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高森郁哉の「ArtとTechの明日が見たい」

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「ビートルズ名曲の謎を数学者が解明」:ナイストライだが、たぶん不正解

2008年11月 6日

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本日の記事、『「ビートルズ名曲冒頭の音の謎」を数学者が解明』を読んで、「フーリエ変換」を使った和音の解明というのが目を引いたものの、記事自体にも疑問を感じた部分があるし、あれこれネットやCDで調べるうち、いくつかの状況証拠から推論するに、どうもこの数学教授の「解答」はペケなんじゃないか、という個人的な結論に至りましたので、今日はその話をしましょう。今回は長めなうえ、楽器演奏とスタジオワークに関するやや専門的な内容になっていることを予めお断りしておきます。

まず、記事原文が書かれたいきさつを説明しましょう。今回の研究は、カナダのダルハウジー大学のJason Brown教授(数学・統計学)によるもので、ワイアード記事の原文末に"via Chronicle Herald Metro"とあることから、この記事を参考にして、同大学の2008年10月16日付けのプレスリリース『Mathematics, Physics and A Hard Day’s Night』と題されたPDFの論文(翻訳記事からリンクされたファイルと同じ)から記事を起こしたものと思われます。ただ、同教授の紹介ページには「Jason I. Brown, Mathematics, Physics and A Hard Day's Night, CMS Notes 36 (2004), 4-8.」と2004年に発表されたことが書かれていて、カナダのCBCラジオで2004年10月14日に放送された番組でも紹介されていました。そうすると素朴な疑問として、なぜ4年もたった今ごろ大学がプレスリリースを?となりますが、これは和音の謎とは直接関係ないのでとりあえず置いておきます。

それでは、以下に記事中の疑問点と、同教授のコード解釈に反する状況証拠を挙げてみましょう。

多重録音はなかった?

翻訳記事に「専門家が同曲のこのパートでは多重録音は行なわれていないと断定しているからだ」とありますが、実はピアノパートは後から重ね録りされた状況証拠がいくつかあります。

ビートルズの未発表音源などを集めた『アンソロジー1』のライナーノーツによると、「この日(1964年4月16日)は、「ア・ハード・デイズ・ナイト」を9テイク録音したが、そのなかでもっとも満足のいったガイド・ヴォーカル入りのテイク9をベーシック・トラックとし、そこにオーバーダビングを加えて3時間以内に作業を終えた」とあります。このベーシック・トラックというのは、ギター2本とドラム、ガイド・ヴォーカルで、さらにYouTubeで聴けるテイク6、7もピアノは含まれません(下に埋め込んだ動画を参照)。

さらに、英語版Wikipediaによると、間奏のジョージの12弦ギターとユニゾンのピアノは、(ベーシック・トラックの)半分のテープ速度で録音してから通常速度に戻すという処理をしています。つまり、間奏は明らかにダビングを行っているわけで、テイク7までピアノ抜きで録音されたことも考え合わせるなら、テイク9のイントロのピアノも後から重ね録りされたと考えるほうが自然

当時の4トラックレコーダーで、仮にトラック1とトラック2にベーシックの伴奏パートをミックスしたとすると、トラック3とトラック4にボーカルとコーラスを後から録音することになりますが、このトラック3、4のイントロと間奏の部分は歌が入らないので、ここの余白にピアノを入れた可能性が高いのです。ピアノを別トラックに録音しておけば、最終的なミックスで音量調整やイコライジング処理を施してギターなどとブレンドするのに有利だからです。

イントロのピアノ追加は周知の事実

もうひとつ翻訳記事の中で、同教授のレポートからの引用として「では、『問題のコード』の一部はピアノの音なのだろうか?」とありますが、これはビートルズのレコーディング記録をまとめた書籍などですでに明らかになっていて、先のWikipediaの項にも書かれています。したがって、どの音が弾かれたかはともかく、ピアノが入っていること自体はずいぶん前から知られており、新発見というわけではありません。まあ、ある程度音の聴き取りができる人なら、聴けばすぐピアノの音が分かるっていう話もありますが。

ジョージの証言との相違

さて、ここからいよいよコードの問題に入ります。みたびWikipediaで恐縮ですが、2001年2月のオンラインチャット(聞き手は『The Songwriting Secrets of the Beatles』の著者Dominic Pedler氏と思われる)で、ジョージ自身が「Fコードの上にG音を足したもの」(F with a G on top)、つまりFadd9のコードだったと明かしたとのこと(「add9」は根音に対して9度の音を加えるという意味)。これは残念ながら、Brown教授が主張する12弦ギターのコードとは一致しません

上にも書いたとおり、YouTubeで聴けるテイク6、7の音源というのがあって、テイク6が曲の途中で中断したあとテープが回ったままテイク7に突入するのですが、そのインターバルで、ジョージが問題のコードを1人で鳴らしています(下の動画はテイク6が中断する1:30あたりからスタートし、1:46にジョージのコードが聴ける)。これが先のジョージの発言の裏付けにもなります。

