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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

食料安保が引き金を引く「新植民地主義」

2008年12月 1日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら

気がつくとワイアードさんで連載始めて1年を超えていました。いつしか、東京にいる時は土曜日の午前中、いないときは飛行機の中で原稿を書く習慣も身につけました。この規則的かつ内省的な営み、読者の皆様、どうぞ引き続きお付き合いください。

さて、師走であります。「おみくじ」にはまだ早いですが、エコノミストの諸先生方が我々衆生のために来るべき日々の吉凶を占ってくださっております。が、要すれば先行きは不透明。とても不透明なので現在の金融危機を戦前の大恐慌になぞらえる向きさえ少なくありません。そんな閉塞感のある世情を反映してか否か、最近「植民地」というやや時代がかった言葉に出くわすことが多い気がします。例えば、「逆植民地化」なる用例、「インド・タタ自動車、ナノ工場建設のCSR的蹉跌」では次のようにご紹介申し上げました。

イギリスの伝統的自動車ブランドをイギリスの旧植民地の自動車会社(タタ)が買収する、という構図は様々に論評されました。昨今ヨーロッパでは中国などの新興国の経済パワーを「逆植民地化」なんて言葉で表現するヒトもいますから。

もっとも、ヨーロッパの方々が「植民地」の様々な派生用途を思いつかれることはごく自然なことであります。なにせ、「植民地」という言葉は元々ヨーロッパ製ですから。

ほら、ドイツに「ケルン」って名前の街があるでしょ。世界遺産の「ケルン大聖堂」で有名です。ブラッセルからデュッセルドルフ(日本企業の一大集結地)へ出張するにはケルンで列車を乗り換えます。小生、乗り換え時間に大聖堂の前のスタンドでソーセージをいただくのが秘かな楽しみでした。美味しかったな〜。

すみません、ソーセージはともかくとして、日本語で「ケルン」と呼ばれるあの街、英語では“Cologne”(コローニュ)って表記されます。「植民地」を意味する英単語の“colony”と似てるでしょ。それもそのはず、共にラテン語の“colonia”(植民地)に由来します。つまり、ケルンはローマ帝国の「植民地」として開かれて、「植民地」がママ名前になってしまった街なのです。そう考えるとやや不憫な感じもします。もちろん、ソーセージが美味しい以上、そのようなことはどうでもよいわけですけど。

で、今日はもう一つの派生用例「新植民地主義(neo-colonialism)」を取り上げます。ただ、「植民地」という言葉、時に煽動の香りを漂わせるので個人的には事物を論評する上でこの言葉のイメージに頼るのはどうかとも思っているのですが。役人らしく一応留保しといてスタート(笑)

「大恐慌」が先の世界大戦につながった大きな理由は、不況に直面した列強が植民地の囲い込みに走ったことでした。自国市場と植民地を高い関税率で囲う「ブロック経済化」ですよね。植民地獲得競争に後れをとった日本やドイツはあとから割って入ろうとして、軋轢を起こし、最後は世界を相手に戦争を戦うことになる。小生のお仕事であるWTOという国際貿易ルールも淵源をさかのぼれば、第二次世界大戦の教訓に行き着きます。各国から関税引き上げの自由を奪うことによって「ブロック経済化」の轍を二度と踏むことのないようするために生まれたものです。

植民地は、列強にとって自国市場の産品を売りさばく「市場」として大切な存在でした。同時に、植民地は宗主国が必要とする戦略的な資源の「供給源」としても不可欠な存在でありました。植民地は宗主国のための「市場」兼「鉱物資源や食糧の供給源」であった。実際、1941年のアメリカの対日石油禁輸措置は日本が太平洋戦争に突き進まざるを得なかった大きな理由とされています。石油の輸入を断たれた日本は死に物狂いになって供給源をアジアに求め、引き戻れないところまで深入りしてしまいました。

いま語られる「新植民地主義」は、主に後者、つまり先進国が資源(鉱物資源と食糧)の供給源を途上国に確保する際の「やりくち」を批判するときに使用されます。「植民地主義的」だと。

この問題、11月20日のファイナンシャルタイムス(FT)が大々的に取り上げたのですが、実は記事の中で日本はお褒めの言葉にあずかっています。今回、FTは自国の食糧安全保障のためにマダガスカルに大規模な農地開発を行おうとしている韓国企業(大宇ロジスティクス)を辛辣に批判しています。その中で日本はある意味優等生として引き合いに出されているわけです。その個所をみていただければ、大宇ロジスティクスに対する批判のエッセンスも読み取っていただけるかと思います。

「日本の産業界、とりわけ丸紅などの商社は、食糧不足のアフリカ大陸から収穫を輸出することになることを憂慮して、(輸出向けの農業開発の投資先として)アフリカを避けてきた。日本企業の農業投資先はブラジル、アメリカ、ウルグアイ、アルゼンチンに集中している。」
(出所)Financial Times Asia, November 20, 2008. “Support cools for rich countries' investment”

この問題、もし「新植民地主義」というややジャーナリスティクな包み紙を解けば、その本質は「CSR調達」の問題であることがわかります。CSRの視点も加えて次回より詳しく見ていきたいと思います。

ではまた来週。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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