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小田切博の「キャラクターのランドスケープ」

マーチャンダイジングの観点から、マンガ・アニメ・ゲームなど、日本の「コンテンツ・ビジネス」の現在を考える。

引用の効能

2010年10月26日

(これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら

ちょっと前に、ある大学の先生がネットから抜書きしただけの学生のレポートに怒っていたので「引用の仕方がわからないんじゃないか」といったら「そのくらい教わらなくてもわかって当然だ」といわれた。

しかし、個人的にはこれはけっこう疑問である。

というのは、そういうことをする学生はまず「引用すること」のメリットがよくわかってないんじゃないかと思うからだ。

たとえば私の友人にも実際にそういう経験をした人間が何人かいるが、夏休みの読書感想文の宿題に誰かの書いた解説を丸写しして提出したらほめられた、という話を聞いたことのあるひとはけっこういると思う。

で、そういう場合、その丸写しの典拠を明示して「と**はいっているが、私もまったくその通りだと思う」とだけ書いていたら、おそらくその子どもは教師からはほめられずに怒られるのである。「もっと自分の言葉で書きましょう」とかなんとかいわれて(もちろんそうではない先生もいるとは思うが)。

教育の影響かどうかはわからないが、現在の日本ではマスメディアでもネットでも特定のトピックについて「自分なりの意見を開陳すること」が重要視されている気がする。ワイドショーのコメンテーターなんてそれが仕事のようなものだし、2ちゃんねるのような匿名の場所ですらそういう傾向は感じる。なにか独自の見解を示せたり、情報の発信元であることに対しある種のオブセッションがあるように思うのだ。

だが、自分だけで独自に考えていることなんてそんなに重要なものだろうか。

自分が共感し得るよくまとまったコメンテーションがどこかにあるならそれを引き、それこそ「激しく同意」とでも書けばそれで済むことは多いし、第一そっちのほうが楽だ。

典拠を明示せずにネットからの切り貼りでレポートを書いてしまう学生のようなひとたちは、まず「自分の意見」としてなにかをいわないといけないと思っているのではないだろうか。「引用」の利点はそれが「自分だけが勝手に考えている」ことではないことを例示し、その考えの説得性を担保するところにもあるわけだが、そういうひとは引用の持つその種のメリットが見えなくなっているのではないかと思う。

私は海外のマンガだのキャラクタービジネスだのといったマイナーなことについて調べてきたので、「教えてくれ」といわれて話をした相手が(ひとから聞いた話だとも断らずに)しれっと私が話したそのまんまのことを書いたり話したりしていた、という経験がけっこうある。べつにこれは特殊な話ではなく、新聞やテレビなどの取材を受けて似たような目にあったことを批判的に語る人間は私の周囲にも多い。ただ、私自身はそういうときには腹がたつというよりは「なんでそんなリスキーなことをするのかな」と不思議に思ってしまう。

いちおう自分の考えと事実関係は分けて話すようにはしているつもりだが、特に口頭で話す場合はどうしたって個人的な解釈がそこに混在してしまうし、私自身が勘違いしたりしていて話したことが間違っている場合だって普通にある。

にもかかわらず自分で裏もとらなければ、誰かから聞いた伝聞である旨を断りもせずにそれを自明の事実や自分の考えであるかのように語るのは、道徳的にどうこういう以前に、自分の発言の信頼性を担保できないという意味で無謀な振る舞いではないかと私は思う。

当たり前だが、事実関係の典拠を明示するのは、あとからその情報の正誤や経緯を追えるようにするためだし、他者の経験則的なものに立脚した意見や感想の発言元を明示するのは、それが社会的な存在としてのその人物固有の視点であることを読者なり聴講者なりに断るためである。

逆にいえば、自分が調べたわけでもないことを賢しらげに語って間違いを突っ込まれたり、自分で考えたわけでもない意見を得々と開陳して説明を求められたらどうするのか。自分で調べていなければなにをどう勘違いしていたかを釈明することもできないし、自分で考えたことでもない意見の解説をすればどうしたってどこかに無理がでるだろう。

要するに引用の必要性をいうためには、まずそのようなデメリットをきちんと示して、妙な具合に個人の「意見」を偏重するのはやめるべきではないかと思う。本来それは「するべき」だからやることではなく、「やったほうが得」だからやることなのだ。

そのレベルの損得を示さず、高圧的に「やれ」といったってしようがないと思うのだが。

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プロフィール

小田切博

ライター、90年代からフィギュアブームの時期に模型誌、フィギュア雑誌、アニメ誌などを皮切りに以後音楽誌、サブカル誌等、ほぼ媒体を選ばず活動。特に欧米のコミックス、そしてコミックス研究に関してはおそらく国内では有数の知識、情報を持つ。著書として『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかにマンガを変えるか』(ともにNTT出版刊)、共編著に『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)、訳書にディズニーグラフィックノベルシリーズがある。

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