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yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

マルコム・グラッドウェルの苦言と岡田斗司夫の予言

2010年10月14日

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(なぜか邦題がコロコロ変わる)『ティッピング・ポイント』、『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』、(やはり邦題がアレな)『天才! 成功する人々の法則』などの著書で知られるベストセラー作家マルコム・グラッドウェルが今月はじめに The New Yorker に発表したエッセイ Small Change: Why the revolution will not be tweeted. は、海外のネット論壇で大きな反響を呼びました。

正直読む気を殺がれる長さなので、未読の人には ReadWriteWebGuardian の要約記事を読むことをまずはお勧めしますが、要は Twitter や Facebook のようなソーシャルネットワークサイトのユーザ間にあるのは「弱い紐帯(weak ties)」であり、それは必ずしも悪いものではないが、その「弱い紐帯」がハイリスクな社会運動につながることは滅多にないという趣旨の文章です。

グラッドウェルはその論証として、ときに生命の危険や暴力をともなった市民権運動における「強い連帯」と Facebook の「ダルフールを救え(Save Darfur)」ページを比較します。このページには128万人をこえるメンバーがいるが一人あたりの寄付額は9セントに過ぎず、その次に大きなダルフールチャリティーページには2万人をこえるメンバーがいるが一人あたりの寄付額は35セントと他も似たり寄ったりで、真の献身の動機付けになっていないとグラッドウェルは論じています。

また2009年のイラン総選挙後の反政府デモなどの情報拡散に Twitter が大きな役割を果たし、"Twitter Revolution" とも言われましたが、これについてもグラッドウェルは、あれは #iranelection ハッシュタグのツイートを読んだ欧米のジャーナリストが騒いでいただけとやはり辛い評価です。

グラッドウェルの文章に対する玄人筋の反応としては New York Times の Room for Debate などありますが、ネットで見れる反応はやはり批判が多いようで、イラン問題の当事者に近い立場にいる Scott Lucas や、カシミールでインドの治安当局の弾圧に対するソーシャルネットワークサイトでの抗議を取材した Leo Mirani の批判は読む価値があります。

グラッドウェルの傍観者的な語り口に対する批判だけでなく、やはりというべきか自分たちが入れ込んでいるものを軽んじられるのは不愉快、という反発も大きいようです。例えば ReadWriteWeb のエントリからもリンクされている David Helfenbein(長年ヒラリー・クリントンのスタッフだった)の反論などその典型で、彼の文章は以下のように終わります。

グラッドウェル様。あなたのコラムに対するインターネット上の返答をすべてごらんなさいな。私はたくさん目にしましたよ。確かにローリスクですね。当然ながらつながりは緩い。でも、我々は返答を書くくらい関心を持っているんです。そして我々の返答をツイートしたり、それを Facebook に投稿するくらい関心を持つ人がいるんです。そこで、私もあなたがコラムの締めに使った言葉で終わりにします。革命万歳(Viva la revolución)。

これがグラッドウェルの主張に対して何の反論にもなってないことに気付いてなさそうなのは滑稽に思えます、と書くと辛辣過ぎるかもしれませんが、ワタシ自身ソーシャルネットワークに過剰な期待も愛着も持ってないためか、こういう文章を読んでもだからどうしたと思ってしまうわけです。

それはグラッドウェルの文章についても言えます。大体彼の文章の副題 "Why the revolution will not be tweeted." は、「黒いディラン」と言われたギル・スコット・ヘロンの代表曲 "The Revolution Will Not Be Televised" のもじりですが、テレビですら中継されない「革命」をツイッターが伝えられないからといってけなされるいわれはなかろう、と思ってしまうのです。

逆に言えば、Twitter や Facebook がそうした論評の対象になるほどのメディアとして認知されたと言えるかもしれません。Twitter に関して言えば、日本においてもその情報拡散力への認知は広がっています。

一方で Facebook の日本における普及は明らかに立ち遅れており、ちょうどグラッドウェルの批判に対する有効なソリューションになる可能性を秘めたソーシャルグラフのオープン化とグループ機能の追加があり、また Facebook の創業期をモデルにしたデヴィッド・フィンチャーの新作映画『ソーシャル・ネットワーク』の公開を来年1月に控え、映画の評価が高くアメリカで大ヒットしてるだけに、他人事ながらいささか気の毒というか心配になるくらいです。

 

...............と文章を終えようと思っていたら、先週からゆーすけべー日記IT戦記あたりに始まり、急にギーク層で Facebook の話題が爆発した感があり、話の辻褄が合わなくなって頭を抱える事態になってしまいました(笑)。Viva la revolución!

