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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

CSR明晰理解のヒント:市場と法令と期待を区別する

2009年6月 1日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

みなさんいかがお過ごしですか。会社によると思うのですが、弊社では5月、6月が人事異動の季節です。ワタシ、人事に関心を寄せないタイプ(正直言えば無関心)なのですが、ただ面白いと思うのは、特有の「時空のずれ」というか。自分の知らない自分の未来を一部の人(上司)が知っているという人事独特の構図。

最近勧められて「リピート」という小説、乾くるみさんのベストセラーですが、を読みまして。面白い。主人公は今の意識や記憶をとどめたまま時間旅行をして過去の自分に戻ります。つまり、主人公はこの先何が起こるか知っている状態に置かれるわけです。しかし、「未来を知っている」ゆえに起こす行動が均衡を崩す。数カ月先に彼女に捨てられることを知っているから機先を制して自分から振る。でも、その行動が過去の記憶にはない新しい展開をもたらしてしまう。つまり未来の知識が過去を改変していく。

読みながら、「うーん、なんか身近でもそういう感覚あるなぁ」って。考えてみたら人事だった(笑)。小説では自分だけが未来を知っている。人事では自分以外の人が自分の未来を知っている。人の未来を知る主っていわば神でしょ。組織は興味深い。超自然現象みたいなことが制度化されている。どこの会社でも人事部は崇め立てられるけど、納得できます。現代のアニミズムと理解されるべきでしょう。

え〜、しょうもない導入してしまいましたが、異動の季節ということで読者の中にも近々CSRの仕事から離れる方もいらっしゃるかもしれません。最近CSRの部署に来られた方もいらっしゃるかもしれません。今回は、「ゆく人くる人」に贈るCSR明晰理解に必須の「世界観」です。

えー、会社を取り巻く世界を三つに分けます。切れ味が大切です。スパっとね。まずは二つに切る。「市場」と「非市場」。市場とは売買取引によって物事が進む世界です。非市場とはそれ以外の世界。要するに売買以外の力で変化していく世界。次にこの「非市場」を更に二つに分けます。「法令による強制の世界」と「それ以外の世界」。やや漠然とした「社会の期待」みたいな力によって動く世界が「それ以外の世界」ですね。

これで世界が三つに分かれました。「市場」と「法令」と「期待」ね。企業にとって世界はこの三つの部分から成っていると考えましょう。

CSRはこのうち三番目の「期待」の世界に登場したもので、今でもその世界にいる。ただ、当初からCSRを可能な限り「市場」の領域に移すべきだとの考えがあって、今も試みが続いている。SRI(社会的責任投資)はCSRを市場(資本市場)の領域に包含させようという運動であると理解できます。消費者への様々な「啓蒙」運動も同じ。

順を追っていきましょう。環境や社会の絆を守るべきだという理念に企業が事業を通じて貢献しよう、っていう呼びかけがCSRの出発点です。社会の企業に対するソフトな「期待」の表明ですね。企業がどう応じるか、無視するのか、判断は明らかに3つ目の世界に属する判断です。

他方、「期待」の領域が他の2つの世界から隔絶されているわけではありません。つながっています。「課題のライフサイクル」的な視点を導入することによってわかりやすくなります。

CSR上の課題は常に「期待」の領域に姿を現わします。前々回言及した動物実験の問題もそうです。ただ、問題に対する社会的認知度が上がるにつれ、社会は法令による規制を要求するかもしれません。動物実験でいえばヨーロッパは既に動物実験を使った一部の製品の販売を規制していますから、動物実験の問題は一部法令の世界に移行している。もしくは、消費者が動物実験に対する批判を強めて製品が実際に売れなくなる可能性もあります。この場合、問題は「市場」の領域に移ったことになります。

このような変化は「期待」の領域にある事柄の数が次第に減っていくことは意味しません。「市場」や「法令」の世界に移らずに「期待」の領域にとどまる課題があります。加えて常に新しい課題が生まれてくるからです。CSRの対象はこのように不断に変化する。しかし、CSRという概念が存在する領域は常に「期待」の領域です。

一方、日本はCSRを最初から「市場」と「法令」の世界の言葉として受け取った。

「市場」といっても非市場の「期待」の領域からCSRを「市場」に移行させるというダイナミックな視点があったわけではありません。CSRとはそもそも「市場」に関することだと受け取った。「お客様満足」を高めることがCSRだと考えることはその典型です。お客様とは「買い手」、すなわち市場の存在ですから。こんな物言いね。「保険会社のCSRとはより良い保険をお客様に提供することである」。市場での企業行動そのものを指してCSRという言葉が使われていること、おわかりいただけると思います。

言うまでもなく消費者の購買の判断基準に織り込まれていない「社会的期待」は無数にあります。「お客様満足のCSR」はかくして企業が社会的期待に対応する可能性を低くする。「法令」についても皆様ご存じのとおりです。

商品開発努力や法令順守はもちろん良いことです。誰もそのことは否定しない。結局CSRとは「良い企業」になることだ、みたいな。CSRという言葉は定着したけど概念化には失敗した。

概念化されていない言葉を対象に仕事をすることはできません。行き詰ったら頭の中で世界を三つに分けてみましょう。「市場」と「法令」と「期待」。そのことによって見えてくるものがあると思うのです。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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