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小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

他所(特にフランス)の過去を参照しながら、日本の「現在と未来」を考えるアクチュアルな論考。

第3回 気分はもう戦争・そのIII

2007年8月13日

(小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」第2回より続く)

はやくも3回目にして、なんの話をしてるんだか、だんだんわかんなくなってきた。それもこれも、一週間に宴会が5回という、最近酒が弱くなってきた身にとってはまさに「魔のウイーク」がすぎ、すっかり消耗してしまったからである(これじゃサラリーマンはつとまらんだろうなあ)。

しかし、そんな泣き言はいってられない。そうだ、フランス外人部隊である。フランス人が入隊する場合は他の国籍を自称するという、この徹底的な「外人」振りはなぜか?、という問題だった。そして「こんな不思議さのヒントは、その歴史にある」な〜んて、気をもたせて終わったんだった。

【1】
外人部隊は1831年に創設された。当時のフランスは「七月王制」とよばれる王制で、国王はルイ・フィリップ1世。じつは、そのちょっと前から、フランスはアルジェリア征服に乗出していた。しかし、アルジェリアは広大であり、アルジェリア人の士気は高く、アルジェリア派遣フランス軍は苦戦をよぎなくされていた。とにかく応援部隊がほしい!!、という目でみてみると、なんとぉぉぉぉぉ!! 

いきなり話がずれて申訳ないが、ちょうどいま、日比谷は帝国劇場でミュージカル「レ・ミゼラブル」が上演されている。原作は、言わずとしれた、ジャン・バルジャン、コゼット、エポニーヌ、ジャベール警視たちがおりなすヴィクトル・ユゴーの大河歴史小説。日本では『嗚呼無情』の名で知られている。ミュージカルは今年が日本初演20周年ということで、安い三階席の片隅で感涙にむせぶこと数回(5回だったか?)の一ファン・不肖小田中としても、目出度いかぎりである。おめでとうございます!!

この「レ・ミゼラブル」のクライマックスといえば、1832年、パリ、バリケードである。おお、学生たちがうたう「民衆の歌」のメロディが脳裏によみがえり、涙腺がゆるんできたぞ……というのは、どうでもいいことなのでおいておき、1832年といえばちょうど外人部隊ができた直後にあたる。そういうわけで、外人部隊の背景について知りたい人は、帝国劇場に急げ!!

ここで注目したいのは「バリケード」である。19世紀のヨーロッパでは、革命がはやった。当時の革命のシンボルといえば、この「バリケード」である。ドイツ諸邦やロシアをはじめ、各国では革命を目指す活動家がうごめいていた。でも、革命ってものはなかなか成功しない。失敗した革命家たちは国外に逃亡し……そして、その多くはパリにやってきた。なんたってフランスは革命の本場なのだ。外人部隊を創設したルイ・フィリップ1世とて、1830年にパリで革命がおこって前の王家が打倒され、そのおかげで、代わりに国王の座についた人物である。革命家たちは、武器の使い方も知ってるはずだし、「革命の本場」にして「亡命地」を提供してくれるフランスのためだったら戦う意欲があるんじゃないか? 彼らにアルジェリアで戦ってもらおう!!

こうして外人部隊が誕生した。「本名以外を名乗ることが義務づけられている」のは、革命家たちが身元をかくせるようにという配慮のたまものだったのである。そもそも革命家は亡命者だから、パスポートなんてもっていない。彼らがなのる名前が本名か否かなんて、どっちにしろわかりっこないわけだ。

でも……なんかへんだぞ。身元をかくさなきゃならないからといって、フランス人の入隊希望者は別の国籍を自称しなきゃならないという理屈にはならない。

じつは、そこには深〜い「わけ」があるのだ。

【2】
かくして時間はおよそ半世紀さかのぼる。1789年にフランスで始まった大事件といえば、日本でも「ベルサイユのバラ」でよく知られる、泣く子もだまるフランス革命。この革命は人類の歴史にさまざまなものをもたらしたが、そのひとつに、国民の徴兵にもとづく軍隊がある。これを国民軍とよんでおこう。