主要なエントリは Asiajin にまとめられていますが、マルコム・グラッドウェル風に言えば、Facebook は日本でもティッピング・ポイントをこえ、アーリーアダプターの本格的利用が始まる段階に入ったと言えるでしょうか。

ワタシのようにアンテナが低く、トロい人間には急展開に思えますが、モバイルサイトの立ち上げなど日本法人の地道な下地作りの成果とみるのが妥当でしょう。モーリさんの「Facebookのなにがすごいかを「G P S」からかんがえる(位置情報じゃないよ)」が、現時点での Facebook の優位性に関する最も分かりやすい解説だと思います。

今回の急激な盛り上がりを目の当たりにし、ワタシが思い出したのは、週刊ダイヤモンド2010年3月13日号に掲載された岡田斗司夫のインタビュー記事『FREEの正体 0 円ビジネス大解剖』(リンク先 PDF ファイル)です。岡田斗司夫は、この時点で Twitter と Facebook について以下のように予言しています。

なので、この夏以降、ツイッターはさびれて、フェイスブックに行くであろう。それはもうはっきりしてますね。これだけツイッターが紹介されれば、ツイッターはどんどんここから先、いるだけの場所になり、複数のアカウントを持つのが当たり前になり、bot(自動で投稿されるアカウントで、有名人bot が多い)がどんどん溢れてきている。

この文章を3月に初めて読んだときは、この予言は外れるだろうと高を括っていたのですが、彼が語るアーリーアダプター移動論は現状に合致しているように見えます。一部のギーク層にとって、今 Facebook が最も面白い場になっていることは間違いないでしょう。海外での Facebook 人気の大きな部分を占めるソーシャルゲームについての感想をほとんど見ないのは気になりますが、内輪のコミュニケーションを楽しんでいる人たちに、それは Twitter(あるいは mixi)でもできる、などと言うのは無駄なことです。

ただ、これから一直線に Twitter は寂れて Facebook が主になる、とはワタシは思っていません。件のギーク層、あと今月に入って公式ファンページをつくった勝間和代など顕著ですが、これまで最大の難点とされている実名での登録をまったく問題としない人たちであることは大きく、現在まで強い反発を呼んでいる Facebook のプライバシー問題についての言及がまったくないのも同様の理由でしょう。彼らの後に続くアーリーマジョリティ層が情報の開示範囲でやけどを負う事例もこれから増えるのではないでしょうか。

それに加野瀬未友さんが指摘するように、今 Facebook が面白いとされるポイントであるコミュニケーションの濃度やリアルタイム度の高さは、ソーシャルネットワーク疲れの原因の最たるものでもあるのも忘れてはいけません。

個人的には、この点においてコミュニケーションに関する「緩さ」と情報のフローに対する「アバウトさ」の許容度が高い Twitter のほうに好ましさを感じますが、別に Twitter と Facebook を対立事項としてみなしているわけではありません。ソーシャルネットワークは、結局ネット上で交流のある人たちがどれだけ利用しているかで決まるところがあります(これまで mixi や Twitter がそうであったように)。ワタシにとってのそういう人たちが Facebook を主戦場とするなら、自分も結局はそちら側に流れることになるのだろう、と今はぼんやりと考えています。

最後にもう一点。デヴィッド・ワインバーガーアニール・ダッシュの文章を読むと、創業者であるマーク・ザッカーバーグの限界をそのまま Facebook の限界と見ているようで興味深いですが、日本ではザッカーバーグ自体の認知が低く、「会社の顔」としての強いイメージがありません。映画『ソーシャル・ネットワーク』がそれを知らしめる役割を日本で果たすことになりそうで、アーロン・ソーキンの脚本に描かれる話がすべて事実なわけはなく危険性も感じますが、ともかく映画としてはすこぶる面白いようなので今から公開が楽しみです。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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