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高森郁哉の「ArtとTechの明日が見たい」

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『1Q84』と「鼠」と「オウム真理教」

2009年5月24日

 村上春樹氏の最新小説『1Q84』の発売日、5月29日まで一週間を切った。東京ウォーカーの記事にあるように、新潮社は「事前の情報を何も知らずに作品を読みたかった」という読者の声を尊重し、「今回の作品では実験的に、舞台も登場人物も事前に一切わからないようにしている」という。とはいえ、謎があれば答えを考えたくなるのが人の心理というもの。3カ月ほど前の発表以来、タイトルなどを頼りにさまざまな予想がなされてきた。そこで今回は、当ブログでもネットや関連文献の情報を検討してこの新作の内容を予想してみる。

 もしかしたら今頃は書評家などの手元には新刊が届いているのかもしれないが、僕は見ていないし(楽天ブックスで予約した)、出版社などからの内部情報ももちろん得ていない。だから、予想は外れるかもしれないし、運がよければそこそこいい線いくかもしれない。的外れだった場合は笑われるだけだが、万が一当たっていた場合「事前の情報を知らずに読みたい読者」の意向を損ねてしまうのが気がかりだ。まあ杞憂かもしれないけれど、「予備知識ゼロ」に万全を期す方には、小説を読む前にこの記事の先を見るのはおすすめしません。

 (ただ、ブログエントリのタイトルで予想の一部を示してしまったことは申し訳ないです。一応アクセスを稼ぐという課題もありまして……ご容赦ねがいます)。

ジョージ・オーウェルの『1984』という起点

 これについて早くから言及していたのは、『ポスト・ムラカミの日本文学 カルチャー・スタディーズ』の著書があり、現在はWIRED VISIONの編集委員も務める仲俣暁生氏。「もしかするとエルサレム賞受賞時のスピーチは、どこかで新作の内容と響き合っているのかもしれない。新潮社から純文学書き下ろし作品として『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が出たのは1985年。この小説はまさに「壁(The System)」と「魂(irreplaceable soul enclosed in a fragile shell)」の相剋の話だった」という部分は特に注目に値する。

 その後、3月後半にバルセロナで行われた講演会で、村上氏自身が『1984』とのつながりを裏付ける発言をしている。バルセロナ在住で編集・翻訳・執筆を手がける浅倉協子氏による詳細なレポートによると、聞き手から「新作の『1Q84』について教えてください」と尋ねられ、「これもまずタイトルから決めました。Qは、日本語で9と同じ発音なので、1984と読むことができると同時に、QはquestionのQともいえます。ジョージ・オーウェルが昔『1984』を書いたときは、近未来として書いたわけですが、僕は近い過去、暗い過去などというように別の視点でアプローチしています」と答えたという。

 もちろん現実の1984年は、オーウェルが描いたようなビッグブラザーに監視される全体主義世界にはならなかった。その代わりに、というわけでもないが、アップルがオーウェル作品に言及したコマーシャルで大々的に『Macintosh』を売り出し、コンピューターに代表されるハイテクが国家や大企業だけでなく、個人や小規模な団体でも容易に入手できる時代が到来した。

魯迅の『阿Q正伝』と、Qのcharacter

 もうひとつの有力候補である『阿Q正伝』との関連は、東京大学の藤井省三教授が4月上旬に中国・上海市での講演会で発言している(レコードチャイナ)。同教授は光文社から魯迅の『故郷/阿Q正伝』を新訳で出していて、その巻末の「解説」でも村上作品における「<阿Q>像の系譜」などを紹介していた(ちなみに奥付では2009年4月20日初版第1刷発行となっていて、偶然にしては出来すぎのタイミングだ。出版社側が何らかの事前情報を得ていた?)

 さらにこの解説では、丸尾常喜氏著『魯迅―「人」「鬼」の葛藤』(岩波書店)に触れ、丸尾氏が「阿QのQとは中国語で幽霊を意味する「鬼」(クェイ)に通じると指摘」したと紹介している。幽霊は村上作品に繰り返し登場するモチーフだが、加藤典洋氏は『村上春樹 イエローページ』(荒地出版社)の中で『風の歌を聴け』における「鼠=幽霊説」を提示し、『ヨーロッパのほうの言い伝えでは、「人間の肉体を離れた魂はネズミの姿をとる」という。古来「鼠」は「死者の象徴」だというのだ』と書いた。

 だとすれば、過去の村上作品から考えても、藤井氏の「私はQ」説より、主人公の前に現れる霊的な存在が「Q」である可能性が高いのではないか。『1Q84』の予告サイトでローマ字の読み仮名が「ichi-kew-hachi-yon」とふられているが、キューの部分が「kyu」ではなく「kew」となっているのも、「ケウ」→「稀有」→「まれ」→「まれびと」(他界から来訪する霊的もしくは神的存在)へのつながりをほのめかしているように思える。

 もうひとつ、丸尾氏の本で目を引いた記述は、「のこされた魯迅の原稿ではQは●[引用者注:Oの字の内部から、右下外に短い線が突き出した手書き文字]と書かれており、まさしく辮髪をつけた頭部を背後から見た図になっている」という部分。さすがに『1Q84』に弁髪の人物は登場しそうもないが、デザイン化された表紙の大きな「Q」が、別の何かをグラフィカルに象徴しているのでは……と思って見直すと、尻尾の生えた小動物に見えてこないだろうか……そう、ネズミの姿に。

 さらに言えば、アップルのMacintoshが普及させた重要な技術の一つが「マウス」であり(厳密には1983年の『Lisa』も搭載していたが、商業的には失敗とされる)、マウスはユーザー側の「こっちの世界」とサイバースペースという「あっちの世界」をつなぐインターフェースである。

新潮社サイトはヒントだらけ?