A Hard Day's Night [Take 6, 7] - The Beatles


この音を聴いて、自宅の6弦ギターでも確認しましたが、おそらくローポジションのFadd9(右図)のはず。この押さえ方なら、4弦3フレットのF3の根音に対し、1弦3フレットのG4が9度の音でトップ(最高音)になるので、ジョージの発言とも一致します。ただし12弦ギターだと当然響きが少し異なるので、持っている方は是非音源と聞き比べてみてください。

もうひとつ、このコードポジションが正しいことの傍証となるのは、エンディングでジョージが弾くアルペジオが、やはりローポジションのFadd9を押さえるフレーズであること。歌の部分の調はGメジャー(ト長調)で、イントロとエンディングをFadd9でサンドイッチした構造と考えることができます。

では、Brown教授が周波数から割り出したすべての音と、同教授が考えた12弦ギターのコード、ローポジションのFadd9を比較してみましょう。

A2, D3, D3, D3, D3, F3, F3, F3, G3, A3, C4, C4, D4, G4, A4, C5, D5, D5, D5, G5, G5, G5, B5, B5, C6, D6, E6, E6, E6, E6, F#6, G#6, A6, D7, D7, D7, D7, D7, D7, D7, E7, E7, F7, F7, G7, G7, G7, G7

・Brown教授の説(右上の楽譜のguitar(GH)とTAB譜の1段目も参照)
A2 A3 D3 D4 G3 G4 C4 C4

・ローポジションのFadd9
F3 F4 A3 A4 C4 C4 G4 G4
(5弦をミュートせず開放で鳴らしていたら、これにA2 A3が加わる)

Fadd9が正しいと仮定すると、問題になるのはF4の音が引用部分のリストに欠けていること。また、Fadd9ではG4の音は2つですが、リストには1つしかありません。ただし、この食い違いについても、考えられる説明が2つあります。

まず、12弦ギターを弾いたことがある人ならすぐ分かると思いますが、指板上でそれぞれの指先で2本の弦を同時に押さえるため、各弦をまんべんなく同じ音量で鳴らすというのが意外に難しいのです。特に3弦から6弦までは太さの異なる弦がペアになっているので、押さえ方が甘いと細い方の1オクターブ高い弦がミュート気味になってしまうというのもよくある話。F3があるのにF4がないのは、このケースが考えられるでしょう。

もう1つの可能性は、実はBrown教授の調査で全部の音を拾いきれていないのではないか、というものです。いったんジョージの12弦ギターから離れますが、ジョンのパートの楽譜を見ると、1弦の8フレット、C5の1音だけになっています。この曲のリードヴォーカルはジョンなので、歌い出す直前にこんな頼りない単音をアコースティックギターで弾くというのはちょっと考えにくい。実はジョンも和音を弾いたのだけど、バンド演奏をミックスした際の音量がジョージの12弦ギターやポールのベースに比べて相対的に低い(先のYouTube動画で確認できます)ため、ほかの音に埋もれてしまったのでは? その可能性を考えれば、12弦ギターでローポジションのFadd9を弾いてG4の音がリストに1つしかないことの説明もつきます。

ブリュートナーの「第4のピアノ弦」

同教授は、「ピアノのハンマーが、3本の弦を同時に叩いて1つの音を出している」ことを前提にして、各楽器が鳴らした音を割り出しています。ところが、この前提に関しても考慮すべき点があるのです。

レコーディングが行われたアビイ・ロード・スタジオには、ドイツのブリュートナーというメーカーのピアノがあり、同社のピアノには「高音部にアリコート(共鳴弦)と呼ばれる打弦されない4本目の弦が張られている」とのこと。そして、こちらのページによると、古いモデルの第4弦は1オクターブ上に調律されていたそうです。

『A Hard Day's Night』にブリュートナーが演奏されたかどうかは不明ですが、Brown教授がこの可能性を考慮していたら、各楽器への音の割り振りも変わっていたはず。これについてPDFのレポートで触れられていないのが惜しまれます。

結論

Brown教授の数学的アプローチは確かに興味深いものの、これまで挙げた点を総合すると、完全に正解した可能性はかなり低いようです。とはいえ、この方法を使って、まずピアノ抜きのイントロ(CDやオンラインで入手できるテイク1、6、7の音源)を解析してギター2本のコードを確定してから、PDFに記載された音のリストから引き算する形で(ブリュートナーの共鳴弦についても考慮して)ピアノの音を特定するというステップを踏めば、正解に至ることができるのではないでしょうか。さらなる研究を期待しています。

なお、翻訳記事中に出てくる「和音の個々の音を解析し、自由に編集できるプログラム『Direct Note Access』」については、以前当ブログでも紹介しました。これもフーリエ変換の応用例のひとつだそうです。

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プロフィール

フリーランスのライター、翻訳者としての活動を経て、2010年3月、ウェブ・メディア・地域事業を手がける(株)コメディアの代表取締役に。多摩地域情報サイト「たまプレ!」編集長。ウェブ媒体などへの寄稿も映画評を中心に継続している。

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