人権と国家主権についてのCSR的感想文(後編) 〜 「利己的動機」の力
2008年9月 1日
(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)
大学のとき開発経済学は好きな講義の一つで欠かさず出席していました。
研究者志望だった小生、分野を問わず非常によく勉強していました。しかし、経済学に必至の数学的センスが完全に欠如しているという現実に直面。結局普通に宮仕えの身となることになり、超地味だった4年間を少しだけ後悔したりしたのであります。
ただ、最近になって書きモノしたりすることが少し増えて、勉強したことって、やっぱなんとなく役に立っているかなって思うこともあります。この歳になってこんなこと言っても現役大学生のみなさんにとって勉強の動機にはならないと思いますが(笑)。
さて、その講義で教授が発したある一言が印象に残っています。今にして思うと、たぶんうっすらと頭の中に漂っていたことを明瞭な言葉にして投げかけられたときに感じる驚きみたいなものを感じたのかな。
先生曰く「ODA(政府開発援助)を善意の発露として捉えるのはおかしい。善意は一時のもの。供与国に利益がある程度還元されなければODAは持続性を持ち得ない。」
ボクがこのブログで
「美しくて異議を唱えにくい言葉や、紋切り型で思考を迂回するフレーズ。国内でCSRが語られるとき、寄りかかってしまいがちです。…ワタシがCSRについて著述をするようになったのは、世の議論が美しすぎると思ったからです。美しすぎて、耐久性がないだろうな、と思いました。」(6月2日「美しすぎてアブナイ感じ」)
などと述べたことの背景には、先の先生の言葉があったのかもしれません。
で、欧州人権裁判所ですが、国が本来やりたくない主権の譲渡を人権という領域で行った理由をどう説明するか。従来二つの説明がなされてきました。一つは人権という理念に対する賛意、もう一つは人権擁護を標榜する大国の影響力。
しかし、Andrew Moravcsik先生が論文で述べられたことは、拘束力ある国際司法裁判所を可能にしたのは、人権という概念の規範的な訴求力や民主的大国による影響力の行使ではなく、あくまで各国政府のself-interest(自己利益)に基づく「計算」であった、ということであります。
このような結論は、欧州人権条約の交渉過程の検証から導き出されています。交渉において拘束力ある欧州人権裁判所の設立を支持したのは、当時生まれたばかりで脆弱な若い民主主義国でした。そのような国の政府は、将来の政権交代によった民主主義に敵対的な政権が再び登場し政策を非民主主義的方向に振ってしまう不確実性に備え、つまり、後継政府の政策の手を縛る手段として、拘束的な国際司法機関を推進した、と論じておられます。
他方、民主主義が深く根をおろしている国の政府にとって、非民主主義的勢力が政権を握るかもしれない、といった将来の不確実性を考慮する必要性はほとんどありません。そのような国にとって、将来の後継政府の政策を縛るという超国家的司法組織の効果に価値はないわけです。少なくとも、主権を一部放棄することに見合うだけのメリットはないことになります。
実際、一般的な「常識」に反して、欧州人権裁判所に拘束力を持たせることに反対する勢力を形成したのは、確立された民主主義の伝統を有する国々でありました。最も強行に反対した国の一つは、当時欧州で最も有力な民主主義国家であったイギリス。イギリスは、同時に当時から最もNGOセクターが発展した国でもあり、市民社会は政府に対して拘束的人権司法機関を支持するよう働きかけを行っています。しかし、イギリス政府はそのような要請を無視します。
このような経緯を、もしCSRの文脈の中でなにがしか一般化するなら、理念の地域的広がりは、理念そのものの力と理念の実現を担う主体のself-interest(自己利益)の複雑な絡み合いによって進むということかもしれません。
欧州において欧州人権裁判所という執行力を伴う強いメカニズムが生まれた一方、国連における成果はおおむね宣言的な文章の域にとどまっています。その差を生んだのは明確な自己利益の追求の存否だったのかもしれません。
CSRは少なくとも短期的には利益の犠牲を伴います。国家が主権を損なう行為を避けようとするように、企業は利益を減じるような行動には消極的です。そのときに、それでも企業はなぜCSRに取り組むのか。
企業が、CSRの理念への共感に加え、CSRの推進に利己的動機を見いだすことは、CSRが飾り物に堕する危険を低減させるのかもしれない。そして、利己的動機の「計算式」の主な変数は、将来のリスクであるかもしれない、と思った次第です。
夏の読書感想文でした。
藤井敏彦の「CSRの本質」
過去の記事
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