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高森郁哉の「ArtとTechの明日が見たい」

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安西史孝氏インタビュー:電子音楽史に残る“幻の名盤”『TPO1』が25年ぶりに再発(2)

2009年2月13日

(1)から続く

――1曲目の『Dawning』は、レコード会社のCBSソニーから方針変更を求められて(ライナーノーツに詳しい)から間もない時期、アイディアから半日ほどで完成させた曲だったという事実にも驚嘆しました。作業の要素としては、メロディー作りから各楽器パートのアレンジ、フェアライトへの打ち込み、演奏と録音など、さまざまなステップがありますが、たとえばこの『Dawning』の場合、具体的にはどのような流れで曲を完成させていったのでしょう?

 ライナーノーツにも書きましたが、当時のコンピューター使用のシーケンサーで曲を作るには事前に完全なスコアが書かれている必要がありました。したがってまず譜面書きからスタートしています。

 もっともアイディアは頭で思いつくわけですから、それをメモした記憶もあります。例えば「CDの特性がよく分かるpppからfffへの急激なクレッシェンド」「オケヒットによるメロディーフレーズ」「変拍子の変態ソロ」「クラシカルな要素を感じさせるファンファーレ」「オーケストラループを使った突然の静寂」などです。

 時間が無かったので熟考が必要なタムのバッキングフレーズと途中の対位法的な動きをするブラスフレーズ、それと中間部のソロは、サイズだけを決めて伴奏部分を作り、音が完成してから書いています。

 楽曲的には脅し的なシカケ=メロディーという考えだったので、メロディー作りとアレンジはぼほ同時進行しています。

 ライナーノーツにある通り、当時の人が聞いて凄い!と思うだろうと考えられるフレーズをてんこもりにしています。

5.jpg その後、フェアライトのMCL(演奏言語)、ローランドの『MC-8』(写真5)、『LinnDrum』を別々にプログラミングしてそれらを合体させてレコーディングに入って行きました。

 例えばイントロでクレッシェンドしてくるストリングスはMCLで、オケヒットが入ってからの低音部分はMC-8で、という風にやっています。

 そして上記のようにサイズだけ決めて内容の決まっていない部分だけをテープに録音して自宅に持ち帰り、音を確認しながら絡みの複雑な部分(対位法等)を作りました。当時自宅で使用していたマルチトラックレコーダーはティアック(TEAC)製で一般的スタジオとの互換性が無かったため、普通の2トラックテープの片チャンネルにシンク信号、もう片方にモノミックスの音を入れて自宅に持って帰っていました。

 当時のシンク信号は今のように時間データを持たない単純なFSKか矩形波だったため、シンクは曲の頭からでないとできなかったので大変でした(曲の一番最後のフレーズであっても、一番頭から再生してシンクさせ続けなければならない)。

 唯一、手弾きをしているのは中間部の『ハモンドB-3』のソロ部分で、このフレーズは当時講師をしていた池袋西武のシンセサイザー教室の実技(1時間勝手にシンセをいじる)の日の夕方からレコーディングが行われたため、生徒達がシンセサイザーと格闘している横でスコアを書いてからスタジオに向かいました。

――『TPO1』がリリースされた1983年はCDの黎明期であり、それから25年経った今回の再発ということですけれども、マスタリングやボーナスディスクの制作作業で、レコーディング関連技術の進歩が音質向上に貢献したという要素もあったのでしょうか。

 当時、マスタリングをデジタルで行うシステムはコロムビアが所有していましたが、600メガのハードディスクは3畳ほどの部屋に格納される巨大なもので、熱暴走を防ぐために凍えるほどの温度に空調制御されていました。

 今回のマスタリングではノートパソコンで送り出した音を1Uのラックマウントのマスタリング機材『Finalizer』で処理し、それをデスクトップパソコンに取り込んでいますが、機材の処理能力の向上には目を見張るものがあります。ただやっている事の基本は25年前と変わっていないというのは変な感じがしますね。

 笑い話としては、1983年頃の上記のような機材格納室は完全に隔離された部屋だったため、絶好のエロ本隠し場所でした。マスタリングでスタジオに行った時にはハードディスクの下を探って見ると誰が持ち込んだか不明のエロ本が良く出て来ました。

(3)に続く

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プロフィール

フリーランスのライター、翻訳者としての活動を経て、2010年3月、ウェブ・メディア・地域事業を手がける(株)コメディアの代表取締役に。多摩地域情報サイト「たまプレ!」編集長。ウェブ媒体などへの寄稿も映画評を中心に継続している。

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