3Dが縮めるアバターと自分の距離—3Dディスプレイ市場とアバター観
2010年1月12日
(これまでの 荒川曜子の「それはWeb調査から始まった」はこちら)
映画『AVATAR』の好評をあちこちで目にしますね。まだ観ていないのですが、奥行き感がスゴい3D映像体験だそうです。・・・肌が青っていうビジュアルがどうにも受け入れられないなどと言っている場合ではなさそうです。エンターテイメントは人間の五感でカウントすると、視覚だけの小説や漫画、聴覚だけの音楽・ラジオから、視覚+聴覚という映画へ、TVゲームではある種の触覚なども体験可能になり、情報量は増えてきたわけですが、3Dはその次の段階となり得るのでしょうか。というわけで今回は3Dとアバターについての調査のご紹介です。
ディスプレイサーチ社が1月8日に発表したところによると、3Dディスプレイは2008年の70万台(9億200万ドル)から、2018年には1億9600万台(220億ドル)に成長するそうです。台数ベースで年率75%の成長です。
3Dテレビは2009年の20万台から2018年には6400万台、3DノートPCは6万6000台(2009年)から1770万台(2018年)。3D携帯電話は2018年には7100万台となり、携帯電話は最も台数の多い3D端末になるという予測です。まったく新しい言葉ではありませんが、こうして台数予測などを並べられるとワクワクしますね、3D。TV電話があまり流行らなかったので、携帯電話に3Dが乗ってもそれはエンタメとかショッピングにしか使われないのかもと思うとちょっとつまらないですが。空間でタイピング(入力)できる3Dキーボードとか・・・楽しみです。
『AVATAR』の紹介を読むと、映画の世界では(22世紀)、実際の肉体を持つアバターを自分の体のように操作できるという設定のようです。アバターという単語はセカンドライフの流行以降、聞きなれた感があります。ヤフーやモバゲー、以前紹介した『ともコレ』やMiiなど、様々なメディアでアバターを目にするようにもなっていますが、実際のところ一人の人間にとってアバターとは何か?というテーマはかなり興味深いものです。一昨年にセカンドライフ生活研究所がセカンドライフユーザーに対して行った調査によると、アバターとは「もう一人の自分(38%)」、「理想像(同性)(16%)」、「自分そのもの(14%)」だそうです。続いて「プレイする道具(13%)」「架空の人格(12%)」・・・
アバターとは、その人格が存在する世界にユーザーが没入することを助けるためのひとつのインタフェースといえます。ユーザーの似姿として作られつつも、「自分そのもの」というよりは、どこか客観を残した(同一化しきれない)「もう一人の自分」であることが多いという結果が出ています。もちろん「自分そのもの」の場合もあるし、単に「プレイするための道具」であることもあり、日々の願望を反映した「理想像」となることもある、というのはそのもうひとつの世界にユーザーが感じる距離感なのかもしれません。『AVATAR』の中では、主人公と主人公のアバターは一体化している、あるいはどのような距離をとって異なる惑星に立っているのでしょうか。映画館に行ってみたいと思います。
荒川曜子の「それはWeb調査から始まった」
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