日本に海賊党ができても支持はしないけど……
2009年10月14日
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先日、NHK BS1 のニュース番組で放送されたスウェーデンの海賊党(Pirate Party)に関する BBC のレポートを見ました。
海賊党については今年の夏、欧州議会において1議席を獲得し、イギリスやドイツなどでも若者層を中心に支持を広げていることは知っていましたが、正直好意的には見ていませんでした。
このブログでは何度もフリーカルチャー/フリーソフトウェア関係の話題を取り上げています。著作権を強化する動きに異を唱える方向性については海賊党の主張とも重なるところもあるはずですが、CNET に掲載された海賊党党首のインタビュー(前編、後編)を読み、個々の論点はともかくまとめて読むとお腹いっぱいというか、極論を主張する人たちなんだなぁ、と距離を感じてしまったことははっきり書いておかなくてはなりません。
そういえばリチャード・ストールマンも、著作権のあり方に改革が必要なことは認めつつ、海賊党の主張はフリーソフトウェアには逆効果と断じていましたが、これは彼の提唱するコピーレフトという概念が著作権法を逆手にとったハックという性質がある以上、不思議ではありません。
件の BBC のレポートでは、海賊党の主張がスウェーデンに根付く権利意識を基盤とすること、そして徒らにコンテンツを無料で享受させろと言い立てるだけの与太者でないこと、また海賊党が若者層から無条件に支持されているわけではないこともあわせて伝えていて、以前よりは少し膨らみを持った存在には感じられました。
日本では先週、著作権法違反幇助の罪に問われた Winny の作者・金子勇氏に対して、大阪高等裁判所において逆転無罪判決が出ました。ワタシ自身は Winny を使ったことはなく、このソフトウェアにまったく好感を持っていませんが、手がけたソフトウェアのために開発者が有罪となるという事態を避けられて、ほっとしています。
ただそれはそれとして、違法ファイル共有がコンテンツ産業にもたらす損害という問題は残っています。
少し前の話になりますが、イギリスで3ストライクアウトポリシー(警告状に従わない違法ファイル共有ユーザをインターネットから一時遮断する制度)を導入しようという動きについて、メジャーアーティストが中心の Featured Artists Coalition(FAC)のメンバーが異を唱えて違法ファイル共有に理解を示したのに対し、リリー・アレンが FAC の主張は成功者目線で新人アーティストにはアンフェアと噛み付くという一幕がありました。
リリー・アレンを擁護する声、批判する声が入り乱れ、また FAC のメンバー間でも当然温度差があり混乱がありましたが、そのうち違法ファイル共有を糾弾するアレン自身が他人の曲を含むミックステープを自身のサイトにアップロードしているというどっちらけな報道があり、アレンがインタビューで引退を示唆してブログを閉鎖するというぐだぐだな結果となりました。
個人的にはリリー・アレンは引退しないと思いますが、それはともかくはっきりさせなければならないのは、FAC のメンバーにしろ違法ファイル共有を奨励はしていないことで、ユーザのインターネットからの遮断という措置が道理に反していないか、過度な対策にかけるコストに見合う効果があるかが問題なのです。
またアレンの件に関しても、コリィ・ドクトロウが指摘するように、重要なのは彼女の主張が偽善か否かではなく、一般ユーザのカジュアルな利用が法に触れてしまう著作権の混乱です。これはワタシ自身の話ですが……冒頭に書いた、NHK BS1 のニュース番組はテレビではなく、YouTube にアップロードされた動画を見たものだったりするわけです。
ワタシ自身は以前「音楽税はそれほどバカげたアイデアだろうか?」で、包括ライセンスと代替補償システムの組み合わせによる、リスナーの自由な音楽へのアクセスとアーティストへの補償の両立を主張したことがありますが、どうもこれはあまり受けがよくありません。
ちょうど少し前からマット・メイソンの『The Pirate's Dilemma: How Youth Culture Is Reinventing Capitalism』(公式サイト)を読んでいます。昨年はじめにハードカバーが刊行されたときに PDF 版を無料で入手したまま手つかずだったのですが、八田真行のつぶやきを見てこの本(正確にはその電子ファイル)を思い出したというわけです。
マット・メイソンの主張が海賊党の方針と一致しているわけではないでしょうが、十分に挑発的でありながら、「著作権なんてクソ! 海賊行為万歳!」と言い張るだけの本にはなっておらず安心しました。余談ですが、ケーブルテレビのはじまりは今の違法ファイル共有と同じような状況だった(ホントウです)というのは『デジタル音楽の行方』にもあった話で懐かしかったです。
この本は副題通り、海賊行為が資本主義をどのように変えるのか論じたものであり、共産主義的にみられるのを回避しています。ワタシとしては、マット・メイソンのように威勢の良い文章は書けずバランス論に終始するばかりですし、万が一日本で海賊党が旗揚げしたとしても支持はしないと思いますが、もう少し彼らの主張に耳を傾けてみてもよいかなと思っています。
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