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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

美しすぎてアブナイ感じ

2008年6月 2日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)

美しくて異議を唱えにくい言葉や、紋切り型で思考を迂回するフレーズ。国内でCSRが語られるとき、寄りかかってしまいがちです。

例えば「市民団体との協働」。欧米のNGOと企業は「協働」している場合でも、その前に壮絶な戦いを経ています。力と力でぶつかりあって、お互いの力を認め合って、結果として対等の立場で協働する。企業のイメージアップのために資金が回らないNGOが利用されるのとはちがう。でも、「協働」という言葉はその差を覆い隠してしまう。後者は「協働」ではなく「NGOの利用」と表現すべきです。「協働」という言葉に拘るなら、「援助協働」と呼び、差をはっきりさせたほうがよいです。

CSRを「善意」や「誠意」の話にしてしまうと話が早いです。なぜかというと、誰も異を唱えないし、考えなければいけないこととは思わないから。「結構な話ですねぇ」で終わる。終えることができる。SRIも同じです。「社会の資金の流れを変えて地球を守ろう」というフレーズと、企業の環境への貢献度を一社あたりわずか数時間で判断するという現実が奇妙に、誰もおかしいと思わず同居している。

ワタシがCSRについて著述をするようになったのは、世の議論が美しすぎると思ったからです。美しすぎて、耐久性がないだろうな、と思いました。

調査に数時間しか時間をかけられないのは、証券会社が調査会社に十分な対価を払わないからかもしれない。そして、証券会社が調査対価を引き上げて調査の質を向上することに必然性を感じないのは、投資家に対する説明責任を放棄していることの裏側かもしれない。

ね、世界はあんまり美しくないでしょ。一歩入っていくと。

しかも、誰もが知っているこの美しくない現実が表だって指摘されない。神学と宗教学はどう違うかご存じですか。神学とはキリスト教の信者が教義を研究する学問です。神の存在を支える論理を精緻化していく。神の存在を否定する神学というものは基本的に存在しません。ヨーロッパ中世の最高の頭脳がこの分野に集結したのはご存じのとおり。

他方、宗教学は、なぜ宗教というものが社会に必要なのか、なぜある宗教に帰依する人々が存在するのか、社会における宗教の意味を研究します。宗教学の研究者は宗教を研究対象として外から見るのです。もちろん、神学と宗教学の優劣を語ることには何ら意味はありません。両者はちがうものです。

日本のCSRにしても、SRIにしても、また、NGOにしても、議論や検討が神学的アプローチに偏っているような気がします。神学が神の肯定を前提として出発すると同じように、SRI研究は大概SRIの肯定という前提から出発する。また、NGOの研究者の方は同時にNGOの活動家であることが多い。神学の研究者がキリスト教徒であるように。

神学に大きな存在意義があるように、このようなSRI研究やNGO研究にも偉大なる存在意義があります。ただ、同時に、誰かが宗教学的にアプローチをする必要がある。

よく、こういうアンケートありますよね。「環境対策に優れた企業の製品であれば、他社製品と全く同じ性能で10%高い値段であったとしても買いますか?」。結果を集計し「85%の回答が肯定的だった。企業の環境保護の努力は消費者に歓迎されて売り上げ増につながる」といった結論に走る向きもでてきます。心理学によると、人はアンケートで嘘をついても呵責の念にはかられないのだそうです。むしろ、期待されている答えを(仮に嘘でも)答えてあげる、という行動をとる傾向があるとのこと。

ただ、過去の事実について問われた場合は別。もしアンケートが「ある会社が環境に優しいという理由で、同様の製品よりも10%値段が高い製品を買ったことがありますか」と、過去の事実を問うものであれば、回答は随分ちがったものになることが予想されます。

アンケートは議論の実証的な裏付けとしてよく使われます。でも、実態は単に化粧を厚くしているだけのことも。SRIには潜在的に社会を変える大きな力があると思います。でも、まだまだ成長途上の子供。必要なのは厚着や化粧じゃなくて乾布摩擦。批判が必要です。

SRIは必ず善でしょうか? ずさんな調査をするファンドをSRIと呼ぶのは虚偽表示みたいなものです。企業の環境への取組をしっかり調査をせずに環境ファンドを名乗るのは詐欺的行為といってもいい。効果がないのにダイエット効果をうたうのと同じですから。SRIはアブナイ世界と隣り合わせに存在しているのです。

それでもSRIには可能性がある。この世の中、市場に任せておけないことはたくさんあります。そして規制も常に解決策にはならない。気候変動問題を見れば明らかでしょう。我々は解として中間的な「なにか」を探し続ける必要があるのです。SRIが解の一つたり得るかどうか、それは、我々が建設的批判を投げかけることができるか、そしてSRIがそれに答えようと精進できるか、にかかっていると思うのです。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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