安西史孝氏インタビュー(3):「Apple II革命」と同時に起きた「コンピューター音楽の革命」
2009年2月16日
――安西さんの最近のブログに、スティーブ・ウォズニアック氏の本を読んで、『Apple II』を組み上げて行く過程で同氏が「これは世界が変えられる!」と思ったのとほぼ同じ時期、「当時ローランドにいた私も音楽の世界が変わる!って物凄い実感があった」というエピソードや、「コンピューターの革命とコンピューター音楽の革命が、海を隔ててほぼ同時進行してた」という記述があって、とても興味深かったのですが、このあたりのお話をもう少し詳しく教えていただけますか。
私はパニック障害が原因で高校を中退したのですが、その直後ローランドの技術開発室に転がり込みオルガンやボコーダーの試作機の基盤作成の手伝いをしていました。ちょうど1976年頃でしたが、その時期ローランドでは大阪がシンセサイザー、浜松がピアノ、東京がオルガン(ストリングス系を含む)を開発していました。しかし部門とは関係なくコンピューターが楽器開発にどのような影響を及ぼすのかを検証していました。
海外ではちょうど二人のスティーブが『Apple I』を発表した頃です。
海外でコンピューターメーカーにマニアな学生が出入りして新しい流れが生まれ始めていたのと同様に、東京の開発室にも当時まだ学生だった日本コンピューター界の後の要人(彼らは後にアスキーや『I/O』を立ち上げる)が出入りし、コンピューター技術と音楽について検討していました。
コンピューターとしては、主に当時発売されて間もないNECの『TK-80』(写真6[※])等にインターフェイスを接続してローランドのシンセサイザーをコントロールする試みを続けていました。その頃は『IMSAI 8080』(写真7)や『Altair』のコンピューターもありましたが、日本では価格が高かったため個人が気軽に楽しむレベルではありませんでした。
[※写真6は、TK-80の後に発売された廉価版『TK-80E』。]
これらの人達はコンピューター技術の側からシンセサイザーのコントロールを試みていたため、演奏側からシンセサイザーに取り組んでいた私には音楽的に稚拙な感じがしてあまり興味を引かれませんでした。
そんな中で大変な事が起きたな!と感じたのが1977年9月に発表された『MC-8』でした。MC-8は1976年の初頭にローランドの梯(かけはし)郁太郎社長がカナダの音楽家ラルフ・ダイク氏からアイディアの提供を受けて開発した8CV/8Gate[※]がコントロール可能なデジタルシーケンサーでした。
[※CVは「Control Voltage」の略で、音程を指定する情報。Gateは音符を指定する情報。]
ダイク氏は独自なロジックでシンセサイザーをコントロールする方法を構築しており、これをコマーシャル音楽等に使用していたようです。レコードのクレジットではアース・ウィンド・アンド・ファイアー(EW&F)やTOTO(トト)に名前が記載されています。
それまでのデジタルシーケンサーは単純に演奏したデータ(CVとGate)を記録して再生する程度の機能しかなかったため、編集を必要とするような複雑な音楽は作れませんでした。それでもピンク・フロイドの『走り回って』(On The Run)やヤン・ハマーのアルバム『万物の創造』(The First Seven Days)中の曲に聞かれるような画期的な音楽は登場していましたが、彼らがやった手法を越えて何か作るのはほとんど不可能に見えていました。これらで使われていたのはEMS[※英Electronic Music Studios社]やオーバーハイム[※米Oberheim Electronics社]のデジタルシーケンサー(写真8)でした。
ところがMC-8にはシンセサイザーをCV/Gateでコントロールするための基本的な概念である、CV、Step Time、Gate Time[※]の3つや、Step Timeを利用してテンポデータをコントロールする機能が搭載されていました。
[※Step Timeは音符の長さ。Gate Timeは実際に鳴る音の長さで、レガートやスタッカートなどのニュアンスを決める。時間の長さの関係はStep Time>Gate Time。]
今でこそ音符のデータ入力には音程と音符の長さと音の出る長さの3つが必要なのは簡単に理解できますが、当時はStep TimeとGate Timeの違いを理解する事すら大変でした。
