AIDMAからAISASへの変化の意味――「直接的な広告」の誕生
2008年12月16日
(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら)
先月は、テレビに成果報酬型の広告を持ちこんだアメリカの会社の例などを見てきたが、似たようなことはほかの会社でもやっている。
それは当然だ。こうした会社は、「たまたま」そうしたことをやっているのではない。マスメディアの変化がもたらす必然的なビジネスモデルだから、いろいろな会社が始めるのは当然だ。
これまで広告というのは、マスメディアが流し、読者や視聴者の行動を待つというかなり悠長なものだった。
以前、私は、出版というのは「瓶詰めの手紙」のようなものだと書いたことがある。本として出しても、どこの誰が読むかわからない。また読まれないかもしれない。本の流通はとても心もとない、という比喩だった。
しかし本にかぎらず、双方向的でないメディアというのは、程度の差はあれ、「瓶詰めの手紙」のようなものである。メディアの発信者が情報を流し、どこの誰が受けとるかはわからない。視聴率を調査するなどの努力はするが、基本的にマスメディアの情報は、海に流した「瓶詰めの手紙」なので、視聴者や読者のことがほんとうにわかっているかというとそれは怪しい。
けれども、インターネットという多数者間の双方向メディアの登場で、こうした状況は一変してしまった。もちろん読者や視聴者のことが一人一人わかるかといえば、そんなことはない。しかし、かなりのことがリアルタイムにわかるようにはなった。ブログに書けば、コメントやトラックバックというかたちで反応があるし、そのように直接的な反応が返ってこなくても、ウェブのどこかで書かれたことは、検索などで発見できる。
また、アクセス解析やトラッキング・ツールの発達によって、定量的な分析はもちろん、広告については、利用者の属性などの定性的な分析まである程度できるようになってきた。
消費者の購買行動をめぐっては、ネットの普及でAIDMAからAISASに変わったということが少し前からさかんに言われる。こうした変化も、直接的な反応が得られるようになった帰結にほかならない。
広告によって消費者の注意を惹きつけ、興味を持ってもらって、ほしいという感情を引き起こし、憶えられて、購入につながる。Attention(注意)→Interest(興味)→Desire(欲求)→Memory(記憶)→Action(行動)という過程を通るというわけで、この頭文字をとって「AIDMA」が、広告によって購入に到る消費者の行動とされてきた。
それが、AISAS、つまりAttention(注意)→Interest(興味)→Search(検索)→Action(購買)→Share(共有)に変わった。興味を持ってもらうところまでは同じだが、検索されて調査されたうえで購入される。購入されたあとも、その感想などがネットなどを使って情報が共有され、次の購買行動につながる。
AIDMAのモデルでは、AttentionからActionまでのあいだに、Interest、Desire、Memoryという認知の段階を経る必要があったが、AISASのモデルでは、商品が記憶されて店舗に行って購入するという悠長な過程が省略されている。広告を見た瞬間に検索されて、ただちに購入されるということも起こる。瞬間的で直接的な反応が起こりうるようになった。
つまり、双方向的なメディアの誕生によって、読者・視聴者の直接的な反応は、把握できるとともに期待もできるようになった。
このように直接的な広告のほうが成果と費用の関係がクリアで、お金を支払うほう(広告主)としても納得できる。そうなってくれば、広告が変化していくことは避けられない。
ネットが浸透するにつれ、さらに直接的な反応の把握が求められ、必要とされるようになった。表示課金からクリック課金、クリック課金から成果報酬型(CPA)へという流れは、このようなネットの欲求に沿ったものだ。
こうした変化の結果、広告が、婉曲な「誘い」の要素をもった存在から、販売促進的なものへと変化し、さらにもっと直接的な物販の要素を持つものへと変化しようとしている。
次回からはそうしたことについて書くことにする。
歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」
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