りたい。

1. 神のご加護のあらんことを、ウォシュレットに

ファイナンシャルタイムスは、日本を評してこう述べた。
「清潔さが基準なら、天国は日本かもしれない」
遅まきながら彼らもわかってきたようである。

新興国の経済成長の結果、「先進国」と「発展途上国」の境は曖昧なものになりつつある。世界の国々の新しいグルーピングが求められている所以である。先の新聞が示唆する分類方法、つまり天国たる日本とそれ以外の地上諸国という分類はひとつの候補たり得る。しかし、後者に分類される国々の政治的反発を招く可能性がゼロとは言えない。国際情勢の無用な不安定化を避けるためには宗教的表現を避け、かつ客観基準を導入することが賢明である。

例えば、ウォシュレット普及率50%以上の国を「文明国」とすることに強い異議は出ないはずだ。結果として我が日本国ひとり文明圏に属することになるが、しかし、ヨーロッパ諸国にしても努力すれば何時の日か未開を脱し日本に比肩する地位に到達できるという希望を持つことができる。希望は安定を生む。

GNPで中国に抜かれたる云々というが、GNPにはもはや意味がない。日本が3位になるからである。これからは清潔=国力の時代である。そう信じよう。そうしよう。かくして日本は派遣国家、いや失礼、覇権国家となるのである。パリのシャンゼリゼ通り、カルティエさん近隣の「超」のつく高級ホテルに大枚をはたいても、無駄に広い空間と過剰な調度品こそあれウォシュレットはない。閉所恐怖症になりそうな日本のビジネスホテルは既にパリのエスプリに勝利している。

世界に卓抜した日本の地位は政策のよろしきをもって一層確固たるものとなろう。私は「抗菌国家5カ年計画」策定を呼びかけたい。欧米中心主義に偏ったブレトンウッズ体制を再編すべく世界清潔機関(WCO: World Cleanliness Organization)設立を視野に入れるべきことは言うまでもない。トップは当然日本人でなければならない。

2. 吾輩の辞書に「テキパキ」を

「マンガ」と「スシ」は広く欧州言語に取り入れられている。ちなみにスシの文化的威力のすさまじさを知りたければパリのバスティーユ周辺を歩いてみることを勧める。日本食レストランの数に絶句すること請け合いである。しかし、欧州の教化にはまだ十分とは言えない。「マンガ」が日本の芸術の崇高を、「スシ」が食生活の卓抜を彼らに教えているわけだが、しかし、しかし何かが足りないのである。何かが。この疑問は先日偶然氷解した。

シャルルドゴール空港のラウンジでのこと。私と同年代とおぼしきシャネルとプラダで重武装された日本人マダムがおしゃべりに興じておられた。「ほらぁ、こっちのヒトってのろのろやるじゃなぁい。日本人みたいにテキパキしないからぁ」

「!」。そ、そうだ。「テキパキ」である。彼らは何故ああも「テキパキ」しないのだろうか? なぜ客が長蛇の列をなしているときに同僚と子供の学校の話をするのだろうか? 私はスーパーのレジ待ち中に瞑想の術を身に付けた。

提案がある。日本のODAでヨーロッパ各国のレジのおばさんを日本に呼びドンキホーテで研修してもらったらどうだろう。間違いなく各地のドンキホーテで客の暴動が発生するだろうが、ま、教化のコストとして甘受しよう。「テキパキ」がフランス語からチェコ語に至る欧州各国の辞書に載るとき、ヨーロッパは文明の階段をひとつ上ることになるであろう。

3. みんなで「小走り」

国際会議で日本同胞を識別することはそう難しくない。動体的アートにまで昇華された「小走り」を能くするかどうかである。歩くでもない。走るでもない。絶妙な身のこなし。例えば、上司に資料をとってくるよう命じられたとき、会議に遅刻して入ってきたとき、日本人は小走りという身体動作によってある時は「服従」、「懸命」、また時には「恐縮」を表現するのである。一切の言葉を要せずに。なんという洗練。

しかし、遅刻しながら堂々かつ悠々と登場する欧州人を非難することはやめておこう。未開の故のことである。悪気はないのだ。覇権文明に身を置く人間として鷹揚にかまえてあげようではないか。可塑性の高い子供たちにはキャラクター「コバシリ君」も教化の手段となろう。

同様のことは横断歩道の渡り方でも観察できる。彼らは右折車両に対しアルカイックな笑顔を向けることはすれ、歩を早めることはしない。なお、ヨーロッパにおいて例外的に日本人的メンタリティーを有していると名声を得ているのがベルギー人なのであるが、その理由のひとつはズバリ「横断歩道で(申し訳なさそうに)小走りする」。あと、外国人から英語で話しかけられて「ワタシ英語ワカリマセン。ゴメンナサイ」的殊勝な態度をとることも彼らの好感度を上げている。もちろんフランスではこうはいかない。「ベルギーの奇跡」とは「同国がいまだ国として存在すること」であるが、日本の文化的卓抜性は国家のサステナビリティさえ高めるのかもしれない。

しかし、小生は再度考えるのである。彼の地において人々がいつも小走りしながらテキパキと立ち振る舞い、ウォシュレットなしで生きていけないと嘆くようになったら。そんなヨーロッパになったら。。。

別に旅行に行かなくてもよいかもしれない。

では、次回は6月7日に。
Ciao!

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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