第7回 バベルの塔・そのIII
2007年9月10日
(小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」第6回より続く)
パリの右上は大衆の街で、ミシュレ団地でも若者たちによる「住民の一部を標的とする暴力」が絶えなかった(前回のおさらい)。
まあ、でもさ、貧しくて、仕事(やること)がなけりゃ、若者が荒れるのもしかたないかもね。なにせここ数十年フランスは失業率がすさまじく、一時は二桁をはるかにこえていたのである。若者たちを、それも低学歴の若者たちだけとりだしてみれば、失業率は(25パーセント強だったっけ?)想像を絶するまでにはねあがった。これじゃ、ねえ。
それに比べてわが日本国では、一部では「ニート」がど〜だとかこ〜だとか騒いでるようだが、最近の説だとそんなに大した数じゃないらしいし、不況が終れば消えさるらしいし、皆さんおとなしいので「住民の一部を標的とする暴力」なんて話にはならないだろうし、どっちみち大した問題ではないとのことである。
ところが、ところが、だ。「バベルの塔」を読みすすめると、フランスの事態は、それだけじゃなく、さらに混迷の度を深めているらしいのだ。かくして、不肖小田中が頭をかかえる時間はだんだんのびてゆくのである。
「バベルの塔」(『ル・モンド』2007年5月25日)その2
小田中直樹・概訳【2】「みんな悪くみられるんです」
多様性については、サブチッチ夫妻が失望することはなかった。当初、彼らが住む13階には、生粋のフランス人しかいなかったが、その後、移民がやってきた。P棟をみると、ミシュレ団地の他の棟とおなじく、セファラディム(西方ユダヤ人)系の家族、アジア系の家族、アンティル系の家族、あるいはアフリカ系の家族をみることができる。生粋のフランス人はもはや多数派ではない。もっとも、ここに住みつづけている人々は、サハラ以南出身の家族たちについて、うらでは不満をもらしている。つまり、彼らは「窓からゴミを捨てる」し、こどもたちは「放っておかれるので」学校に行くよりは「麻薬販売」にいそしんでいる、というわけである。ただし、サブチッチ夫人は、この意見には反対だ。「アパートは、眠るだけじゃなくて、生活する場所です。また、こどもがいれば騒音が出るのは当然でしょ。我慢しなきゃなりません。結局のところ、わたしたちにだってこどもがいたわけだし」。
ギアナはカイエンヌ出身のロズリンさん(仮名)は、カンブレ通りに面したK棟の4階に住んでいる。「1997年6月に住みはじめたときには、まだ乱闘や、ときには乱射騒ぎがありました。いまは、ずいぶん静かになりました」。ただし、そうはいっても、彼女はこどもたちが学校帰りに「玄関ホールで道草を食う」ことは禁じている。失業中であろうがなかろうが「こどもたちはしつけなければね」。
ロズリンさんは、カーボ・ヴェルデ人、ギアナ人、ハイチ人、マリ人たちからなる家族の出身なので、敵意がコミュニティを分裂させることをよく知っている。彼女によれば「わたしにはアンティル人の友達がいました。でも、わたしがカーボ・ヴェルデ人と暮らすようになると、話しかけてこなくなりました。10年来の友達ですよ!! 彼女たちにいわせると、カーボ・ヴェルデ人はみんなヒモなんですって。アンティル人はアフリカ人がきらいです。野蛮人なんですって。わたしは色々な人種の人々とつきあってます。わたしにとっては、みんな平等です。もっとも、いわれていることもわかりますが……」。彼女自身も、弁解しつつではあるが「アラブ人」は好きになれないと告白した。「彼らの行動がねえ……敬語が使えないし。とにもかくにも、この団地では、みんな悪くみられるんです。やってきたばかりの余所者と判断されて……。アンティル人もですよ!!」 (続く)
