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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

資源開発は「共存共栄」で

2008年12月15日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

前回、韓国の大宇ロジスティクスのマダガスカルへの農業投資に対する批判を概観しました。じゃ、あのような批判を受けず、かつ食料の供給を確保するためにどうすればよいのか。

一言で言えば、地元の農家を支援して彼らの生産性向上を図る、ということに尽きます。ファイナンシャル・タイムスの結論もそのようなものです。そのためには農家はもちろん、地元の自治体など広く地域社会の関係者(ステークホルダー)と話し合いながら彼らの利害、意向をきちんと受け止めながら開発プロジェクトを設計することが前提となります。

ステークホルダーとの協力は森林資源の分野で進んでいます。目的もはっきりしています。拙著「グローバルCSR調達」より引用します。

「自然資源の調達について問題解決に向けたよくみられる取り組みが、関連企業や政府そしてNGOや地域の住民グループなどを取り込んで共同のフレームワークをつくり、そこで基準などを作成して共有化するという動きだ。木材については森林認証制度があげられる。」

「調達企業とサプライヤーが協力してCSR上の要請と生産性向上の両立に向けた取り組みを行うことがCSRサプライチェーンマネジメントの最先端となっている。」

1年前、昨年最後の回に小生「CSRは“企業の公共政策”」だと申し上げました。公共政策課題には様々あって、政府の力が及ばないものが沢山ある。

(公共政策課題)−(政府の対応能力)=CSR。

このケースも典型的です。食料不足で苦しむ国が農業産品の輸出国に変貌するとすれば、それは素晴らしいことです。ただし、その過程で当然国内の食料不足の問題も解決されなければいけない。栄養失調の子供が沢山いるまま穀物輸出国となる、という事態は異常です。

根本的解決策(公共政策課題)は農業生産性の向上。もちろん、それは一義的には政府の仕事。まず地元の政府の仕事だけど、開発援助という形で先進国政府もその責任の一端を担う。でも、地元政府も援助国も課題に十分に応えられないとすれば(政府の対応能力の限界)、投資をする企業に期待がかかるわけです(CSR)。

公共政策的な使命を引き受けつつ、ビジネスを行うこと、もっと正確に言えば、ビジネスの遂行(開発、調達)に公共政策課題への対処方法を統合すること、が必要になります。

そのような努力を迂回すれば何が起こるでしょう。「異常な事態」が引き起こすかもしれない状況を考えてみましょう。地元の人たちは港から穀物が外国に運び出されるのを静かに見守るでしょうか。そうはならないと思います。暴動の可能性だって否定できない。それでも輸出を続けようとすれば、警察力が必要になります。ここにおいて、まさに昔ながらの植民地経営が再現されてしまう。

複雑で深刻な問題を抱える途上国でビジネスを行うとき、広い社会的文脈を見失うことは危険なことです。「投資は歓迎される」という短絡的先入観で突き進むべきではありません。

小生、日本の産業に思い入れがあって今の仕事につきました。職業人としても、また一人の個人としても、我が国の企業に対して植民地主義などという批判が投げかけられる事態、あってはならないと願っております。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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