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yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

ブログの多様性とコメント欄

2008年2月13日

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現在 Developers Summit 2008 のために来日しているジョエル・スポルスキーが、書籍化もされたブログ Joel on Software に昨年、Learning from Dave Winer というエントリを書いて論議を呼んだことがありました。これは、タイトルにも名前が出ているブログ界の最古参であるデイヴ・ワイナーの文章を援用しつつ、ブログのコメント欄の意義に疑問を呈したものです。

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これに対して賛否両論ありましたが、SEOmoz.org の反論エントリの翻訳「ブログのコメント欄を公衆便所の落書きにしない方法」がよいまとめになっているのでご一読をお勧めします。

引き合いに出されたデイヴ・ワイナーが、現在では Scripting News 本家でもコメントを受け付けているなど当時から変化がありますし、ジョエル・スポルスキーの名誉のために書いておくと、彼は議論を深める場としてディスカッション・グループを用意しており、読者からのフィードバックを拒絶しているわけではありません。

ただ彼が書くディティール、すごく有益なエントリを読み終わり高揚したところでクズのようなコメントやスパムの羅列を目にして萎えてしまう、名前をまともに名乗らない(日本で言えば「通りすがり」あたり)コメントにロクなものがない、というのには思い当たるところがあり笑ってしまったのを覚えています。

さて、当ブログにはコメント欄がありません。これは当方が WIRED VISION 編集部に要望したことではなく、他のブログも同様です。

これは編集長に確認を取った話ではないので当方の勝手な推測とお断りしておきますが、WIRED VISION の前身である HotWired 時代のブログに批判的なコメントが殺到したものがあり、その轍を踏みたくなかったのも一因ではないでしょうか。

もっとも現在の執筆陣には燃料投下にのみ長けたような人はいないので炎上を心配する必要はあまりないと思いますが、慢性的な人手不足が常のニュースサイト運営において余計な管理コストは避けようとするのは当然で、その方針に異議はありません。

ワタシ自身、ブログのコメント欄に意味がないとは思いませんが、余計な負担を強いている側面があり、ブログの多様性に対応できていないと感じることが多々あります。ブログと一言で言っても、自身の知識を活かした専門性の高いものもあれば、時事問題に切り込む論説型もあれば、本や映画の感想が中心のレビュー型もあれば、まさに日記としてのブログもあり——とブログは多様化しており、またそうあるべきだと思います。

それはコメント欄に対する姿勢も同様であり、コメント欄を自分の文章と関係ないものと考え何を書かれても平気な人、寄せられたコメントに逐一返事を書かないと気が済まない人、本文よりもコメント欄で勝手知った常連とわいわいやるのこそが楽しい人——これも人それぞれでしょう。

ワタシ自身に関して言えば、SEOmoz が説くところの「コミュニティを適切な方法で構築」することにはまったく興味がありません。内的なテンションを保ち、質の高い文章を公開し続けることが何より重要なのです。

当方ははてなダイアリーをはてなユーザのみコメント書き込み可能に設定していますが、それはまず上のような前提(コミュニケーション志向でない)があり、自分の文章中のバグの指摘や有益な情報を提供してもらえるパスを残しながらも、うんざりくるコメントスパムや検索経由で辿りついたと思しき読者の脊髄反射コメントを大方カットできるという利点を享受できるためです。

もちろん利点ばかりではなくて、「はてなのアカウントを持たないからコメントできなかった」との指摘をもらったことは一度や二度ではなく、それを読むと申し訳なく思います。が、それで設定を変える気にはなりません。だって、メールアドレスも公開しているのだから、本当に必要なコメントならばメールで投げることもできたわけでしょ?

当方の話はともかく、ブログのコメント欄は現状ブログの多様性に対応できていないように思います。Slashdot などのレーティングといった方策は既にありますが、もっと根本的なインタフェース、見せ方の改善が可能ではないかと時々思います。ブログツール、サービスの作者には、小手先の新機能だけでなく、コメント欄という基本機能にももっと目を向けてほしいところです。

BLOG HERALD のローレル・ファンフォッセンの一連のエントリ(その1その2その3)を読むと、コメントがブロガーの負担になる事例は洋の東西を問わないのが分かります。日本人ネットユーザの匿名志向を海外のブロゴスフィアに劣るものとして攻撃する人がいますが、例えば昨年のキャシー・シエラ殺害脅迫事件(参考1参考2)を見ても、そうしたトラブルは日本に限った話ではありません。

ワタシがジョエル・スポルスキーが引用するデイヴ・ワイナーの文章を読んではっとしたのは、一般受けしないものでも、個人の声を怒号で押さえ込まれることなく表現できるのをブログの最も尊いところと彼が考えていることです。空気嫁的同調圧力の強い日本ではその尊さは一層貴重なものではないでしょうか。ならば、コメント欄への投稿のコントロール、更にはコメント欄を閉じるというのも選択肢の一つとして尊重されるべきです。

ただ、コメント欄でなくても、ソーシャルブックマークなり掲示板なり、もちろん各人のブログなり、異論、反論が表明されるのを避けることはできません(ソーシャルブックマークでのフィードバックについてはまた議論がありますが、それについては既にいろんな文章が書かれているのでここでは触れません)。

ワタシを含め大抵の人にとって、ネガティブなフィードバックをもらうのはしんどいもので、それを喜べる人は少数でしょう。しかし、反応を自分の都合良いようにコントロールはできません。重要なのは、それに対して自らを省みる姿勢があるかどうか、ではないでしょうか。それができない人は、原因を批判者に求めてレッテルを張ったり、原因をシステムに求めてツッコミどころの多い強弁で不必要に反感を煽ってしまう。そうして自らを省みる姿勢のなさを読者に見抜かれ、夜郎自大さを晒しているブロガーを見るにつけ、コメント欄にこそブロガーの人間性が出るという指摘を改めて恐ろしく思ったりします。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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