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小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

他所(特にフランス)の過去を参照しながら、日本の「現在と未来」を考えるアクチュアルな論考。

第8回 バベルの塔・そのIV

2007年9月24日

(小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」第7回より続く)

日本には移民問題なんぞない!! と余裕の方々もいらっしゃるかもしれないが、いやあ、わかんないっすよ。在日韓国人・朝鮮人や日系ブラジル人以外にも、けっこう日本にも色々な移民話があるのだ。

たとえば、かつてバブル経済華やかなりしとき、たしか日本政府はイラン政府と協定を結び、イラン人に労働力として来てもらったんじゃなかったっけ? 最近では、2004年、日本とフィリピンの両政府が、フィリピン人看護師・介護福祉士の受入れを促進する経済連携協定を締結することで合意している(その後受入れは難航中らしいが)。黒人差別や「移民版軽蔑の滝」だって、いつ生じるかわかんないぞ……というのが、不肖小田中の根拠なき見立てである。ミシュレ団地の経験を知っておくことは、だからムダじゃない。

でも、移民排斥も、黒人差別も、移民版軽蔑の滝も、どれも好ましいことじゃない。ちゃんと学校でこどもたちに「色々なおともだちと仲良くしましょうね」と教える必要があるよね、そこの君たち……といいたいところだが、ミシュレ団地の経験からすると、それもまた色々とむずかしいらしい。かくして不肖小田中が頭をかかえる時間は三たび長引くことになったのである。


「バベルの塔」(『ル・モンド』2007年5月25日)その3(完)
小田中直樹・概訳

【3】一滴の水
ミシュレ団地の近くにあるオルグ文房具店の店主ローザ・タンザウイさんによれば「混淆が進んでいないところがあるとすれば、それは学校です」。70パーセントの住宅が低所得者向け住宅に分類される地区では、おそらく、これは驚くべきことではない。地区評議会の委員をつとめているジャン・ジャック・サマリさんによれば「タンジェ通りにあるメリエス中学校なんて、生徒は100パーセント黒人です」ということらしい。「どうみたってもっとも差別されているのはアフリカ人ですよね。そして、彼ら以外はだれでも、こどもをどうにかして私立学校に入学させようとしています。〈オーベルニュ人〉はもちろんのこと、中国人もマグレブ人もですよ」(サマリさん)。この地区の調停委員であるアジ・アウディアンさんは「若者たちについて新しい点があるとすれば、それら彼らの攻撃性ですね」と述べている。

ミシュレ団地の住民のイニシアティヴは奇跡の秘訣ではない。「でもね、これは一滴の水かもしれませんが、良いことなんですよ。杯をあふれさせるには、まず一滴の水から、っていうじゃありませんか」(アウディアンさん)。

おお、「一滴の水」か、じつに心打たれる良い話である。いやあ、そうだよね、千里の道も一歩から、人生楽ありゃ苦もあるさ、七転び八起き……とにもかくにも住民パーティは目出度し目出度しではないか。

うーむ、まあ、結末は穏当なところだよね、この記事は。でも、ぼくが頭をかかえたのは、そこじゃない。「混淆が進んでいないところがあるとすれば、それは学校です」というタンザウイさんの言葉だ。

学校には色々な機能がある。たとえば、こどもたちの能力(人的資本)を高めることや、能力にもとづいてこどもたちを選別することだ。そんななかに、異質な存在とふれあう機会を提供し、他者理解や統合を促進する、というものがある。フランスの移民についていえば、移民のこどもたちと「生粋のフランス人」のこどもたちが同じ学校に通うことによって、他者理解や統合が図られるだろう、ということだ。

ところが、ミシュレ団地がある地域では、人種や民族ごとに学校がちがうという傾向が進んでいるらしい。なんたって「100パーセント黒人」である……って、んな、オレンジ・ジュースじゃあるまいし。

フランスでは、公立小中学校に学区がある。これを「学校地図(カルト・スコレール)」と呼ぶが、1980年代以降、この学校地図の「柔軟化」がすすめられてきた。ちなみに現大統領ニコラ・サルコジは学校地図の廃止を持論とすることで知られている。これに対してフランス共産党やフランス民主連合・民主運動(中道)は、学校地図を廃止すると、同じような境遇のこどもたちが学校に集まり、その結果として他者理解や統合が妨げられるのではないか、として、学校地図の維持を主張し、論争が続いている。この論争の背景には、フランスでは学校が「他者理解や統合の場」として重要な意味をもっていることがある……のだが、今日は省略。

ぼくらにとって興味深いのは、これが日本の動向と似ていることだ。よく知られているとおり、東京都品川区などを嚆矢として、日本でも全国各地で公立小中学校の学区制の廃止が進んでいる。

ところで、これって良いことか?

異能の経済学者として知られるアルバート・ハーシュマン(『離脱・発言・忠誠』、矢野修一訳、ミネルヴァ書房、2005、原著1970)によれば、異議申立のおもな手法には離脱と発言があるが、両者は通常両立しない。学校に即していえば、いまの学校がいやだったら、別の学校に移るか、学校運営に口をはさむか、どちらかである。そして、学区制の廃止は、後者ではなく前者の異議申立手法を促進する方向にはたらく。つまり、このままゆくと、学校運営に関心をもち、たとえばPTA活動に参加する保護者は減ってゆくだろう。しかし、娘の小学校のPTA副会長として悪戦苦闘(大げさ)している不肖小田中にとっては、そ、そ、それは困るっ!!

というわけで、学区制を廃止すりゃいいってもんじゃないのよ、本当は。

ところで、ところで、である。「バベルの塔」を読めばわかるとおり、じつは、学区制を廃止しようがしまいが、大した違いは、ない。現実はもっと先に進んでしまってるのだ。エリートがみ〜んな私立学校に逃げだしてしまったら、どうなる? エリートと大衆で、あるいは民族や人種ごとに、居住地がわかれてしまったら、どうなる? 

結局のところ、学校を「他者理解や統合の場」なんて誉めそやし、多くを期待することは、本当は間違いなのかもしれない。学校をとりまく社会がかわらなければ、学校はかわらない、ということだ。これって、教育界の片隅で禄を食んでいるぼくにとっては、あんまりうれしくない結論ではある。

でもまぁいいか、「一滴の水」って諺もあるし(意味不明)。

本日のまとめ……学校に多くを期待するな

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プロフィール

1963年生まれ。東北大学大学院経済学研究科教授。専攻は社会経済史。著書に『ライブ・経済学の歴史』『歴史学ってなんだ?』『フランス7つの謎』『日本の個人主義』『世界史の教室から』などがある。

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