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小田切博の「キャラクターのランドスケープ」

マーチャンダイジングの観点から、マンガ・アニメ・ゲームなど、日本の「コンテンツ・ビジネス」の現在を考える。

2010年の「911」

2010年9月28日

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当たり前だが、今年も9月11日がやってきて、そして去った。

2001年の9月11日に起こった「同時多発テロ」事件以降、この日付は一種の象徴めいて語られるようになっている。しかし、実際のところ今年も9月11日当日にはアメリカで多くの追悼式典がおこなわれた以外に何か特別なことがあったわけではない。むしろ、この日に焦点をあわせるかのように伝えられたいくつかのニュースが2001年以降の世界の変化を反映していたように思う。

映画やテレビ、コミックスなどのアメリカの大衆文化に対する「911」の影響を論じた論文を集めた論集『Reframing 9/11: Film, Popular Culture and the War on Terror』(Jeff Birkenstein、Anna Froula、Karen Randell編、Continuum刊、2010年)のイントロダクションの中で編者たちは、ブッシュ政権下のアメリカでアフガニスタンやイラクでの戦争について「キリスト教対イスラム教」という構図が強調され、これらの戦争行為が現代の十字軍であるかのように語られてきたことに触れ、このブッシュ政権下での「テロとの戦い(War on Terror)」という言葉が、「変化」を謳うオバマ政権では「海外での軍事行動(oversea's contingency operation)」という表現へと置き換えられたことを指摘している。

だが、この言い換えによって、これまでなされてきたプロパガンダで形成された世論を変えることが「できていない」ことは、「フロリダ州の信者50人のカルト教会の牧師が9月11日にコーランを燃やすイベントをおこなう」と宣言した事件をわざわざ全世界的に報道し、結果的に中東でのこの焚書への抗議デモの参加者に10人以上の死者を出したことではっきりした。

このニュースに関して驚くべきことは、まずこれがわざわざ報じられ、アメリカ大統領や軍司令官までがこの件についてコメントした、という点だろう。

日本でも報道されているが、このイベントを企画したテリー・ジョーンズという牧師はちょっとまっとうな宗教者とはいえそうにない人物である。少なくとも以前から過激な反イスラムの主張を掲げて活動してきたのは確かなのだし、彼の教会自体、フロリダに無数にあるキリスト教分派系の小教会と看做したほうがよさそうなもので、信者も50人ほどだという。

50人程度の小集団がコーランを燃やしたからといってそれをキリスト教界全体の意思表示と取るのはあきらかにおかしいし、実際にキリスト教の指導者たちはこのジョーンズの活動に対してはっきり非難のコメントを出してもいる。

にも関わらず、これを「キリスト教による反イスラム活動」と捉えてしまうイスラム教徒の原理主義的態度にも問題がないとはいえないだろうが、それ以前の問題としてこんなフロリダの御近所トラブル程度の話を全世界向けに大々的に報じたりしなければいいのである。

一般的な中東のイスラム教徒からすれば、本流のカトリックやプロテスタントの指導下にあるか否かも曖昧な分派紛いの小教会がキリスト教には数多く存在することなど知るはずもないのだし、それをアメリカのメディアが「フロリダの牧師がコーラン焼却を計画」などというヘッドラインで報じれば、それを見て「またイスラム叩きか」と思われても仕方ないだろうと思う。

このように書くとマスコミ批判のようだが、この件に関していえばネットの役割はさらに罪深い。この事件がマスメディアで「ニュース」になったのは、ジョーンズの教会がTwitterで告知した「コーラン焼却イベント」をおもしろがって、Facebookなどのソーシャルメディアやブログなどでネットワーカーが騒ぎ立てたことをきっかけにしている。

つまり、以前から似たような活動をしていた地方の変人牧師が自己宣伝のためにおこなおうとしたイベントが、ネットを経由したマスコミ報道によって、あたかもそれがアメリカやキリスト教全体の意思表示であるかのように世界中に広まっていった。そういうグロテスクな事態がそこでは生じていたのだ。

似たようなことはこれと前後して起きた事件についてもいえる。アメリカのTVアニメ『サウスパーク』のムハンマドを登場させた回の放映が自粛されたことを皮肉って、「今日をムハンマドを描く日にしよう」と登場人物に語らせるマンガを描いたマンガ家が、本当に「ムハンマドを描く日をつくろう」と主張するFacebookのコミュニティーが立ち上げられたことによって、(この動きにこのマンガ家自身は関わっていないにも関わらず)尖鋭的なイスラム教徒から暗殺予告を出され、結果的に身を隠さざるを得なくなった。

ある物事を「ニュース」として伝える行為自体が特定のメッセージを発信することになってしまう可能性については、ネットやマスコミでこれらの問題を語ってしまった人々にもっと自覚されたほうがいい。先にも触れたようにコーラン焼却問題では死者まで出ている。そのことの責任が考えられないのは本来おかしいはずだろうと思う。

もちろん、先に述べたようにこれらすべての背後にはブッシュ政権下でおこなわれた「テロとの戦い」というプロパガンダに象徴される西欧社会のイスラムフォビアの問題があり、さらにその背後には911テロの原因であるイスラエル問題やヨーロッパでのアラブ系移民を巡る問題などがある。

そして、これらの問題をより直接的に反映したようなニュースも、また2010年の9月11日前後には報じられていた。結果的に妙なかたちでコーラン焼却と結び付けられたNYのイスラム文化センター建設、ドイツでのムハンマド風刺画事件で風刺画を描いたアーティストの表彰、フランスでのイスラム教徒の衣装「ブルカ」の着用禁止法案の可決といったトピック群がそれだ。

意識するにしろ無意識的にしろ、こうした問題を浮き彫りにするようなニュースを招き寄せる結節点として現在の9月11日という日付はあるのではないか、今年の9月はそんなことを考えさせられる月だった。

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プロフィール

小田切博

ライター、90年代からフィギュアブームの時期に模型誌、フィギュア雑誌、アニメ誌などを皮切りに以後音楽誌、サブカル誌等、ほぼ媒体を選ばず活動。特に欧米のコミックス、そしてコミックス研究に関してはおそらく国内では有数の知識、情報を持つ。著書として『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかにマンガを変えるか』(ともにNTT出版刊)、共編著に『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)、訳書にディズニーグラフィックノベルシリーズがある。

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