サイエンス・コミュニケーションをシャッフルする
2008年9月18日
(これまでの 「コミュニケーションデザインの未来」はこちら)
気がついたら、あっという間に8月が終わり、9月も下旬になろうとしている。自分なりに10日ごとにブログを更新しようと思っていたのに、全くそれができず、期待していた読者の方々にはお待たせしてしまい、申し訳ない。今回は、8月末と9月中旬の2回、私が所属するユニットで行った「集中演習」という授業について紹介したい。
北大科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)には、通学で様々な科学技術コミュニケーションの活動を実践的に学ぶ「本科」と、講義をもっぱらe-learningで聴講する「選科A」、サイエンスライティングをみっちり学ぶ「選科B」という3つのコースがあり、合計80名余りの社会人と学生が一年間学んでいる。夏期の集中演習は、通信教育などで行われるスクーリングに相当するもので、本科と選科Aの60名余りが参加した。
この授業は、受講生同士がグループを組み、それぞれが小さなサイエンスカフェのようなイベントプログラムを企画し、実演するところまでを、たった2日間でやってのける。しかも、実演する会場は大学内ではなく、札幌市内の繁華街にあるアップルストア。フリーのお客さんも出入りするような現場だから、受講生たちの緊張感は並大抵のものではなかっただろう。
北海道から沖縄まで、全国から集まった受講生は、本科生を除けば大部分が初対面だ。1日目の授業開始時に初めてグループ分けが示され、互いの自己紹介から専門分野や問題意識、興味関心をまずはシェアする。その上で、自分たちが持っている知識や経験の範囲で、どんな企画が立てられるかのブレストを行い、1日目の午後には、全員の前で模造紙に書いた企画書をプレゼンしなければならない。そこで、他の受講生や教員からアドバイスやコメントをもらって、夕方までかけて、漠然とした企画を実演のためのプログラムへと具体化させていく作業に集中する。さらに、この合間には、企画の立て方やプログラムデザイン、ファシリテーションといった小さなレクチャーをはさみ、グループワークを進めるヒントを教員側から提示した。
夜には懇親会を行って互いの親睦を深めたりもするが、作業が積み残っているグループの中には、札幌在住の受講生の家に集まってさらに検討をしたり、2日目の朝早くには大学キャンパス内で「発声練習」を行ったりと、気の抜けない時間が続く。ある程度、実演内容や構成が固まった頃合いを見計らって、2日目午前はリハーサルを実施。教員からは、かなり厳しい(が、愛のある?)ダメだしが出たりもする。それを踏まえて、イベント開始時間ギリギリまで、内容の最終調整や投影資料の確認に奔走する。
アップルストアでのイベントは、14時にスタート。6つのグループが、20分間のミニ・サイエンスカフェを上演した。8月と9月あわせて全12グループのタイトルを列挙してみると、こんな感じだ。
・湿布薬から見えるサイエンス
・ロウソクの科学2008
・「カン違い」する脳みそ
・街を冷やせ〜ヒートアイランド現象の緩和をめざして〜
・知のアゴラ〜図書館の未来をつくる〜
・いるかショーを3倍楽しく見る方法
・選んで食べよう!フードマイレージ
・水と生きもの〜深海と宇宙を探る〜
・“活きた”データ
・分類と科学の関係〜分けることでわかること〜
・20分の深海旅行 Bon Voyage
・圧縮のカガク
これで一目瞭然の通り、非常にバラエティ豊かな内容。しかも20分間の時間の使い方も、パワーポイントを使ったレクチャーに近いものもあれば、クイズやゲームを主体にしたもの、ショートコントや寸劇を交えたもの、来場者の気づきを促すワークショップに近いものまで、実に多種多様だ。すべて、受講生たちのアタマ(知識)とカラダ(経験)の中にあったものが、文字通りシャッフルされ、出来上がったプログラムといえる。2時間余りの全上演が終わると、そのまま店内で授業全体を通しての学びをリフレクション(ふりかえり)の時間を過ごす。企画、プログラムデザイン、ファシリテーションなどの面から、グループワークの過程や成果に関する自己/相互評価を行い、足かけ32時間にわたって続いた集中演習は終了した。
端から見れば、何とも無謀なやり方に映るかもしれない。こんなにバタバタしていて、一体何が学べるのか?と。しかし、この凝縮された、文字通りの「集中」的な学びには、科学技術コミュニケーション(いや、もう敢えて漢字4文字の冠は外しても構わないだろう)の活動をデザインするための、必要にして十分なエッセンスが入っている。異分野、異世代、異地域の人々とかりそめのグループをつくり、手探りながらも一つの課題を作り上げることで得られる達成感や高揚感、あるいは失敗や違和感、それら全てをひっくるめて、これは、コミュニケーション・デザインのための小さな、そしてラフなプロトタイプづくりにほかならないのだ。ここでの経験は、これから各自が対峙する社会や研究の現場での「場数」の一つとなり、実践と分かちがたく結びついた知識がいずれ「道具」となって機能していくだろう。
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渡辺保史の「コミュニケーションデザインの未来」
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