フランス革命の歴史は戦争の歴史でもある。やれ封建制度は廃止するわ、やれ「人権宣言」とかいう文書は出すわ、やれ王制を廃止して国王夫妻を処刑するわ……周辺諸国からすれば、フランスの革命家たちはとんでもないことばかりする連中だった。かくしてイギリス、ドイツ諸邦、ロシアなどが革命の進展に抵抗するべく同盟し、連合軍がフランスに攻めこんだ。圧倒的な兵力を誇る連合軍に対抗するには、フランスはどうすりゃいいのさ? かくして誕生したのが国民軍という発想だった。

ヨーロッパ諸国では、それまで、兵力の中心は雇兵だった。しかし、国家は国民が守らなければならない。大体において、カネで雇われた兵士が、イザというとき国民を守るか? 国民にとって国防は、一方では義務であり、他方では(なんと)権利でもある……革命家たちはそう主張し、1793年、国家総動員令にもとづいて徴兵制を導入した(法制化はその数年後)。徴兵制は進歩の思想にもとづく進歩のための制度だったのである。

かくして、フランスでは、兵士は国民でなければならないことになった。逆にいえば、フランス国民は通常の軍隊に勤務しなければならない。この「兵士=国民」という枠組には、外国人の入りこむ余地はない。外国人を兵士にしようとすれば特別の軍隊が必要になるのであり、それが「外人部隊」だった。そして、フランス人がこの特別な軍隊に勤務しようとすれば、フランス人であってはならない。だから、外人部隊に入隊を希望するフランス人は別の国籍を自称しなきゃならないのである。

【3】
一気に時代はとんで1996年。ときのフランス大統領ジャック・シラクは徴兵制を廃止し、職業軍人からなる軍隊に改組するという政策を発表した。このころ兵役の期間は10ヶ月、こんな短い時間で、素人の兵隊さんに、最新鋭の武器の使い方を教えるなんて、はっきりいってムリである。シラクにとって、徴兵制にもとづく国民軍とは、時代遅れで金食い虫の思想にすぎなかった。翌年、下院は徴兵制の廃止を可決し、移行期間をへて、2001年、フランス軍の職業軍人化が始まった。

これに対して、徴兵制の存続を主張したのは、社会党や共産党など、左翼政党だった。「左翼政党は反戦的、右翼政党は好戦的」という構図に慣れているぼくらからすると、これはとても奇妙な光景にうつる。でも、フランスの左翼政党にとって、こんなスタンスは不思議でもなんでもなかった。彼らにいわせれば、せっかく勝ちとってきた国防の権利を放棄するのか? 大体において職業軍人がイザというとき国民を守るか? というわけである。

かくのごとく、つい先日まで、フランスでは、徴兵制は進歩の思想だった。

ということは、ぼくらも進歩を目指して国民軍という思想を導入するべきだ、ということになるか? でもなあ、国民軍が国民を守るか、というと、それもどうかねえ。第二次世界大戦中の日本軍は、たしか徴兵制にもとづいてたんじゃなかったっけ? 国防が国民の権利だなんて、マジか?

逆にいうと、なんでフランス人は「国防=権利」って考えてるのかね、まったく。ちなみにそのヒントは

「最後の授業」

関心をおもちの方は、予想回答をトラックバックで寄せられたい。でも、最後の授業っていわれても、ねえ。

本日のまとめ……国防は国民の権利である、という説もあるが、本当かよ

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プロフィール

1963年生まれ。東北大学大学院経済学研究科教授。専攻は社会経済史。著書に『ライブ・経済学の歴史』『歴史学ってなんだ?』『フランス7つの謎』『日本の個人主義』『世界史の教室から』などがある。

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