モジュラーシンセサイザーを使用していたユーザーには、CVのタイミングコントロールさえ上手くできれば音程や音長だけでなく、音量、音色からビブラートがかかりだすタイミングや早さ深さ、ポルタメントの度合いまで制御する事が可能だと分かっていましたから、MC-8の登場は音楽の幅を大きく伸ばす物だと分かりました。
しかし私が「これは音楽の未来が変わる!」ともっとも強く思ったのはMC-8用に添付されて来たダイク氏のデモである『Odd Rhythm』という曲を聞いてからでした。
それまでのコンピューター音楽は上記のピンク・フロイドやヤン・ハマーを除いてはほとんどメチャクチャとしか思えない前衛音楽がほとんどで「だからなにこれ?」としか思えませんでした。内容的には音そのものを倍音加算で作るための制御や乱数の発生にコンピューターを使用し、既成の音楽から逃れようとしていた現代クラシック音楽家のマスターベーションツールとしての一面が強かったように記憶しています。
ところが『Odd Rhythm』には、それまでのシンセサイザー音楽に欠けていると指摘されまくっていたポップスやロックのリズムの要素が含まれていました。
シンセサイザーのサウンドは音楽の色づけには貢献するけれど、縦のタイミングであるリズムを作るのはほとんど不可能と考えられていたわけです。唯一タンジェリン・ドリームが『ルビコン』(Rubycon)で見せたようなオスティナート[※]の延長としてのノリは存在していましたが……
[※ostinatoは音楽用語で「執拗に何度も繰り返す」技法のこと。ウィキペディアに詳しい説明あり。]
私のサイトに登録されている『Odd Rhythm』(http://www.anz123.com/のミュージアム>ローランド>MC-8)のサウンドを聞いてもらえば分かると思いますが、それまで軟弱と嘲笑されていたシンセサイザー音楽のリズム隊にスーパースターが登場したというわけです。
MC-8によってポップス系の音楽の手法が変わる事は明らかでした。そしてそれが登場したのは世界を変えたApple IIが登場したのと同じ1977年だったという事です。
ただ残念ながらコンシューマー機であるApple IIに対しMC-8はプロ機だったため、一般にその意味があまり理解されないままに現在に至っていると思います。また当時は現在のインターネットのように情報が瞬時に世界に伝わるシステムが存在しなかったため、MC-8の普及にも時間がかかりました。
しかし徐々に音楽業界にもMC-8を使用した作品作りが普及し始めます。1978年に制作されたジョルジオ・モルダーの『E=MC2』はミュンヘンサウンドを確立し、世界的にもYMOやMなどのテクノポップが広がっていく事になり、その手法は現在のポップスにも相変わらず使われています。
Apple IIはスティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアックの二人とそれに賛同する少数の人たちが世界を変える機械を作り上げたのが有名です。日本ではチームワークが重要視され、彼らのように個人名が出ることはありませんでしたが、世界の音楽事情を変えたMC-8も実際には大元を開発したラルフ・ダイク氏、それを見つけて投資した梯氏、プロジェクトを進めた玉田氏(通称ひげ玉さん)の3人が世界を変える中核をなしたと思います。
これがアメリカならもっと個人名が出て、スーパーヒーローになったんではないでしょうか?
もし楽器界にノーベル賞があるとすれば、私はヤマハの『DX-7』(これも元ネタはアメリカなのですが)と共にMC-8に一票を投じたいと思います。
その後MC-8のアイディアは『CMU-800』というインターフェイスに引き継がれました。CMU-800はCV/Gateのインターフェイスのみのユニットで、これをApple II、『MZ-80』[※シャープ製のパソコン]、『PC-8001』[※NEC製のパソコン]のいずれかに接続してMC-8と同様の作業を行う事ができました。
そして汎用機の『MC-4』(写真9)が発売され、CV/Gateタイプのデジタルシーケンサーはその歴史に幕を閉じる事になります。
なおMC-8の操作法については、http://www.youtube.com/watch?v=v89b6kPmvfQ[※下に転載]をご覧下さい。
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高森郁哉の「ArtとTechの明日が見たい」
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