つまり、つまり「移民」である。アジア、アフリカ、ユーゴスラヴィア、ハイチ、カーボ・ヴェルデ、マリ、アラブ……フランスは移民の国なのである。渡辺和行(『エトランジェのフランス史』、山川出版社、2007、快著!!)によれば、フランスに在住してる外国人は約300万人、全人口の5パーセントほどを占めている。そして、いうまでもなく、このほかに、フランス国籍を取得した元外国人とその家族がいる。
そして、たいていの移民は貧しく、学歴もあまりなく、失業率も高い。また、困窮のせいか、あるいは警察の監視が厳しいせいか、移民の犯罪率は相対的に高いといわれている。かくして、とくに不況になって社会全体の失業率が上昇すれば「われわれが苦労しているのは移民のせいだ」ということになり、移民排斥を訴える声が高まる。フランスでこの声を代弁するのは、ご存知カリスマ的なリーダーであるジャン・マリー・ルペン率いる政党・国民戦線である。
と、ここまでは、日本でもわりとよく知られたことであり、とりたてて新味はない。「バベルの塔」が伝える悩ましき問題は、ここから先にある。
とりあえず2つ挙げておこうか。
その1。つい最近まで、「移民」の代名詞は北アフリカ3国(チュニジア、アルジェリア、モロッコ)を出自とする通称「マグレブ人(あるいはアラブ人)」だった。これら3国は、旧フランス領であることもあって、フランスへの移民が多い(フランス在住外国人のほぼ3分の1がマグレブ人)。また、マグレブ人のほとんどがキリスト教徒ならぬイスラム教徒である。人数も多いし、宗教もちがう、というわけで、彼らは移民排斥の矢面に立たされてきた。ところが、「バベルの塔」にあるサブチッチさんの発言からは、ミシュレ団地の「生粋のフランス人」のおもな批判が向けられてるのはマグレブ人ではないということがわかる。
排斥されるべきはだれか、といえば、それは……「サハラ以南出身の家族たち」つまり(雑駁にいえば)黒人である。フランス在住外国人のうち、黒人が占める比率は15パーセント程度。そのプレゼンスはマグレブ人ほどではない。でも、ミシュレ団地では、彼らに対する不満が高まっている。フランスにおける「移民差別」は「黒人差別」になる可能性を秘めてるのかもしれない。
そして「黒人差別」といえば、そう、アメリカの十八番。ということは、これもまたグローバル化という名のアングロサクソン化の一部なのか?
その2。「移民」というと、大抵は「マイノリティ」とか「被抑圧者」とか「被害者」「被差別者」とかいったイメージが想起されるだろう。でも、ロズリンさん(仮名)の言葉からわかるとおり、ミシュレ団地では移民同士が差別しあっている。アンティル人はアフリカ人を見下し、それを批判するギアナ人(ロズリンさん)はアラブ人を蔑視するのである。
そういえば、フランス革命前のフランスでは、上の身分は下の身分を蔑視し、下の身分は、上の身分に反発することなく、さらに下の身分を蔑視していた。この構図は「軽蔑の滝」とよばれているが、ミシュレ団地には「軽蔑の滝」移民バージョンが存在しているわけである。
これじゃ「万国の移民よ、団結せよ!!」とか訴えても、「移民という他者に寛容であれ」とか叫んでも、なんだかなあ。
んで、日本はどうか。東京の一部地域では黒人さんは「ブラザア」と呼ばれて尊敬されてるらしいし、日系ブラジル人移民と在日韓国・朝鮮人のあいだに「軽蔑の滝」があるという話も聞かないから、ミシュレ団地の現状はとりあえず他所様の話ということでOK……なのか、本当に? ここはぜひ読者諸賢の意見を伺いたいところである。
ご意見をおもちの場合は、トラックバックで寄せてくださると、とてもうれしい。次回で「バベルの塔」は完結する……が、また暗い話だったりして、うーむ。
本日のまとめ……移民もラクじゃない
小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
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