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歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」

ドラスティックに変化し続ける広告経済とネットの関わりを読み解く

あくまでも偶然だった広告経済の誕生

2008年2月 5日

(これまでの 歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」はこちら

 Googleは、すぐれた検索の仕組みを開発し、それによって評価を得たわけだが、収入の99パーセントは広告収入である。しかしGoogleは、はっきりとしたビジネスモデルを当初から持っていたわけではなかった。

 梅田望夫氏は、単行本に収録されている2001年5月という日付の入った文章の中で、次のように書いている。

 シリコンバレーにグーグル(Google)という素晴らしい未公開ベンチャーがある。「ネット上に増殖し続ける情報洪水の中から、真に必要とする情報のみを探し出す」インターネットの基本技術「検索エンジン」の先頭を疾走する企業だ。今は誰もが無償でこの検索エンジンを使うことができるのだが、この衆目認める世界最高技術がより磨かれてITインフラとして定着するには、まだまだカネも時間もかかる。そのカネは果たして誰がどんな仕組みの中で提供すべきなのか。可能性だけで株式公開できるという仕組みを失った今、こんなシンプルな問いに対してすら、私たちは確固とした解を持っていない。(『シリコンバレー精神』145頁)

 梅田氏がこの文章を雑誌発表したという2001年5月には、じつはもうGoogleは、Adwordsと名づけた検索連動広告の最初のバージョンを始めていた。
 Googleの創立者たちは、98年9月に会社を設立、1年後の99年9月にgoogle.comのベータ版サイトを立ち上げた。そして、2000年には広告ビジネスを開始している。

 しかし、梅田氏がこのように書いているのを見ると、それでほんとうにやっていけるのかと危ぶまれるぐらいのものだったのだろう。

 ハードディスクの中のファイルを探してみたら、私も2001年7月に次のような書き出しで、雑誌に原稿を書いていた。

『Google』(以下『グーグル』)が検索サイトを席巻している。昨年9月には日本語化され、今年の4月には『ヤフー・ジャパン』のサイトでも、全文検索エンジンは『goo』に替わって『グーグル』になった[現在はヤフー自身の検索エンジンになっている]。検索スピードが速く、検索の精度がいいことで知られている。  彼らの広告戦略もなかなか巧みで、当初は広告を載せず、アクセスが増えた段階で、表示のスピードにあまり影響をあたえない程度にしぼった広告を検索結果のページに載せはじめた。「自動車の広告は自動車のことを知りたいと思っている人に出すのがいちばん有効なはず」と言っていて、検索に見あった広告を表示するようにしているという。通常のバナー広告のクリックは0・5パーセントほどだが、自分たちの広告は2パーセントだと、広告の有効性を唱っている。

 Googleは広告を始める前から、すでにかなり名が知られた存在だった。米Googleの自社の歴史ページ「Google Milestones」によれば、2000年には、10億ページのインデックスを擁する世界最大の検索エンジンとなり、google.comがウェブ・アウォードを受賞したとのことだ。前年の1999年にはNetscapeを買収したAOLに採用され、話題になったりもしている。

 私も、このすぐれた検索エンジンを目にし利用もしていたが、いったいこれをどうやってお金にするのだろうか、と思っていた。もう少し踏みこんでいえば、お金にする方法などないのではないかと思っていた。
 ITバブルの追い風を受けておもしろいアイデアには多額の投資が集まったが、きちんとしたビジネスモデルがないベンチャーは、投資が尽きると消えていった。ネットバブルがはじけたわけだが、Googleもそうなるのではないかと思っていたわけだ。

「Google Milestones」では、会社を立ち上げるにあたって接触した「あるポータルサイトのCEO」の放ったセリフが紹介されているが、その言葉が象徴的だ。

「われわれは競争相手の80パーセントの能力があれば十分だ。ユーザーは、検索エンジンなんか気にしていない」。

 いまとなっては隔世の感もあるが、当時は検索エンジンはそれほど重要とは思われず、ましてやお金になるなどとは見られていなかった。

 ところがGoogleは、GoTo(現オーバチュア)がやっていた検索連動広告を見て、そのアイデアを収益源にできることに気がついた。

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 おもしろいことに、私が先のような文章を書いていたまさにそのころ、Googleは、収益性についての自信を深めていたようだ。「Google Milestones」には、「ほかの多くのオンライン・カンパニーが回避してきた収益性のめどをつけたことを、2001年第4四半期までに明らかにした」と書かれている。
 ITバブル崩壊にもかかわらず、Googleは、前年にヤフーと提携し、また検索連動広告を始めたことで、ビジネスとしての成功に自信を持つようになっていたわけだ。

 とはいえ、当初Googleが採用していたのは、クリック課金ではなくて、CPMと呼ばれる表示回数に応じて課金する方法だった。Googleがクリック課金を採用したのはもう少し後で、2002年2月のことだった。そして2003年にはコンテンツ連動広告のAdsenseを始めている。

 Googleはこうした広告収入をもとに、ニュースや動画、地図、事実上、無限の保存ができるメール・システム、オンライン上のワープロや表計算にいたるまで、さまざまな情報へのアクセスやツールをネットで無料提供するようになった。

 けれども、「広告経済」は、Googleの検索に当初からインプットされていたものではなくて、あくまでも「後天的」で、その結びつきはいわば偶然のものだった。しかし、結果としてそれはあまりに格好のビジネスモデルだった。
 そのことは、Googleが、ときに広告偏重のビジネスモデルから脱しようとはするものの、いまもってかなわず、結局のところ収入の99パーセントを広告に頼り続けていることから見ても明らかだろう。

「広告経済」を切り開き築きあげたのはGoogleだが、Googleの何がそれを可能にしたのか。
 次回はそうしたことを考えてみたい。

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プロフィール

『ユリイカ』編集長をへて1993年より執筆活動。著書に『ネットはテレビをどう呑みこむのか』、『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』、『「ネットの未来」探検ガイド』、『インターネットは未来を変えるか』、『本の未来はどうなるか』など。大学でメディア論などの授業もしている。週刊アスキーで「仮想報道」を連載。アーカイブはこちら 歌田明弘の「地球村の事件簿」

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