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小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

他所(特にフランス)の過去を参照しながら、日本の「現在と未来」を考えるアクチュアルな論考。

第4回 気分はもう戦争・そのIV

2007年8月20日

(小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」第3回より続く)

で、徴兵制である。

不肖小田中は、1990年代にフランスで暮らしたことがあるが、けっこう街中を徴兵された若者をのせた軍のおんぼろバスが走っていた記憶がある。たった(?)10ヶ月とはいえ、自分でやりたいと思ったわけではないことに青春をついやすのは、やっぱりうれしいことじゃない……と、ぼくは思う。

それでも徴兵制が受容されるには、かなりの強制力が必要だろう。徴兵制を批判する人々を弾圧し、徴兵を逃れようとする人々を地球の果てまで追跡する、とかね。でも、これってかなりコストがかかりそうだ。もうちょっとスマートな方法はないものか。

もちろん、ある。いちばん簡単なのは、プラスのイメージを与えることだ。そう、国防は国民の義務ではなくて権利である、みたいな。そうすれば徴兵はオシャレになる。

でも、いきなり「国防=権利」っていわれても、キョトンとする人が多いんじゃないか?もうちょっと一般ウケする理屈が必要だよね、やっぱり。

【1】
 ここでようやく、前回の最後に出したヒントにもどる。つまり「最後の晩餐」であり、「最後の晩餐」とは万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた傑作であり、今日では世界遺産に登録されており……じゃなかった、すまん。本当は「最後の授業」である。

「最後の授業」とは、フランスの作家アルフォンス・ドーデが1873年に発表した短編小説である。ある年齢以上の日本人にとっては、この小説はとてもなじみぶかいものだ。というのも、小学校や中学校の国語の教科書の定番だったんですね、これが。

内容は、というと……1870年から翌年にかけて、フランスはドイツ(正確にはドイツ諸邦など)と戦争して敗れ、仏独国境地帯にあるアルザス地方をドイツに割譲せざるをえなくなった。アルザスのある村に住むフランツ少年が通う小学校でも、使用言語がそれまでのフランス語からドイツ語にかわることになった。担任のアメル先生は辞職を決意し、フランス語で最後の授業をする。そして黒板に「フランス万歳」と書いて去ってゆく。

おお、よい話ではないか!! ぼくも小学校だったか中学校だったかの国語の授業で「最後の授業」を読み、感動に涙した(というのは大げさだが)記憶がある。皆さんはどうだろうか。

ところが、ちょっと考えてみると、これはかな〜りミスリーディングな話であることがわかる。詳しくは名著・田中克彦『ことばと国家』(岩波書店・岩波新書、1981)をごらんいただくとして、大体において「フランツ」ってフランス系というよりはドイツ系の名前じゃん。「アメル(Hamel)」だって、フランス語だから「H」を発音しないので「アメル」だが、発音すれば「ハメル」で、これまたドイツ系の苗字だよね。じつは、歴史をさかのぼると、アルザス地方がフランス領だったのは、ほ〜んの一時期なのである。

【2】
 このアルザス地方の中心都市といえば、ストラスブールである。このほどようやくフランスが誇る新幹線TGVがアルザス地方でも開通し、パリ、ストラスブール、さらにはシュツットガルトやフランクフルトが高速鉄道網で結ばれることになった……いかん、いかん、鉄道ファンなので脱線してしまった。

んでアルザス料理といえば、なにはともあれシュークルートである。キャベツの漬物をハムやソーセージ、ジャガイモといっしょにワインで煮込んだ、質実剛健系にして体力勝負系の一皿で、フランスで「ブラッスリー」と呼ばれる形態のレストランの名物になっている。とにかく大抵は山のような量でサーブされるので、絶食しておくとか、二人で一皿頼むとか、事前に対策をとっておくことをおすすめしたい……が、以前パリのブラッスリーで二人で一皿シュークルートを頼んだところ、ウェイターに「ひとり一皿でお願いします」といわれ、ケンカになったのはわたしです、はい。

しかし、だ。キャベツの漬物といえば、ドイツ名物ザウアークラウトである。ハムやソーセージといえば、ドイツおけるたんぱく質供給源である。ジャガイモといえば、ドイツ人にとっての「コメ」である。つまり、なんのことはないのであって、どこをどうみても、これはドイツ系の料理である。

まとめよう。アルザス地方は(乱暴にいってしまえば)ドイツ!!である。

それでは、なぜドーデはこんなミスリーディングな話を書いたか。もちろん、そこには理由がある。彼はドイツに負けてくやしかった。かくなるうえは、いずれきたるべき対独復讐の日にそなえて臥薪嘗胆しなければならない。そのためには、フランス国民のあいだに、フランスはえらく、フランス人はフランスを愛し守らなければならないという感情を植えつけなければならない。こんな感情は、通常「ナショナリズム」とよばれている。「最後の授業」はナショナリズムのためのフィクションであり、そうしたものとして意図的に書かれたのである。

【3】
 話の筋があっちに行きこっちに戻りしてるようで、自分でも目が回ってきたが、カンのよい読者諸賢はもうわかっただろう。国防は権利であるという考え方を普及させるには、ナショナリズムの力を借りることが有効だし、簡単である。

フランス人が「国防=権利」と考えてきたとすれば、それらは彼らがナショナリストだからである。フランス革命はナショナリズムを生んだ。ナショナリズムは国民軍を支えた。20世紀末のフランスで国民軍の廃止に反対した左翼政党は、ナショナリストだった。

そして、ナショナリズムは強い。たとえば、「最後の授業」からしばらくたったころのフランスでは、右翼政党が対独復讐を唱え、左翼政党が植民地獲得を求める、という外交・軍事政策の対立があった。でも、どっちもナショナリズムに基づいていたことにかわりはない。

今日の日本でも、ナショナリズムは議論の的だ。とくに最近はナショナリズム大好き派の発言がけっこう目につく。連載第1回でダシにした「丸山眞男をひっぱたきたい」なる一文も、そんな文脈のなかで評判になったんだろね、きっと。ぼくはナショナリズムをあおりたてるのはお子ちゃまっぽくて好きになれないが、でも、その力を軽視してはならないと思う。フランスの歴史は、そんなことを教えてくれる。

本日のまとめ……ナショナリズムは、強くて困る

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プロフィール

1963年生まれ。東北大学大学院経済学研究科教授。専攻は社会経済史。著書に『ライブ・経済学の歴史』『歴史学ってなんだ?』『フランス7つの謎』『日本の個人主義』『世界史の教室から』などがある。

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