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小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

他所(特にフランス)の過去を参照しながら、日本の「現在と未来」を考えるアクチュアルな論考。

第5回 バベルの塔・そのI

2007年8月27日

(小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」第4回より続く)


前回話題にしたドーデ「最後の授業」を、知ってる読者の皆さんはおもいだしてほしい。

この小説を読んでもっとも印象的な場面のひとつは、アメル先生が「民族が奴隷になっても、自分の国語を守ってさえいれば、牢屋のかぎを手中にしているようなものです。ですからフランス語を忘れず、しっかりと守りましょう」と語るところだろう。

アメル先生のお言葉を要約すれば、さしずめ国語は牢屋のカギだ!! 民族の文化の魂は国語にある!! という感じか? しかし、こりゃほとんど国語フェティシズム(いわゆる「フェチ」)である。

【1】
 実際、フランス人はフランス語にものすごい情熱と精力をかたむけてきた。すでに16世紀、フランス語を純化することを任務とする機関(アカデミー・フランセーズ)が設置され、公用文書はフランス語で書かれるべきことを定める法律(ヴィレル・コトレ王令)が発布されるってんだから、そのフェチぶりはただものではないな、おぬしら。

そして、19世紀になると、あちらこちらの学校でかの「罰札」制度が導入され、フランス語を話すことがこどもたちに強制されてゆく……のだが、これは、学校で方言をしゃべったこどもは首に札をかけられ、別のこどもが方言をしゃべってるのをみつけたらそれをわたすことができ……というのをくりかえし、最後に札をかけていた子供が罰されるという、じつに陰険な制度だぜ!! ちなみにこの罰札、明治維新後の日本の学校にも導入されたので、ぼくらにとってもまったくの他人事ではない。たしか井上ひさしがエッセーで書いてたと思うが、思いだせなくてすみません。

ついでにいうと、現在東京には日仏学院、仙台など一部地方都市にはアリアンス・フランセーズというフランス語学校があるが、これらはフランス政府公認の、というよりも、政府きもいりの機関である。つまり、フランス語を世界各地に広めることによってフランスの国際的プレゼンスを維持拡大させようとする、同国の文化・外交・安全保障戦略の一環を担っているのだ。うーむ、こりゃすごい戦略だ……とぼくは思うのだが。

【2】
 ところが、グローバル化つまりはアメリカ合衆国化が叫ばれる今日、日本ではフランス語に対する関心がもりさがってる。具体的には、どうも大学の第二外国語でフランス語を選ぶ学生諸君が減っているらしい。この事態に危機感をいだいたフランス語学・フランス文学の専門家たちが、さる七夕の日、オシャレな街・恵比寿にあるオシャレな建物・日仏会館で、それじゃどう対処すればよいかを考えるシンポジウムを開いた。不肖小田中も、フランスに関する研究教育で禄を食んでいる関係でお声がかかり、せっかくの機会なので思うところを述べてきた。

もちろん、こんな大問題、一回のシンポジウムで結論が出るわけがないので、基本的にはブレストで終わったのであるが、それにしても、どうしたもんかねえ。アメリカさんのひとり勝ちってのもねえ……。

ちなみにぼくは、この4月から、勤務先で、3・4年の学部学生を対象に、フランス語の文章を読む「外国書購読」という授業を担当している。で、最初の授業に来たのは……なんと1人!! うーむ、これはフランス語の人気がないせいか? それとも、それとも、ぼくの人気がないせいか?

そんなわけで、開口一番「週に2回『ル・モンド』の記事を全訳して内容を議論するつもりだから、ひとりだと大変だろう。別の授業にしたら?」と説得(?)にかかった不肖小田中だった。ところが、いかなるわけか説得は不調に終わり、一対一の授業が始まったのである。最後までがんばった鈴木さん、あんたはエライ!!

【3】
 外国書購読の課題文献となった『ル・モンド』というのは、フランスを代表する日刊(夕刊)紙である。『朝日新聞』と提携しているのか、ときどき『朝日新聞』上で記事が翻訳掲載されているのをみることができるので、読者の皆さんも名前くらいはご存知かもしれない。

ところがこの『ル・モンド』、発行部数は?というと、これがたったの35万部!! 比較するために日本の3大紙をみると、最大の『読売新聞』が約1千万部、ライバルの『朝日新聞』が約8百万部、そして最近低迷が伝えられている『毎日新聞』でさえ約4百万部である。ちなみにぼくの地元の地方紙『河北新報』でさえ50万部以上だから、『ル・モンド』は日本の地方紙以下の発行部数ということになる。

そんな『ル・モンド』がなぜフランスを代表する日刊紙といえるのか。それは、この新聞がクオリティ・ペーパーとみなされているからである。『ル・モンド』を開けばすぐにわかるとおり、芸能欄やスポーツ欄や広告が少なく、国際欄がすさまじく充実している。写真が少なく、字ばかりが並んでいる(以前はもっと字ばかりだったらしい)。よくいえば読みごたえがあり、わるくいえば面白みに欠ける。こんな新聞を毎日読むのは、まぁエリートだけでしょうね……そう、エリートが読む新聞、それがクオリティ・ペーパーである。

フランスは、エリートと大衆からなる、一種の「2階級社会」だ。両者は、学歴もちがうし、趣味もちがうし、使う言葉もちがう(実際、『ル・モンド』の記事は複雑怪奇な文法を駆使することでも知られている)し、住むところも行動範囲もちがう……というのは極論に聞こえるかもしれないが、くわしくはぜひ社会学者ピエール・プルデューの著作(ほとんど翻訳がある)を読んでみてほしい。ひとつよろしく。

そして、エリートと大衆では、当然ながら読む新聞もちがう。エリートは『ル・モンド』をはじめとするクオリティ・ペーパーを読む。大衆はそんなこむずかしいものは読まず(けっこう高価だし)、大抵はキオスクでスポーツ新聞を買う。しかし、エリートは人数が少ないから、これじゃクオリティ・ペーパーは売れないよね。『ル・モンド』の発行部数が少ないというのは、けだし当然の帰結なのである……が、企業としての経営上、これは大問題だろう。実際『ル・モンド』はここしばらく経営危機に陥っており、つい先日も経営陣が交替したところなのだった。

そんな『ル・モンド』の記事を、ぼくと鈴木さんは毎週2本ずつ訳しながら読んでいったわけである(正確にいえば、訳したのは鈴木さんであり、ぼくは内容について説明するだけだったので、ここでもエライのは彼女のほうである)。

そんななかで、ひとつ、とても興味深い記事に出会った。この「バベルの塔」(2007年5月25日付)と題されたルポルタージュ記事を読み、ぼくは本当にうなってしまった。なぜうなったか、それは来週のお楽しみ。次回は「バベルの塔」訳文のおまけ付きだぜ、イエーイ(死語)。

本日のまとめ……フランスは2階級(エリート、大衆)社会である

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プロフィール

1963年生まれ。東北大学大学院経済学研究科教授。専攻は社会経済史。著書に『ライブ・経済学の歴史』『歴史学ってなんだ?』『フランス7つの謎』『日本の個人主義』『世界史の教室から』などがある。

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