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yomoyomoの「情報共有の未来」

内外の最新動向をチェックしながら、情報共有によるコンテンツの未来を探る。

Internet Turns On Junior Unsatisfied Nerds

2007年11月 7日

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先月の30日、@IT の「IPアドレス枯渇に見る技術者とポリシーメーカーのギャップ」という記事を読みました。今年は開催時期も場所も来場者数予想もこれまでと異なるので予想はしていましたが、Internet Week は開始から10年を過ぎ転換期を迎えるようです。当方も過去何度か参加していますが、やはり初めての参加となった IW98、そして IPv6 一色だった(後述します)IW2000 が特に印象に残っています。

その日の晩、Twitter での書き込みで itojun こと萩野純一郎さんの訃報を知りました。俄かには信じがたい話でしたが、深夜から翌朝にかけてウェブに集まる情報を見るにつれ、それが事実であることを受け入れる辛さを味わいました。

itojun さんの訃報に接し、当方はひどく動揺しました。それは数日前に氏のウェブ日記に書かれている内容に驚き別所で話題にしたばかりだったこと、そしてその日の朝、件の @IT の記事を読み、過去の Internet Week のことを思い出していたことがありました。

IW98が開かれた1998年というと、Netscape がブラウザのソースコードを公開し、エリック・レイモンドらによる「オープンソース」という言葉とともに GNU/Linux を中心としてフリーソフトウェアが企業に受け入れられ出した年で、IW98 においても、日本Linux協会の設立が発表されています。

ただそれと重なる部分がありながらも立場を異とする BSD Unix 系のフリー文化も長い伝統があり、Internet Week は日本におけるその文化の総本山だった WIDE Project が中心となって始まった印象があります。

IW98 に関して最も当方の印象に残っているのは、山本和彦さんによる IPsec と IPv6 のセッション、そして同じく山本さんが中心となった 6Bone-JP BOF です。itojun さんのはっかーずぱらだいすから辿って知った坂根昌一さんの技術文書群が当時の当方にとってバイブル的存在でしたが、WIDE や KAME Project に携わるハッカーを目の当たりにした興奮は今も鮮明に覚えています。

一年置いて参加した IW2000 は Global IPv6 Summit in Japan と 6Bone-JP BOF という IPv6 づくしな二日間でしたが、何より KAME の人たちの話が聞きたかったのだと思います。当方が萩野純一郎さんをこの目で見たのは、結果的にこれが最初で最後になりました。

itojun さんは Global IPv6 Summit でも客席から積極的に発言していましたし、6Bone-JP BOF における itojun さんと山本和彦さんの当意即妙、丁々発止のやり取りは今思い出しても夢のようです。当方は itojun さんの眼鏡と髭面にジョン・レノンを連想しました。笑われるかもしれませんが、氏の姿はそれくらいかっこ良かった。実際氏は当時、ビートルズ解散時のジョン・レノンと同い年だったことになります。

もっとも彼らハッカーのやり取りを見て、高揚してばかりではありませんでした。例えばこれは98年の 6Bone-JP BOF の話ですが、IPv6 のルーティング周りを聞き取りにくい声でぼそぼそと説明していた人が、「なかなか接続がうまく行かないので頭にきて RIPng をスクラッチから書き始めて何とか成果を出し、嬉しかったので BGP4+ も作っちゃいました。OSPFv6 を作っている人を何人か知ったので僕も手を貸すつもりです」と喋るのを聞き、どうやっても自分はこの人たちのレベルまで行けない、と一種の絶望感を味わったものです(ちなみにこの発言の主は GNU Zebra の作者で、現在は IP Infusion の CTO を務める石黒邦宏さんです)。

itojun さんはその後もハッカーとしてコードの貢献はもちろんのこと、IETF での活動を通じてインターネットをより良いものにするために力を尽くしてきました。インターネットのガバナンスに関し、"rough consensus and running code" という言葉がよく引き合いに出されますが、IAB(Internet Architecture Board)ともなればラフなレベルで済むわけはなく、相当にタフな交渉に耐えねばならなかったのは想像できます。

氏を古くから知る人は、技術に関して一切妥協しない技術者らしさと人当たりの良さ、社交性の豊かさの両面を語っていますが、今回の訃報は日本最高のハッカーが失われたというだけに留まらないのを痛感します。例えば転換期を迎えた Internet Week のような場にも、氏の存在は欠かせないでしょう。

無念の思いは尽きませんし、何より氏が尽力した IPv6 がインターネットのデファクトスタンダードになるのを見る前に亡くなられたのは残念でなりませんが、netinet や netinet6 配下をはじめとして数々のフリーソフトウェアの中に氏のコードが生き続けるのはせめてもの慰めです。

本文が公開される11月7日、萩野純一郎さんの葬儀が執り行われます。2004年を最後に参加していない人間が要望する資格がないことを承知で書かせてもらえば、今年の Internet Week でも、偉大なハッカー萩野純一郎さんの死を悼む時間が少しでも取られることを願います。

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プロフィール

1973年生まれ。 ウェブサイトにおいて雑文書き、翻訳者として活動中。その鋭い視点での良質な論評に定評がある。訳書に『デジタル音楽の行方』、『Wiki Way』、『ウェブログ・ハンドブック』がある。

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