脱サイエンス・カフェ、超サイエンス・カフェ
2008年11月28日
(これまでの 「コミュニケーションデザインの未来」はこちら)
北海道はすでに真冬。北大の札幌キャンパスもすっかり冬景色だ。ブログの更新もままならぬ中、僕はここのところ現在の本職CoSTEP(科学技術コミュニケーター養成ユニット)の授業などに加えて、各地で「アウェー戦」とでもいうべきワークショップ行脚をしていたところだった。その報告は次回に譲るとして、今回はCoSTEPの活動のシンボル的存在とでもいうべきサイエンス・カフェを取り上げたいと思う。
「WIRED VISION」のニュース記事でも紹介されたことがあるが、サイエンス・カフェはこの10年ほどの間に世界各地で広まった科学技術コミュニケーション活動の一つだ。1998年、イギリスのBBCで長らく科学番組のプロデューサーを務めていた男性が自分の生まれ故郷のリーズで開いたのが最初とされている。イギリスでの初期のサイエンス・カフェは、パリの哲学カフェに倣って「カフェ・シアンティフィーク」とフランス語風に呼ばれていた。
日本でも科学コミュニケーションの重要性が政策レベルで提言され、05年頃から次第に各地で開催されるようになったが、CoSTEPも05年秋の開講当初から活動の主要な柱として位置づけてきた。カフェの実施は受講生による実習の課題として位置づけ、札幌駅前の大型書店が入居するビル一階のオープンスペースを使ってほぼ毎月開催してきた。受講生が教員の指導を受けながら自らテーマを設定し、ゲストの選定から交渉、当日の構成や進行、後日には録音データのPodcast配信まで、プロセス全体を設計するというわけだ。次回はこの11月29日に開催するが、通算38回目を数えることになる。
CoSTEPの名前は知らなくても、駅前で北大がサイエンス・カフェをやっていることは、市民や研究者の間にはだいぶ定着してきたようなところがある。また、カフェの告知チラシの作成も、ビジュアルデザインを学ぶ受講生の課題となっていたり、内容を再録したポッドキャストを配信するなど、他の実践ともリンクしているのも特徴だ。
さて、サイエンス・カフェの開催スタイルは、それが「カフェ」と銘打っている以上、通常のこれまでの公開講座や講演会などとは違う、カジュアルで敷居の低い雰囲気をつくるのが特徴の第一。第二の特徴としては、ゲストとなる研究者や技術者からの話題提供は、プログラムの前半(20〜30分程度)にとどめ、半分以上の時間を参加者との質疑応答やディスカッションに当てることがあげられる。
つまり、これが講演会や公開講座と明らかに違うのは、研究者からの話題提供は、そこに居合わせた参加者同士の双方向的な対話を促すための、触媒のようなもので、市民への啓蒙(科学技術コミュニケーション業界ではこれを「理解増進」などと言ったりする)とは違う場をつくろうというスタンスに基づいているのだ。
CoSTEPが関わった最近のサイエンス・カフェで最も大きな注目を浴びたのは、なんと言っても10月中旬に行われた「初音ミクNight」だろう。初音ミクの開発元であるクリプトン・フューチャー・メディアが札幌の企業であり、社長の伊藤博之氏も北大出身ということで、受講生や教員による自主的な企画として生まれたこのサイエンス・カフェは、題材が題材なだけに開催告知はウェブ空間のあちこちに飛び火し、「ニコニコ動画」でも事前告知がニュースで流れたりするなど、初音ミクの熱心なファンを刺激した。そして当日は、開場30分前にはすでに70人以上が列をなし、普段のサイエンス・カフェの倍以上の200人近い参加者で会場はすし詰め状態となった。さらに、会場から自分のブログを更新したり、録音データをニコニコ動画にアップするユーザーもいたほか、この前後にはCoSTEPのウェブサイトも格段のアクセスを記録した。なお、CoSTEP受講生が取材執筆した当日のレポートは、ウェブサイト「サイエンスポータル」に掲載されている。
話題づくりと集客性という意味ではまさに成功といってよかった「初音ミクNight」だが、サイエンス・カフェという場のデザインという観点から個人的に考えると、図らずも色々な課題が浮上してきたようにも見える。ブログやミクシィの日記で何人かの参加者が書いていたことだが、これだけの膨大な人数が集まる場は、もはや「カフェ」という気楽な雰囲気ではなくなり、「講演会」に近くなってしまっているのではないか。また、大人数が集まることによって、的を絞った議論はできなくなり、勢い構成や内容も総花的でディープな話題を求める参加者には食い足りないものになってしまったのではないか、等々——こうした指摘は耳が痛い。
弁解がましくなるので簡単に書くが、僕自身も、CoSTEPが手がけているサイエンス・カフェのスタイルが最善のものだとは決して思っていない。何しろ、半ばオープンな場で行う以上、通りすがりのお客さんも相手にしなければならないとなれば、話題もなるべくポピュラーなものを選び、「わかりやすく」「親しみやすく」という配慮をせざるを得ないところがある。また、受講生の実習における「教材」という位置づけもあるから、ある程度決められたフォーマットでやった方がいいという面もある。
しかし、だからこそ、サイエンス・カフェのスタイルは多様であっていいのだ。教材としてのフォーマットや制約条件を超えて、本当にやりたい対話の場づくりの模索を続ける必要がある。CoSTEPの受講生の中には実際、11月中旬に北大近くの小さなカフェで外国人研究者をゲストに大半を英語で対話する「International Science Cafe」を主催した人もいる。この時も、様々な国籍の参加者が集まり、事前申し込みをしていなかった人がお店に入れないほどになった。
ともあれ、サイエンス・カフェという形態を墨守することが重要なのではないと僕は思う。その形態はカフェであろうが、シンポジウムであろうが、ワークショップであろうが、何をゴールに設定するかによって周到に構想され、設計されるべきなのだ。専門家と市民が垣根を越えて対話や共創できる新しい場をつくること——これもまた、コミュニケーション・デザインの大いなるテーマなのである。
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渡辺保史の「コミュニケーションデザインの未来」
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