安西史孝氏インタビュー:電子音楽史に残る“幻の名盤”『TPO1』が25年ぶりに再発(1)
2009年2月13日
●TPOとは…
安西史孝、岩崎工、天野正道、福永柏ら4人から成るスタジオ集団。プロデュースはFILMSのサウンドの要であった本間柑治こと片柳譲陽。世界初のサンプラーであるフェアライトCMIを日本で初導入、当時黎明期であったCD発売がされるなどソニーがポストYMOとして華々しくデビューさせた(後略)
(再発盤のレーベル、BRIDGEのサイトより)
安西史孝氏はキーボード奏者、作曲家で、1980年代にTPOのメンバーとして活動したほか、単独ではアニメ『うる星やつら』『みゆき』などの劇中楽曲でも知られ、現在は日本音楽著作権協会の評議員でもある。実はワイアードにも過去、安西氏から「聴覚の錯覚」に関してメールをいただいたご縁があって、今回『TPO1 - 25th Anniversary Edition』の発売に合わせてメールインタビューを申し込んだところ、快諾してくださっただけでなく、質問への回答を“寄稿”といっても差し支えないボリュームのテキストでいただいた。
というわけで、今日と週明けの月曜(2/16)にわたり、計4ページのロングインタビューをお届けする。前半は『TPO1』が発売された1983年の頃の音楽状況と、今回の再発盤について。後半では、70年代後期から80年代前期にかけてコンピューターと音楽の世界で同時に革命が起きていたという話と、Apple Computer社10周年記念で出版された写真集に日本人で唯一、安西氏が紹介されたエピソードなどを掲載する予定。
ちなみに、上の引用文にも出てくるフェアライトCMIとは、オーストラリアのFairlight社が販売していた電子楽器『Fairlight CMI(Computer Musical Instrument)』のこと。再発盤の田中雄二氏によるライナーノーツや各メンバーの解説により、日本に最初に持ち込まれたフェアライトを契機にTPOが結成されたいきさつや、フェアライトを含むさまざまな楽器がどのように各曲に使用されたかなどが詳しく書かれている。サンプル曲を聴いて気に入った方や、このインタビューで興味を持たれた方は、ぜひCDを購入して音源とブックレットの両方を楽しんでいただきたい。
なお、本文中の[※~]部分は筆者(高森)による補注。
――ライナーノーツを読むと、TPOは「フェアライトCMIありき」で成立したユニットだったということがうかがえますが、安西さんの個人的なフェアライトとの出会いはどのようなものだったのでしょうか。
フェアライトを初めて知ったのは1980年の『アスキー』誌上でした。その時点ではそれが一体どんな音で何ができる物なのか分かりませんでした。
音として初めて聞いたのは1980年に発表されたケイト・ブッシュの『魔物語』(Never For Ever)の『夢みる兵士』(Army Dreamers)とイエスの『ドラマ』の『ホワイト・カー』(White Car)でしたが、その時点ではそれがフェアライトの音であると思っていませんでした。『魔物語』のサウンドはオーケストロン(光学式ディスクに音が記録されているサンプラーの祖先)だと思っていました。
その後、1982年にTPO(その時点ではプロジェクト・グリーン)がフェアライトを購入するにあたり渡されたフェアライトのデモテープ『Just Fairlight』を聞き初めて上記のサウンドのフェアライトの物であると知りました。
最初にいじったのは、第一号のフェアライトが日本に到着し、それが私の自宅スタジオに1週間ほどあった時で、寝る間も惜しんでいじり倒しました。
――『TPO1』がリリースされた1983年当時の日本と世界の音楽シーンは、今振り返ってみるとどんな状況だったと感じますか。
世界的にはトーマス・ドルビー、デュラン・デュラン、ブロンディー、a-ha(アーハ)、ティアーズ・フォー・フィアーズ、カルチャー・クラブ、トムトム・クラブ、カジャグーグー等のニューウェーブ系の色合いを残したようなヨーロッパ系ポップスがヒットしていた頃で、音楽的アプローチも楽器の使い方も非常に面白い時期でした。
日本に目を向けると、はにわちゃんに代表されるように完全にジャンルを超越し、また人材もロック、クラシックから邦楽まで融合し始め、またそれが一般にも許容され始めた時期でもあり、野心的な名作・迷作が多数登場した興味深い時期だったと思います。
楽器にコンピューター技術が融け込み始めた時期であると同時に、(特に日本は)景気が確実に上向き始めたため、それらに対する投資も積極的な時代だったと言う事も見逃せないポイントだと思います。
――『TPO1 - 25th Anniversary Edition』を通して聴いて、全くと言っていいほど「古さ」や「時代遅れ」の感じがしないことに驚きました。これはもちろんTPOのサウンドが時代のはるか先に進んでいたことも大きいのでしょうけれども、シンセサイザー導入に代表される音楽アレンジにおけるテクノロジー面での進化というのは、80年代にある意味ピークを迎え、それ以降はコンピューターのシーケンスソフトを使った楽曲制作やデジタルレコーディングのように、一般のリスナーからは目立たない分野に方向転換したという見方もできるんじゃないかと個人的に感じたのですが、安西さんはどのように考えますか?
私も同感です。楽器の進化は1985年辺りを境にプロ向けの画期的な物は影を潜めてしまい、それに代わってそれらのコンシュマー向けモデルが率先して開発されました。経済システムとしては当然の結果ですが、斬新な技術が登場しなくなってしまったのは残念に思います。
「新方式の○×音源採用!」とメーカーの宣伝にうたわれていても、既成の技術の寄せ集めにしか見えないのは私が年取ったせいでしょうか?
質問に書かれているように90年代に一般的になったシーケンサーソフトにしても、リスト表示は1983年にはすでにPPG[※独Palm Products GmbH社]の『Waveterm』(写真1)に搭載されていましたし、ピアノロール形式のエディターも譜面表示もMacのかなり初期のシーケンサーである『TotalMusic』(1985年SouthWorth社、写真2、3)等のソフトに搭載されていました。
本来ならもっと注目されても良かった90年代のバーチャル楽器(ヤマハの『VL』等)は音楽家にとって魅力的と思える部分(サンプラーでは不可能だった生楽器の微細なシミュレーション)よりもヘンテコな部分(サックスのマウスピースの音をトランペットの胴体に送る等)に宣伝の主眼が置かれ、一般に訴求する事なく忘れられてしまい残念に思います。
また2000年代に登場したストリーミングサンプラーの技術は画期的でしたが、結果として巨大なサンプル音ネタライブラリーが登場するようになってしまい、ユーザーから見ると使い勝手の悪い方向に進んでしまいました。
今後はコンピューターの処理速度の向上により、再びヴァーチャル楽器が注目を集めるのを期待したいと思います。
またメーカーには(それが短期的な収益に結びつかなくても)アマチュアユーザーが触る事すらできないような超高級楽器を開発して欲しいと思います。私たちが駆け出しだった頃、ローランドの『System-700』(写真4)等の大型シンセサイザーはアマチュアには高値の花で、みんな楽器店から貰える大型ポスターを部屋に貼り(このポスターですら楽器店と仲良くならないと貰えず、貰った奴は学校でヒーローだった)「このモジュールとこのモジュールをつないでボリュームをこんな風にセットしたら、きっとこんな音が出るぞ」なんて妄想に耽る事ができるくらい魅力的な楽器が再び登場する事を望みます。
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