 さきにリンクした新潮社の『1Q84』予告サイトには、「Q→kew→ケウ」と「ネズミの姿」のヒントがあると考えた。まだほかにないだろうか? 風紋ができた砂地の画像は、『海辺のカフカ』に出てくる砂浜につながるのか、それとも短編『五月の海岸線』の消えてしまった「波の打ち寄せる海岸」か、あるいは『国境の南、太陽の西』の最後に出てくる現実世界のメタファーとしての砂漠なのか(「みんながそこで生きているんだ。でも本当に生きているのは砂漠なんだ」)。

 新潮社から出た過去の長編3作品と新作にリンクされた、1985、1994、2002、2009という4つの年はどうだろう。第一義としてはもちろん4作品の出版年を表しているのだが、新作の内容にもリンクしているとしたら? そこで、過去の村上作品を念頭に置きつつこの四半世紀で重大な出来事を振り返ると、まず1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件、それに2001年の9.11テロが思い浮かぶ。それぞれ出版年とは1年ずつずれているが、小説の世界でもこれらをモデルにした大事件が起こるのだろうか。1985年ごろが物語の起点になり、その後の出来事を2009年の現在から振り返るという構成だろうか?

強力な手がかり

 ここまであれこれ考えてみたが、どうも散発的で、予想が集束していかない。ところが今日(24日)これを書き出す前に見つけた英語圏の春樹ファンらしい人のブログに、「identifier for mouse acetylcholinesterase is labeled 1Q84」というコメントが付けられている(Harkius氏による22日の書き込み)のを目にしたとき、「ああ、これか!」と思った。マウスのアセチルコリンエステラーゼの識別子が「1Q84」だとあり、日本語大辞典によるとアセチルコリンエステラーゼとは「アセチルコリンを酢酸とコリンに分解する酵素で、副交感神経支配の器官、自律神経節などに存在」するという。念のためバイオ系のサイトで調べると、確かに見つかる

 神経伝達に関わる物質とくれば、Harkius氏でなくてもオウムの神経ガス兵器に結びつけるのは容易だろう。なにしろ村上氏には『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』というサリン事件をめぐる2冊のノンフィクション(インタビュー集)があるのだから。

ファイナルアンサー

 こうして、あちこちで調べたことがようやくつながって、まとまった姿の物語として現れてきた。では発表します、以下が僕の予想。

  • 小説の舞台はオウム真理教を思わせる新興宗教団体である。国家をミニチュア化した組織(システム)を作り、独自の研究開発部門を擁して早くからパソコン(おそらくはMac)を使うなど科学技術に力を入れている。
  • この教団をめぐる四半世紀の物語である。小説の世界では[現実の世界]をなぞる形で事件が起こり、新潮社サイトの4つの年はそのヒントになっている。つまり、1985年は教団成立[1984年のオウム創設]、1994年は神経ガスによるテロ[1995年の地下鉄サリン事件]、2002年はより大規模な国際テロ[2001年の9.11テロ]にそれぞれ対応する(サイトの年数は絶対ではないので、現実との1年のずれはないかもしれないが)。これらの出来事を語り手が2009年の視点から振り返る。
  • 主人公(または語り手によって描かれるキーパーソン)は神経ガス兵器の研究に携わることになる信者である。実験動物としてマウスを用い、マウスの神経伝達に関わる酵素「1Q84」が開発段階で重要な役割を果たす。
  • 主人公は、教祖の唱える教義とその教団という二重のシステムによって自我を揺さぶられ、壊される。システムによって崩壊した個人の自我がいかにして回復され得るか、というのが小説の大きなテーマである。
  • 主人公はマウスを通じて、他界した親友(過去作品の「鼠」にあたる人物)の霊と交信する(またはそうした幻想を抱く)。

 砂地の画像などいくつかのヒントを盛り込めなかったが、もしどなたかアイディアがあればはてブのコメントかトラバで教えていただけるとありがたい。また、この予想が正しければ、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』に響くトーンもありそうだ。

5/26追記:新しいエントリで「砂漠」についての予想を追加しました。

5/31さらに追記:新しいエントリで予想の反省と読後感などを書きました。

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プロフィール

フリーランスのライター、翻訳者としての活動を経て、2010年3月、ウェブ・メディア・地域事業を手がける(株)コメディアの代表取締役に。多摩地域情報サイト「たまプレ!」編集長。ウェブ媒体などへの寄稿も映画評を中心に継続している。

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